周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

中世の逆三枚起請!?

   一 行雲起請文 (町内文書『甲奴町誌』資料編)

 

 「解説」

 これは明治十九年(1886)に、甲奴町宇賀品谷の八幡神社の神像の体内文書として、時の社掌信野友幸氏が発見されたものである。

 現在町内に存在する古文書のうちで最も古いもので、傷みがひどくて内容を十分に把握することが困難であるが、宇賀の歴史を探求するのに不可欠の重要な史料である。

 

    白敬きしようもんの事

   (件ヵ)

   右⬜︎

 一なかはらのこけ[    ]もしぎよううん[    ]てふうふのおもいににご

                        (ヵ)

  る事候はゞ、一まんさせん諸仏[    ]ゑ⬜︎ほ[  ]六[  ]さ天

  [  ]大ほ天たいしやくの御ばちをぎよううんあつうふかうかうふらん

 一ひちいちのないしの事、きやううんもしめをとのやくそくにこるゝこと候はゝ、

                          (所ヵ)

  大日本国六十[    ]ゆうしんきめうとそ大明神⬜︎[    ]御ばちをぎや

  ううんあつふかうかうふらん

 一やまなかのむまの[  ]が事 もしぎやううん[  ]ふうふのやくそく⬜︎てに

                         (所ヵ)

  こるゝ事候はゝ[    ]国のちんしやうれう三⬜︎うかの三しやのやしろしなの

  八幡大菩薩の御ばちを、きゃううんあつうふかうかうふらん

 一しなのこけとふの事 もしきやううん[  ]て[    ]とのや

  [     ]候はゝ一五の[  ]て六十四[    ]まてを[    ]ん

  [    ]きゃうほうむなしうなりて なかく大むんけに□さいして 大自在天

  満天神の御はちを きやううんか八まんしせんのミのケのあなことにあつうふかう

  かむらん よてきやううんのしやう如件、

   (1382)

   永徳弐⬜︎十月三日

                      行 雲 花押

 

 「書き下し文」

*漢字仮名交じり文に改めました。『甲奴町誌』(1994)の解説を参照しましたが、私の推測に基づいて、いくつか改めた箇所があります。

 

    敬白起請文の事

   右件

 一つ、中原の後家[    ]若し行雲[    ]て夫婦の思いに濁る事候はば、

  一万三千諸仏[    ]ゑ⬜︎ほ[ ]六[ ]さ天[ ]大梵天帝釈の御罰を行

  雲厚う深う蒙らん、

 一つ、小童市の内侍の事、行雲若し夫婦の約束ニ濁るる事候はば、大日本国六十余州

  大小神祇冥道大明神所[ ]御罰を行雲厚う深う蒙らん、

 一つ、山中のむまの[ ]が事、若し行雲[ ]夫婦の約束にて濁るる事候はば、

  [    ]国のちんしやうれう三所、宇賀の三社の社、品の八幡大菩薩の御罰

  を、行雲厚う深う蒙らん、

 一つ、品の後家とふの事、若し行雲にて夫婦の約束濁るる事候はば、一五の[ ]て

  六十四[    ]まてを[    ]ん[    ]きゃうほう空しうなりて、

  永く大むんけに⬜︎さいして、大自在天満天神の御罰を行雲か八万四千の身の毛の穴

  毎に厚う深う蒙らん、仍行雲の状如件、

   永徳弐年十月三日

                      行 雲 花押

 

 「解釈」

 一つ、中原の後家のこと。もし私行雲の妻への愛情が濁るようなことがありますなら、一万三千の諸仏諸神、大梵天帝釈天の御罰を厚く深く蒙りましょう。

 一つ、小童の市場の内侍のこと。もし行運が夫婦の約束を違えるようなことがありますなら、大日本国六十余州の大小の諸神・諸仏・大明神の御罰を行雲は厚く深く蒙りましょう。

 一つ、山中の右馬のこと。もし行運が夫婦の約束を違えることがありますなら、国の鎮守三所、宇賀村の三社、品の八幡大菩薩の御罰を、行雲は厚く深く蒙りましょう。

 一つ、品の後家とふのこと。もし行運が夫婦の約束を違えることがありますなら、(解釈できず)、大自在天満天神の御罰を、行雲の八万四千の身の毛の穴ごとに、厚く深く蒙りましょう。よって、行雲の起請文は以上の通りです。

 

*「いやな起請を書くときにゃ、熊野でカラスが三羽死ぬ」。古典落語三枚起請」の台詞を捩って言えば、この場合、「宇佐で鳩が三羽死ぬ」のかもしれません。この史料は厳密に言うと「三枚起請」ではなく、ただの「一枚起請」なのですが、その一枚の起請文のなかで、四人の女性との変わらぬ愛を誓っています。

 さて、いやな起請文を書いたのかどうかわかりませんが、差出人の行雲は起請文を認めて、品の八幡神社の御神像の胎内に込めました。四人の妻の詳細は分かりませんし、どの女性が正妻なのかもはっきりしませんが、彼女たちの在所はそれぞれ異なっているので、別居しているようです。また、そのうち二人は「後家」さんです。一夫多妻制の時代であったといえばそれまでですが、中世の日本は「女は男に倍す」という状況でした(井原今朝男「祈禱・呪術を否定する中世仏教」『中世寺院と民衆』臨川書店、2004、281頁)。女性が一人で生きていくには厳しい時代だったのかもしれません。

 それにしても、この起請文については、作成の状況や背景がよく分かりません。いったい、どのような場で書かれたのでしょうか。行雲一人が神前で一通の起請文を書いたのか。それとも、行雲は、四人の妻と神の御前で起請文を書いたのか。この場合、ものすごい修羅場を想像してしまいます。そもそも、四人の妻への愛を誓うのに、なぜ四枚の起請文を書かなかったのでしょうか。面倒だから一枚で済ませたなどと口走れば、それこそ修羅場になりそうです。四人の妻が徒党を組み、平等に愛情を注ぐように行雲に迫り、起請文を書かせたと想像するとおもしろいのですが。

