周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

須佐神社文書 参考史料2の6

五〇 小童祇園社祭式歳中行事定書 その6 一九月 御祭礼規式 米壱石弐斗壱升 村辻ヨリ献上其年之当人四人江受取 内 三斗 神酒米并糀米共八月廿八日禰宜実光ニテ 当人造込諸道具者禰宜ニテ借用仕旧例也 弐斗 御供餅神宮寺ニテ九月六日ニカス 舛取万吉 見改陸…

須佐神社文書 参考史料2の5

五〇 小童祇園社祭式歳中行事定書 その5 一十八日 散銭開振舞 神前両人ヨリ招人左之通 陸奥 形部 加賀 薦敷 十七日十八日散物神前両人二ツ割之事 三体御輿之前散物十三日ヨリ十四日御幸迄輿番四人之者頂戴 三体御輿御旅殿ニテノ散物者薦敷頂戴之事 大御輿之…

須佐神社文書 参考史料2の4

五〇 小童祇園社祭式歳中行事定書 その4 一十五日 於御旅所献上(割書)「御 供三舛三合御神酒三舛三合」実光ヨリ出ス 此御下リ仮殿ニテ社人不残戴居候処出雲儀故有テ天保元未年ヨリ此席ニ不面 御神楽献惣社人ヨリ、勤方三太夫前ニ同 但此散物社人銘々ヨリ…

須佐神社文書 参考史料2の3

五〇 小童祇園社祭式歳中行事定書 その3 一十四日 御精進供 神宮寺ヨリ献 早朝ヨリ諸方参詣之人々ヨリ御神楽献上ノ分三太夫引受之事 但料物三ツ割ニシテ三人頂戴其内三分薦敷江遣事 御鬮受 陸奥 御幸御機嫌窺 太 鼓 形部 舞 加賀 宇賀村石見於拝殿ニ御祓献…

須佐神社文書 参考史料2の2

五〇 小童祇園社祭式歳中行事定書 その2 一五月四日 菖蒲蓬備候事 舛取之役也 一同 廿九日 忌指榊青近村円満寺山ト高山天神山ニテ隔年ニ御当四人之内ゟ申合伐 ニ参、此料米壱舛九月御当米ノ内ヨリ出候事 紙手切役 陸奥 弐本 本社鳥居エ立 舛取万吉 注連共 …

須佐神社文書 参考史料2の1

五〇 小童祇園社祭式歳中行事定書 その1 天保七年(一八三六) 小童村 「解説」 祇園社(現在の小童須佐神社)の神事祭礼等の年間行事の詳細を記録したものである。当時は神仏習合の時代で、神宮寺別当は甲山町今高野山安楽院の僧が兼帯し、祢宜伊達紀伊守…

弓矢の道と同性愛

文安五年(一四四八)七月二十五日条 (『康富記』2─315) 廿五日己酉 晴、於三福寺講述而篇了、 傳承分、今朝飯尾四郎右衛門尉遁世云々、加賀入道次男也、此間與細河讃州被官人、 有公事之子細、一昨日屬無為分也、尚有其憤之故歟如何、其謂聞及分ハ、…

須佐神社文書 参考史料1の7(完)

小童祗園社由来拾遺伝 その7 *改行箇所は 」 を使って示しておきます。また、一部異体字を常用漢字に改めたと ころがあります。書き下し文についても、私の解釈に基づいて、原文表記を変更した 箇所があります。 貧道生質愚昧にして」目睫さへ見ること不叶…

須佐神社文書 参考史料1の6

小童祗園社由来拾遺伝 その6 *改行箇所は 」 を使って示しておきます。また、一部異体字を常用漢字に改めたと ころがあります。書き下し文についても、私の解釈に基づいて、原文表記を変更した 箇所があります。 又伝ふ素盞嗚尊の御童児の御時は」御名を牛…

須佐神社文書 参考史料1の5

小童祗園社由来拾遺伝 その5 *改行箇所は 」 を使って示しておきます。また、一部異体字を常用漢字に改めたと ころがあります。書き下し文についても、私の解釈に基づいて、原文表記を変更した 箇所があります。 于茲当山に金牛正銀と云者あり」十方勤化し…

須佐神社文書 参考史料1の4

小童祗園社由来拾遺伝 その4 *改行箇所は 」 を使って示しておきます。また、一部異体字を常用漢字に改めたと ころがあります。書き下し文についても、私の解釈に基づいて、原文表記を変更した 箇所があります。 又山かつの昔語ニ素盞嗚尊ハ」伊弉議尊の第…

須佐神社文書 参考史料1の3

小童祗園社由来拾遺伝 その3 *改行箇所は 」 を使って示しておきます。また、一部異体字を常用漢字に改めたと ころがあります。書き下し文についても、私の解釈に基づいて、原文表記を変更した 箇所があります。 人王四十九代」光仁天皇御宇宝亀二年辛亥」…

須佐神社文書 参考史料1の2

小童祗園社由来拾遺伝 その2 *改行箇所は 」 を使って示しておきます。また、一部異体字を常用漢字に改めたと ころがあります。書き下し文についても、私の解釈に基づいて、原文表記を変更した 箇所があります。 時に前なる」松の樹小鳩壱つがひ来り、是よ…

須佐神社文書 参考史料1の1

【参考史料1】 小童祗園社由来拾遺伝 その1 「解説」(『甲奴町誌』資料編一、一九八八) この記録は小童祇園(現在の須佐神社)の神宮寺別当(貧道か)が小童祇園社の由来にかかわる種々の伝承を書き遺したものである。「二、須佐神社縁起」と同じ内容の…

この木何の木? 餅のなる木

文安五年(一四四八)五月二日条 (『康富記』2─289頁) 二日丁亥 晴、 (中略) 一昨日室町殿祗候了、其時分、自大方殿、椿枝ニ餅之生タル被送進之間、人々稱奇異 見了、同於御前拜見之由令語給、此椿樹ハ嵯峨雲居庵之庭之椿也、赤キ餅ノちいさき が出…

須佐神社文書 その5(完)

一 須佐神社縁起 その5 *本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきます。 一ひごのくにせらごおりひち村、むとうざんきおんしやふじやこずてんのふちん ざしだいき 座次第記 さんじや おうミやうちこさつす ひかしにじやどくきちんてんのふ、…

須佐神社文書 その4

一 須佐神社縁起 その4 *本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきます。 (讃岐) 太郎王子、そふかふてんのふ、さぬきの國たきのやしろ、こすてんのふ、 (本) (日光菩薩) (大歳神) (魔王天王) ほん地につかふぼさつ、だいさいぢん…

須佐神社文書 その3

一 須佐神社縁起 その3 *本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきます。 いそ もちゆき (疑) 一ふてあそばし給はゝ、急ぎ持行娘と娵とにかけけれバ、うたがいなくたすかり、 のかる 遁るものなり、 (札守) (立) (弓) こたん將來處に…

須佐神社文書 その2

一 須佐神社縁起 その2 *本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきます。 (崇神天皇) (戊子) (疫癘) 一しゆぢんてんのふつちのへね、天下ニゑきれいはやる、しする物過分、 (欽明天皇) (丙寅) (民) 一