 行雲は自主的に、四人の妻への変わらぬ愛を誓った起請文を、八幡神に捧げたと考えられないことはないですが、その理由がまったく分かりません。ラブレターや紙切れ同然の価値しかなくなった婚姻届とは訳が違います。三角関係ならぬ五角関係ということになりますが、何がしかのトラブルでもなければ、神仏を仲立ちにした起請文など書かないのではないでしょうか。何せ約束を破れば、体中の毛穴という毛穴に神罰を蒙るわけですから、これは恐ろしい誓約です。

 行雲は同様の起請文を四人の妻に渡したのか。それともそれぞれの妻宛に起請文を一通ずつ書いて、四人の妻の名をまとめて記した起請文を御神像の胎内に込めたのか。品の八幡神社以外の村の社、つまり四人の妻の在所の鎮守にも納めたのか。はたまた、他に書いた起請文は、一味神水のように焼いて灰にして飲んだのか。分からないだけに、いろいろと想像できておもしろいです。

須佐神社文書 参考史料2の8(完)

   五〇 小童祇園社祭式歳中行事定書 その8

 

 一十日

  御注連揚ヶ之式 御注連下シ与同様

  若宮遊之事

    若宮引於拝殿  (割書)「右陸奥左刑部」神宮寺勤之

    同神楽散物   三太夫三ツ割ニ納

  若宮附之事    陸奥

   礼物三匁 散米二升同人ニ納

    布料弐匁     神前当人

     四ツ割仁シテ配分   中座 但陸奥モ人数割之事

                東座

                西座

  御供精進備

    賄方者壱度宛之事

    願主銘々弁 但数有之時者模相ニテ取計申事

 一九日ヨリ十日晩迄散物末社等配分放生会ニ同(割書)「潤月者本月並」

 一年中祭日神殿御戸開次第三太夫社参可仕事

 一郡中祈祷之節三太夫モ参詣之事

 一常夜灯 神宮寺ヨリ調ス但其料畑有

 一神前御幣 神宮寺ヨリ調申事

 一御本社鍵取  祢宜実光

    以 上

   此書別当エ壱通禰宜エ壱通三太夫エ壱通相納置毎歳正月十四日初祭当之節披露可

   仕事

  右年中行事祭式旧記雖有之、歳霜隔無拠指縺等出来彼是博変之儀有之、当度願出、

  御出役在テ拒障之義等夫々御改之上、銘々勤方納得一同例座シ書載連印相違無之上

  者、毛頭違背不仕、永々無怠謾弥以於神前御武運長久、五穀成就之旨抽丹精相勤可

  申、依テ向後違乱為無之御奥書願受定書如件、

         当時

         今高野山安楽院ヨリ兼帯別当神宮寺印

   (1836)           禰宜 伊達紀伊守印

   天保七年          幣取 広田陸奥正印

    丙申六月         国宗 田中 形部印

                舞神子 陶山加賀正印

               武塔神主 近藤出雲正印

               妙見祢宜   貞兵衛印

               山王祢宜   与兵衛印

               天神祢宜   新五郎印

               厳嶋祢宜   留十郎印

               竜王祢宜   吟 蔵印

               比叡祢宜   保 蔵印

               八幡祢宜   仙 吉印

               君達祢宜   増 蔵印

              八将神祢宜   万 吉印

                神子役   伴次郎印

                大頭役   周兵衛印

                御加役   自 然印

                同     熊五郎

                同     文三郎印

               頭庄屋

               庄屋兼帯

                   直右衛門殿

               出役

               田打村庄屋

                   五右衛門殿

               出役

               戸字村庄屋

                   作右衛門殿

                庄屋

                   茂 三 郎殿

                庄屋

                   喜代兵衛殿

                庄屋格

                組 頭

                   万 兵 衛殿

                組頭

                   森 太 郎殿

                組頭

                   六右衛門殿

  右之通定書相調申候処少シ茂相違無御座候間、乍恐御奥書奉願上候以上

   丙申              頭庄屋

                    庄屋兼帯

    六月               直右衛門印

                   出役

                    田打村庄屋

                     五右衛門印

                   出役

                    戸字村庄屋

                     作右衛門印

                   庄屋

                     茂 三 郎印

                   庄屋

                     喜代兵衛印

                   庄屋格

                   組 頭

                     万 兵 衛印

                   組頭

                     森 太 郎印

                   組頭

                     六右衛門印

   村方

    御役所

     前書之趣承届候、後来定之通違乱

     無之様可取計者也

  申六月 村方

        御役所 印

   御奥書者時之       伊達紀伊

   御代官星野正太夫様     藤原朝臣実本書之

 

   おわり

 

*書き下し文は省略します。

 

 「解釈」

 一つ、十日。

  御注連縄上げの儀式。御注連縄下げの儀式と同様。

  若宮遊のこと。

    若宮引は、拝殿で、右が広田陸奥、左が田中刑部、そして神宮寺が勤める。

    若宮の神楽の供物は、三太夫(広田陸奥・田中刑部・陶山加賀)が三つに割り

    納める。

    若宮附のこと。広田陸奥の役。

     礼物三匁と散米二升は同広田陸奥に納める。

      布料二匁は神前両人(本社大禰宜伊達紀伊守・神宮寺別当)に納める。

       四つに割って配分する。 中の座。東の座。西の座。ただし、陸奥も人

       数に含めて割ること。

  御精進供を供える。

    賄い方は一度ずつのこと。

    願主がそれぞれ支払う。ただし、数が多いときには、物相で取り計らい申すこ

    と。

 一つ、九日から十日の晩までの供物を末社等に配分する。放生会と同じ。閏月は九月

 並み。

 一つ、年中の祭日では、神殿の御戸を開き次第、三太夫が社参しなければならないこ

 と。

 一つ、甲奴郡中の祈祷のとき、三太夫も参詣すること。

 一つ、常夜灯は、神宮寺が調進する。ただし、その費用を拠出する畑がある。

 一つ、神前の御幣は神宮寺が調進すること。

 一つ、御本社の鍵取り役は禰宜の実光。

    以上。

   この書は神宮寺別当へ一通、禰宜伊達紀伊守へ一通、三太夫へ一通、それぞれ納

   め置き、毎年正月十四日の最初の月次祭のときに披露しなければならないこと。

  右の年中行事の祭式には旧記があるけれども、年月が隔たり、なんともしがたい混

  乱が出てきて、あれやこれやと幅広く変わってしまったところがある。この度我々

  が願い出て、神事の役目を辞退するものがいる件などを、それぞれ兼役のお役人が

  お改めになり、神事を勤めるものがそれぞれに納得し、一同がいつものように座

  り、印を連ねることに間違いないうえは、けっしてこの内容に背いてはならない。

  永久に怠ることなく、ますます神前において武運長久や五穀豊穣を、心を込めて祈

  祷し申し上げなければならない。そこで、今後違乱のないよう、御代官様の御奥書

  を願い受ける定書は、以上のとおりである。

 

   (神職の署判、充所の役人名は省略)

 

  右の通り、定書を調え申しましたところ、少しも間違いはありませんので、恐れな

  がら役人一同、御代官様に御奥書を願い申し上げます。以上。

 

   (役人の署判は省略)

 

   村方

    御役所

     前書の内容は承りました。後々、定書の通りに違乱のないよう、取り計らわ

     なければならないものである。

  天保七年(一八三六)六月 村方御役所 印

   御奥書は、時の御代官星野正太夫様。

   伊達紀伊守藤原朝臣実本がこれを書いた。

 

   おわり

 

 「注釈」

「若宮遊」─未詳。若宮社の前で行われる神事舞か。

 

「若宮引」─未詳。

 

「若宮附」─未詳。

 

「神前当人」

 ─「神前両人」の誤記か。それなら「神宮寺別当と大禰宜伊達紀伊守」の二人を指す。

 

「模相」

 ─「物相・盛相」のこと。飯を盛ってはかる器。ふつう円筒形の曲物で、これに飯を押し込んで型に抜き供する。多く寺院などで用いられる(『日本国語大辞典』)。

 

「出役」

 ─江戸時代、本役のほかに、臨時に他の職務を兼ねること。また、その役人(『日本国語大辞典』)。

 

「拒障」─辞退すること(『日本国語大辞典』)。

須佐神社文書 参考史料2の7

   五〇 小童祇園社祭式歳中行事定書 その7

 

 一初九日 御祭礼規式

  君達江献上噛米三合也 飯御下リ(割書)「加賀増蔵」頂戴

   此噛米三合ハ御供米壱斗弐舛之内ニテ上ケ残リ炊事、舛取万吉役、釜敷蓋附飯同

   人戴

  御供盛役 大前  三太夫之外不残手伝

  板拭飯六本備并頂戴前餅仁同

   御本社江    御本膳 十七膳

   大御輿江    同    壱膳

   厳島江     同    壱膳

   君達社江    同    壱膳

                    図

       杉盛飯十 立三膳   飯   梨

       杉盛餅同  三膳     栗 柿

   御本社江五ツ立飯  三膳   餅   柚

       五ツ立餅  三膳

               図如是杉盛トス壱膳也

       杉盛飯十 立壱膳   飯

       杉盛飯十 立壱膳   ● ○ ○

   大御輿江五ツ立飯  壱膳  ○ ○ ○ ○

       五ツ立餅  壱膳   ○ ○ ○

 

       杉盛飯十 立壱膳  三ツ把

       杉盛飯十 立壱膳   ● ○ ○

   厳島社江五ツ立餅  壱膳  ○ ○ ○ ○

       五ツ立餅  壱膳   ○ ○ ○

 

                  ●飯    ○ 

                     ○

   薬師堂江 杉盛飯十二立壱膳  ○     ○

        杉盛飯十二立壱膳

 

   合 御供数  百八ツ     ●飯    ○

     三ツ把餅 百八ツ

                     ○

 

                  ○     ○

 

    薬師堂江    同    壱膳

    合弐拾壱膳

  御神供献上之次第

   先拝殿ヨリ棚守貞平操出シ宮方之者階之上迄持運ヒ賽銭箱之上ニテ加賀エ渡次形

   部受取夫ヨリ御内陸奥エ渡夫ヨリ紀伊守受取 献神前仁

       御祓祝詞    東 神宮寺

   御本社 供物献上    中 紀伊

               左 陸奥

   厳島社 右同      中 紀伊

     御神酒頂戴     左 陸奥

  御当神楽 三太夫相勤御鬮善悪村役方エ相届申事

  御祓献上  宇賀村石見拝殿ニテ勤之

  御神事吹囃 (割書)「宮部下谷市場桂正寺」 四谷ヨリ打入レ

  御神酒   当人ヨリ出村内氏子頂戴

  御神供配当

   四膳 本社神主役    四膳 本社禰宜

   壱膳 婆利賽禰宜役   壱膳 御山天狗禰宜

   壱膳 若宮支配役    弐膳 神前犳

   三膳 祭当役      弐膳 祭当役

  右九膳神宮寺江     右九膳禰宜実光江

   壱膳 若宮禰宜

   壱膳 幣取役      壱膳 舞御子役

   壱膳 祭当役      壱膳 祭当役

  右三膳幣取陸奥江    右弐膳舞神子役加賀江

   壱膳 大鼓役      壱膳 厳島禰宜

               弐膳 狗

   壱膳 祭当役      壱膳 祭当役

  右弐膳大鼓役形部江   右四膳大前留十郎江

   壱膳 武塔社神主役

   壱膳 祭当役      壱膳 祭当役

  右弐膳武塔神主出雲江  右御加役文三郎江

   三膳 荒神禰宜役    壱膳 祭当役

   壱膳 八幡禰宜役   右六ツ宗保蔵江

   壱膳 祭当役

  右五膳宮部千吉江     壱膳 妙見禰宜

   三膳 荒神禰宜役    壱膳 祭当役

   壱膳 神子役     右弐膳行実貞平江

   壱膳 宮定遣      壱膳 神子役

  右五膳薦敷仮役宮部千吉江 壱膳 御太刀役

   壱膳 竜王祢宜役    壱膳 祭当役

   壱膳 祭当役     右三膳新シ屋伴次郎江

  右弐膳千田屋吟蔵江    壱膳 神子役

   壱膳 山王祢宜役    壱膳 祭当役

   壱膳 祭当役     右弐膳大前増蔵江

  右弐膳広石与兵衛江    壱膳 君達祢宜役

   壱膳 舛取役     右(割書)「加賀増蔵」 両人江

   壱膳 祭当役      壱膳 高山天神祢宜役

  右弐膳中屋万吉江     壱膳 的役

   壱膳 大頭役      壱膳 祭当役

   壱膳 祭当役     右三膳高山新五郎江

  右藤井周兵衛江      壱膳 祭当役

   壱膳 祭当役     右御加役市場熊五郎

  右御加役自然江      壱膳 的馬役

   壱膳 膳共ニ其儘也  右村役所江膳トモ其儘贈ル

   杉盛御飯十二杯     四膳

   杉盛御餅十二把    右其年之当人江

  右正願寺江        壱膳

              右宇賀村石見江

   壱膳 但シ此分参詣無之候得者不下ケ

  右宇賀村大和江      壱膳 警固江下ケ

  合八拾五膳

  右配当余リ之分ハ調残之割ト号惣宮方割賦ス

  御酒壱舛村役江贈申事

  御神前祝詞薄ヘリ壱枚杓大小弐本実光江

  厳島祝詞莞筵一枚杓大小弐本散米壱舛陸奥江贈事

          但シ六日九日十日分

  餅筵壱枚     貞平江

  清筵壱枚     万吉江

  三太夫遣ヒ御久米紙 当人ヨリ出ス事

  夜神楽 始メ申時役場江達シ役人之内壱人出張之事

   神前江御鏡餅一重御神酒一舛備 御下リ実光頂戴

   厳島江小餅五ツ備 御下リ留十郎頂戴

   夜食

   右神田ヲ以 保蔵指出申事

 

   つづく

 

*書き下し文は省略します。

 

 「解釈」

 一つ、初九日御祭礼の規式。

  君達社へ献上するのは噛米三合である。下ろし物の飯は陶山加賀と君達社禰宜増蔵

  が頂戴する。

   この噛米三合は御供米一斗二升の中から進上して、残りを炊くこと。枡取は八将

   神禰宜万吉の役。釜敷と蓋の付いた飯は万吉がいただく。

  御供の盛り役は、厳島禰宜大前留十郎。三太夫(広田陸奥・田中刑部・陶山加賀)

  のほかは、残らず手伝う。

  板拭飯六本を供え、並びに頂戴する。前の餅に同じ。

   御本社へ御本膳十七膳を供える。

   大御輿へ同じく一膳を供える。

   厳島社へ同じく一膳を供える。

   君達社へ同じく一膳を供える。

 

   御本社へ。杉盛飯十本を立て、三膳を供える。杉盛餅十個を立て、三膳を供え

   る。五つの立飯三膳を供える。五つの立餅三膳を供える。

    (以下、配膳図、大御輿・厳島社・薬師堂は省略)

 

   締めて、お供えの数は百八つ、三つ把餅は百八つ。

 

   薬師堂へ。同じく御本膳一膳を供える。

   合計二十一膳。

  御神供献上の次第。

   まず拝殿から棚守役の妙見社禰宜貞平が御神供を取り出し、神職たちが階段の上

   まで持ち運び、賽銭箱の上で陶山加賀へ渡す。次いで田中刑部が受け取り、それ

   から御内陣の広田陸奥に渡す。それから本社神主伊達紀伊守が受け取る。そし

   て、神前に献上する。

   御本社への御祓祝詞と供物の献上役。東の座は神宮寺別当の役、中央の座は本社

   神主伊達紀伊守の役、左の座は広田陸奥の役。

   厳島社へも右と同じ。中央の座は本社神主伊達紀伊守の役、左の座は広田陸奥

   役。御神酒を頂戴する。

  御頭役の神楽。三太夫が勤め、御籤の善悪の結果を村役人へ届け申すこと。

  御幣献上。  宇賀村の信野石見が拝殿で勤める。

  御神事の吹囃子。 宮部・下谷・市場・桂正寺の四谷から演奏しながらやってく

  る。

  御神酒   頭役より出す。村内の氏子が頂戴する。

  御神供献上の配当。

   四膳は本社神主伊達紀伊守の役。一膳は頗梨采禰宜の役。一膳は若宮の分配役が

   供える。三膳は祭の当番の役。

  右の九膳は神宮寺へ納める。

   四膳は本社禰宜実光の役。一膳は亀甲山の天狗禰宜の役。二膳は神前の狛犬に供

   える。二膳は祭の当番の役。

  右の九膳は本社禰宜実光へ納める。

   一膳は若宮禰宜の役。一膳は幣取広田陸奥の役。一膳は祭の当番の役。

  右の三膳は幣取広田陸奥へ納める。

   一膳は舞神子陶山加賀の役。一膳は祭の当番の役。

  右の二膳は舞神子役陶山加賀へ納める。

   一膳は大鼓田中刑部の役。一膳は祭の当番の役。

  右の二膳は大鼓役田中刑部へ納める。

   一膳は厳島禰宜大前留十郎の役。二膳は狛犬へ供える。一膳は祭の当番の役。

  右の四膳は大前留十郎へ納める。

   一膳は武塔神主近藤出雲の役。一膳は祭の当番の役。

  右の二膳は武塔神主近藤出雲へ納める。

   一膳は祭の当番の役。

  右は御加役へ納める。

   三膳は荒神禰宜千吉の役。一膳は八幡禰宜千吉(仙吉)の役。一膳は祭の当番の

   役。

  右の五膳は宮部の千吉へ納める。

   一膳は祭の当番の役。

  右は六ツ宗比叡禰宜保蔵へ納める。

   三膳は荒神禰宜千吉の役。一膳は神子役が納める。一膳は宮定へ遣わす。

  右の五膳は薦敷の仮役でもある荒神禰宜宮部の千吉へ納める。

   一膳は妙見禰宜貞平の役。一膳は祭の当番の役。

  右の二膳は行実の妙見禰宜貞平へ納める。

   一膳は竜王禰宜吟蔵の役。一膳は祭の当番の役。

  右の二膳は千田屋の竜王禰宜吟蔵へ納める。

   一膳は神子役が納める。一膳は御太刀役伴十郎が納める。一膳は祭の当番の役。

  右の三膳は新シ屋伴次郎へ納める。

   一膳は山王禰宜与兵衛の役。一膳は祭の当番の役。

  右の二膳は広石谷の山王禰宜与兵衛へ納める。

   一膳は神子役が納める。一膳は祭の当番の役。

  右の二膳は厳島禰宜大前留十郎と神子役君達禰宜増蔵へ納める。

   一膳は枡取役八将神禰宜万吉の役。一膳は祭の当番の役。

  右の二膳は八将神禰宜中屋万吉へ納める。

   一膳は君達禰宜増蔵の役。

  右は陶山加賀と君達禰宜増蔵の両人へ納める。

   一膳は大頭役春日井谷の藤井周兵衛の役。一膳は祭の当番の役。

  右は藤井周兵衛へ納める。

   一膳は高山天神禰宜新五郎の役。一膳は的役が納める。一膳は祭の当番の役。

  右の三膳は高山天神禰宜新五郎へ納める。

   一膳は祭の当番の役。

  右は御加役自然へ納める。

   一膳は祭の当番の役。

  右は御加役市場の熊五郎へ納める。

   一膳は膳とともにそのまま贈る。杉盛御飯十二杯。杉盛御餅十二把。

  右は正願寺へ納める。

   一膳は的馬役が納める。

  右は村の役所へ御膳と一緒にそのまま贈る。

   四膳。

  右はその年の当番へ納める。

   一膳。

  右は宇賀村の信野石見へ納める。

   一膳。ただしこの分は参詣人がいないなら、下ろし物にしない。

  右は宇賀村の大和へ納める。

   一膳は警固へ下ろす。

  合計八十五膳。

  右の配当しきれていない十二膳分は、「調残之割」と呼んで、すべての神職に割り

  振り、進上させる。

  御酒一升は村役人へ贈り申すこと。

  御神前での祝詞奏上。薄縁一枚、灼大小二本を本社禰宜実光へ納める。

  厳島社での祝詞奏上。莞筵一枚、杓大小二本、散米一升を広田陸奥へ贈ること。

          ただし、六日・九日・十日分

  餅を置く筵一枚。     妙見禰宜貞平へ納める。

  清筵一枚。        八将神禰宜万吉へ納める。

  三太夫に遣わす御供米と紙は、当番から出すこと。

  夜の神楽は始め申すときに役場に伝達し、役人の中から一人が出向くこと。

   神前へ御鏡餅一重ねと御神酒一升を供える。お下がりを本社禰宜実光が頂戴す

   る。

   厳島社へ小餅五つ供える。お下がりは厳島禰宜大前留十郎が頂戴する。

   夜食。

   右は神殿の収穫米をもって、比叡禰宜保蔵が差し出し申すこと。

 

   つづく

 

 「注釈」

「噛米」

 ─「小童祗園社由来拾遺伝」によると、「毎年九月九日にお供えを献上するとき、まず噛み米と名付けてそれを清め、最初は生米のままで供え、またその次に飯として炊き上がらないうちに、『すくいまんま』と名付けて粥のようなものを供える。その後よく炊いた飯を諸神一列に供え申し上げる故実がある。お粥をお供えするのは、幼い神であるからだろうか。その訳を今は知る人がいない」(「小童祗園社由来拾遺伝 その5」の解釈参照)とあります。

 

「板拭飯」

 ─未詳。「拭」は「敷」の当て字か。板を敷物に用いた飯のことかもしれません。

 

「杉盛飯」─杉のように盛った飯。

 

「立飯・立餅」─未詳。杉盛飯のような飯や餅の盛り方か。

 

「三ツ把餅」─未詳。三つ重ねの餅のことか。

 

「御本社 東・中・左」

 ─「須佐神社縁起 その5」によると、東の座には蛇毒鬼神天王、中央の座には牛頭天王、左(西)の座には「しやふしよい天王」(未詳)が鎮座しているとある。

 

「御神供配当」

 ─下ろし物として各人に配当されたものか、進上品として各人に配当されたものか判然としません。

 

「御加役」─未詳。頭人(当人・当番)の補佐役か。

 

「行実」

 ─中世小童保の「行実名」に由来する地名。須佐神社そばの「宮部」と「桂正寺」との間にある(『甲奴町誌』一九九四、参照)。

 

「合八拾五膳」

 ─合計すると七十三膳で十二膳足りません。以下に続く「配当余り之分」というのは、「配当しきれていない分」と解釈しておきます。

須佐神社文書 参考史料2の6

    五〇 小童祇園社祭式歳中行事定書 その6

 

 一九月 御祭礼規式

  米壱石弐斗壱升 村辻ヨリ献上其年之当人四人江受取

     内

   三斗   神酒米并糀米共八月廿八日禰宜実光ニテ

        当人造込諸道具者禰宜ニテ借用仕旧例也

   弐斗   御供餅神宮寺ニテ九月六日ニカス 舛取万吉

        見改陸奥

   壱斗弐升 御供米同所ニテ九日ニ舛取万吉炊之

   七舛七合 壱舛ノリシメ壱舛銚子直シ料

        五舛七合道具損料右実光エ受取

   壱舛   五月廿九日忌榊伐ニ参ル者エ渡ス

        其年ノ当人四人之内申合参申事

   白米壱舛 御注連上ケ下シ九日以上三度散米幣取陸奥

   壱舛   餅ノ粉

          紙壱束、土器三十 柄杓六本 折敷二十

          一枚 莞筵一枚 薄ヘリ一枚 筵二枚

   四斗八舛三合 薦二枚 餅蒸御供炊 神酒造込 夜神楽

          柴灯

          四度薪等其外諸入用也

    〆壱石弐斗壱舛也

   米三斗  村辻ヨリ夜神楽米 陸奥江渡ス

   同壱斗一舛 御当清め米 同断

  御当人数 以前者大当二当ノ分有之由ノ処当時不相分一列

       ニ相勤

     出 雲    神宮司    新五郎

     伴次郎    保 蔵    与兵衛

   壱組増 蔵  壱組周兵衛  壱組保 蔵

     貞 平    万吉     薦 敷

                    仮役千吉

 

  御注連下シ 六日

  御幣紙七十六枚并萱 (割書)「当人ヨリ出シ御幣并人魚 陸奥調之」

   神前両人三太夫 厳島禰宜 各御注連下ニテ相勤

  祝詞禰宜紀伊

  御神酒各頂戴ス

 一八日御供餅搗 神宮寺ニテ調

   (割書)「蒸役搗役」 当番四人 甑取 舛取万吉

   交セ役 薦敷仮役千吉  揉役神子組

   御膳書附役祢宜実光 餅切役 留十郎

  押落盛相十ヲ (割書)「当番四人 神子四人 舛取 薦敷」頂戴

      本社エ 一ツ実光納 厳島社エ一ツ大前納

  板拭六ツ武塔社エ一ツ出雲納 天神社エ一ツ新五郎納

      妙見社エ一ツ貞平納

      本社 一ツ 実 光 納 大御輿一ツ 神宮寺納

  結初  厳島 二ツ 大 前 納 武塔社一ツ 出雲納

  五ツ結十天神社一ツ 新五良納 君達社一ツ 加賀増蔵隔年納

  ヲ   妙見社一ツ 貞 平 納 壱ツ舛取納壱ツ薦敷納

  右宮方不残手伝相調新筵仁包神前ニ納拝殿ニテ三太夫音楽ヲ奏ス、藁ヲ貞平ヨリ出

  ス、餅ノ粉余リ同人ニ納

      弐舛神宮寺江   壱舛 陸奥

      壱舛 加賀    壱舛 形部

      壱舛 増蔵    壱舛 新五郎

      壱舛 千吉    壱舛 万吉

  下リ酒 壱舛 吟蔵    壱舛 留十郎

      壱舛 出雲    壱舛 与兵衛

      壱舛 周兵衛   壱舛 保蔵

      壱舛 伴次郎   壱舛 貞平

 

   つづく

 

*書き下し文は省略します。

 

 「解釈」

 一つ、九月の御祭礼の規式。

  米一石二斗一升は、村の辻から献上する。その年の頭役四人が受け取る。

     内

   三斗。神酒米ならびに麹米ともに、八月二十八日禰宜実光の邸宅で頭人が作り込

   む。様々な道具は禰宜のところで借用するのが旧例である。

   二斗。御供餅については、神宮寺で米を炊く。枡取役は八将神禰宜万吉。見改め

   役は広田陸奥

   一斗二升。御供米は同所神宮寺で、九日に枡取役の八将神禰宜万吉がこれを炊

   く。

   七升七合。一升はノリシメ。一升は銚子の修繕料。五升七合は道具の破損料。以

   上は実光が受け取る。

   一升。五月二十九日に忌指の榊を切りに参る者へ渡す。その年の当番四人のなか

   で相談し参ること。

   白米一升。御注連縄を上げ下げし、九日以前に三度散米をする。幣取役広田陸奥

   に渡す。

   一升。餅の粉。

   四斗八升三合。紙一束。土器三十。柄杓六本。折敷二十一枚。莞筵一枚。薄縁一

   枚。筵二枚。薦で織った筵二枚。蒸した餅と炊いた御供。御神酒製造用の米。夜

   の神楽の柴灯代。

    合計で一石二斗一升である。

   米三斗。村の辻から、夜の神楽用の御供として献上する。広田陸奥へ渡す。

   同一斗一升。頭人が清めた米。同じく広田陸奥へ渡す。

  御頭役の人数。以前は大頭役と二の頭役がいたが、現在は分けることなく同等に勤

  めている。

   一組。武塔社神主近藤出雲・伴次郎・君達社禰宜増蔵・妙見社禰宜貞平。

   一組。神宮寺司・比叡社禰宜保蔵・御頭役周兵衛・八将神禰宜万吉。

   一組。高山天神宮禰宜新五郎・山王社禰宜与兵衛・比叡社禰宜保蔵・薦敷仮の役

   千吉。

  御注連縄を下げる儀式。六日。

  御幣紙七十六枚ならびに萱を進上する。頭人から出す。御幣と人魚は広田陸奥が調

  進する。

   神宮寺別当と大禰宜伊達紀伊守の二人、三太夫厳島禰宜留十郎が、それぞれ御

   注連縄の下で勤める。

  祝詞を申し上げる役は、本社大禰宜伊達紀伊守。

  御神酒をそれぞれ頂戴する。

 一つ、八日の御供の餅搗き。神宮寺で調進する。

   蒸し役と餅搗き役は当番四人。甑取・枡取役は八将神禰宜万吉。餅のかき混ぜ役

   は薦敷の仮役千吉。揉み役は神子組。御膳の書付役は本社禰宜実光。餅切り役は

   厳島禰宜留十郎。

  器で型抜きにした飯十個を、当番四人、神子四人、枡取役の八将神禰宜万吉、薦敷

  役の千吉が頂戴する。

  板拭飯六つ。本社へ一つ、本社禰宜実光が納める。厳島社へ一つ、大前留十郎が納

  める。武塔社へ一つ、同社禰宜近藤出雲が納める。天神社へ一つ、同社禰宜新五郎

  が納める。妙見社へ一つ、同社禰宜貞平が納める。

  結初五つ結び十を。本社へ一つ、本社禰宜実光が納める。大御輿へ一つ、神宮寺が

  納める。厳島社へ二つ。大前留十郎が納める。武塔社へ一つ、同社禰宜近藤出雲が

  納める。高山天神社へ一つ、同社禰宜新五郎が納める。君達社へ一つ、陶山加賀と

  神子役増蔵が隔年で納める。妙見社へ一つ、同社禰宜貞平が納める。一つは枡取役

  八将神禰宜万吉が納め、一つは薦敷役千吉が納める。

  右、宮方が残らず手伝い、調進した新しい筵に包み、神前に納める。拝殿で三太夫

  が音楽を演奏する。藁を妙見社禰宜貞平が差し出す。餅の粉の余りは同貞平に納め

  る。

  下ろし物の酒。二升は神宮寺へ。一升は広田陸奥へ。一升は陶山加賀へ。一升は田

  中刑部へ。一升は神子役増蔵へ。一升は高山天神社禰宜新五郎へ。一升は薦敷役千

  吉へ。一升は八将神禰宜万吉へ。一升は竜王禰宜吟蔵へ。一升は厳島禰宜大前留

  十郎へ。一升は武塔社神主近藤出雲へ。一升は山王禰宜与兵衛へ。一升は御頭役周

  兵衛へ。一升は比叡禰宜保蔵へ。一升は伴次郎へ。一升は妙見社禰宜貞平へ。

 

   つづく

 

 「注釈」

「村辻」

 ─小童の村辻。現在の広定郵便局あたりが辻になるか。ここは、広石谷、春日井谷、塩貝谷、麓・垰・山根からの道の合流地点になります。

 

「人魚」

 ─茅萱に少し御幣を付けたものを人魚と呼んだようです(「小童祗園社由来拾遺伝 その5」参照)。

 

「神前両人」─神宮寺別当と大禰宜伊達紀伊守の二人。

 

三太夫

 ─広田陸奥・田中刑部・陶山加賀の三名を指す。本社の神主(大禰宜)伊達紀伊守・禰宜実光の次にランクづけられる神職か、あるいは神楽の舞手や演奏者か。

 

「枡取」─枡を使ってはかること。また、その人(『日本国語大辞典』)。

 

「ノリシメ」─未詳。

 

「忌指榊」

 ─現在の七月一日忌串刺祭(いつみくしざし)に使用する榊。「忌を串で刺す」意の祭。口伝や「祇園社由来拾遺伝」に、「素盞嗚尊当村に入村の節、矢野村祇園水にて潔斎されたのが始まり」と述べている。「本日より例祭の終わるまで一切の忌・穢が無いように」との祈願の後、榊に御幣を付けた串を宮部部落に配布する。昔はこの串に使う榊は青近岩立山世羅郡甲山町)で採取するならわしで、祈願を込めた榊を左記の場所にうやうやしく建てる定になっていた。○本社鳥居前 ○武塔社鳥居前 ○西野村村境 ○宇賀村村境 ○戸張村村境 ○青近村村境 ただし、矢野村(上下町矢野)村境高足峠にはスサノオノミコト入来の道だから立てなかったと伝える。村境に忌の木を立て外部からの穢れを遮り、内部の不浄も慎んだ(『甲奴町誌』)。

 

「散米」

 ─「うちまき」。打撒とも書く。①米をまく作法で、神に神饌として供える、邪気をはらうためにまく。陰陽師が行った祓いの方法である。②米の女房詞(『古文書古記録語辞典』)。

 

「幣取」

 ─未詳。「ぬさとり」か「へいとり」と読むのでしょうか。供え物を進上する役か。

 

「莞筵」

 ─未詳。カヤツリグサで作った茣蓙・敷物、あるいは模様の入った茣蓙・敷物か。

 

「薄縁」─畳表に布で縁をつけた敷物。縁取(『日本国語大辞典』)。

 

「伴次郎」

 ─御太刀持ちと神子役に同名の人物が現れます。前者は御輿番の伴次郎かもしれません(「小童祇園社祭式歳中行事定書 その2」五月十日条参照)。

 

「神宮司」─神宮寺の役僧か。

 

「甑取」─蒸し器の準備をする役か。

 

「押落」─未詳。

 

「盛相」

 ─飯を盛ってはかる器。ふつう円筒形の曲物で、これに飯を押し込んで型に抜き供する。多く寺院などで用いられる(『日本国語大辞典』)。

 

「板拭」

 ─未詳。「拭」は「敷」の当て字か。「小童祇園社祭式歳中行事定書 その7」に「板拭飯」と出てくるので、板を敷物に用いた飯のことかもしれません。

 

「大前」─厳島禰宜留十郎。

 

「結初」─未詳。

 

「千吉」

 ─荒神禰宜千吉と八幡禰宜千吉(仙吉)がいて、同一人物か、異なる人物かわかりません。

須佐神社文書 参考史料2の5

   五〇 小童祇園社祭式歳中行事定書 その5

 

 一十八日 散銭開振舞 神前両人ヨリ招人左之通

           陸奥 形部 加賀 薦敷

  十七日十八日散物神前両人二ツ割之事

  三体御輿之前散物十三日ヨリ十四日御幸迄輿番四人之者頂戴

  三体御輿御旅殿ニテノ散物者薦敷頂戴之事

  大御輿之前散物之内舛物折敷壱杯宛(割書)「舛取万吉薦敷千吉」頂戴

  厳島宮前右ニ同

  御祭礼中御神楽散物之内三太夫ヨリ左之通配分

    小麦  三舛  薦敷江

    同   壱舛  伴次江俵一俵代

    同   弐舛  警固江

  厳島宮散銭十三日昼ヨリ十六日夕迄祢宜留十郎頂戴

  比叡権現  右同断  祢宜 保蔵   同

  君達宮   右同断  祢宜 (割書)「加賀増蔵」隔年 同

  八幡宮   右同断  祢宜 千吉   同

 

  天日神社

  八将神

  伊勢太神宮 右同断  祢宜 万吉   同

  稲荷大明神

  本社散物打戻り

  [以上の五項目の上に横線あり。すべて万吉の頂戴分か。分かりやすいように一行

   空けていますが、本来は空白はありません。以下同]

 

  実光若宮  右同断     実光   同

 

  惣若宮

        右同断  祢宜 陸奥   同

  矢田殿若宮

  [以上の二項目の上に横線あり。すべて陸奥の頂戴分か]

 

  伽藍荒神

        右同断     薦敷   同

  随臣

  [以上の二項目の上に横線あり。すべて薦敷の頂戴分か]

 

  大御輿

  十王堂

        右同断     神宮寺納(割書)「平常同様」

  金牛若宮

  荒神

  [以上の四項目の上に横線あり。すべて神宮寺の頂戴分か]

 

  薬師堂  年中一切正願寺引請

 一八月十四日 放生会御神事

  御神酒 御神供  大禰宜ヨリ弁備

  御神事吹囃 (割書)「峠山根麓正広」 四谷ヨリ打入申事

  本社散物十四日朝ヨリ十五日春日井神事的馬神前仁参詣致候迄之分禰宜致頂戴旧例

  也

  廊下立番警固エ弐匁遣ス事九月九日茂同様禰宜実光ゟ出、末社散物夫レ々頂戴本社

  与同断

  諸方参詣之人々ヨリ御神楽献上料物三太夫引請

 

   つづく

 

*書き下し文は省略します。

 

 「解釈」

 一つ、十八日。散銭開の振舞。神宮寺別当と大禰宜伊達紀伊守の二人が左の人を招

 く。

           広田陸奥・田中形部・陶山加賀・薦敷千吉

  十七日・十八日の供物は、神宮寺別当と大禰宜伊達紀伊守の二人が二つに割って頂

  戴すること。

  三体御輿の前の供物は、十三日から十四日の神幸までの御輿番の四人が頂戴する。

  三体御輿の御旅所での供物のうち、枡物を供えた折敷を一つずつ、枡取の万吉と薦

  敷の千吉が頂戴する。

  厳島宮の前の供物も、右に同じ。

  御祭礼中の御神楽の供物のうち、三太夫から左の通りに配分する。

    小麦三升は薦敷千吉へ。同じく小麦一升は伴次郎へ俵一俵の代として。同じく

    小麦二升は警固番へ。

  厳島宮の賽銭は、十三日の昼から十六日の夕方までの分を、厳島禰宜留十郎が頂戴

  する。

  比叡権現も、右と同様の期間で得た賽銭を、比叡禰宜保蔵が頂戴する。

  君達宮も、右と同様の期間で得た賽銭を、陶山加賀と君達宮禰宜の増蔵が隔年で頂

  戴する。

  八幡宮も、右と同様の期間で得た賽銭を、八幡宮禰宜千吉が頂戴する。

  右と同様の期間で得た、天日神社・八将神伊勢大神宮・稲荷大明神の賽銭と、本

  社への還幸のときの供物は、八将神禰宜の万吉が頂戴する。

  実光若宮も、右と同様の期間で得た賽銭を、本社禰宜実光が頂戴する。

  惣若宮と矢田殿若宮も、右と同様の期間で得た賽銭を、惣若宮禰宜の広田陸奥が頂

  戴する。

  伽藍荒神と随神も、右と同様の期間で得た賽銭を、薦敷千吉が頂戴する。

  大御輿・十王堂・金牛若宮・荒神宮も、右と同様の期間で得た賽銭を、神宮寺へ納

  める。平時も同様。

  薬師堂は、年中すべての賽銭を正願寺が頂戴する。

 

   つづく

 

 「注釈」

「散銭開」─賽銭箱を開く行事か。

 

「神前両人」─神宮寺別当と大禰宜伊達紀伊守の二人。

 

「舛物」─枡で計量された供物。米や小麦のことか。

 

「枡取」─枡を使ってはかること。また、その人(『日本国語大辞典』)。

 

「薦敷」

 ─未詳。神事で薦を用意する役目のものか。名前は千吉(「小童祇園社祭式歳中行事定書 その4」参照)。

 

「正願寺」─広島県三次市甲奴町小童一三四八。曹洞宗円通寺正願禅寺。貞享元年(一六八四)開山。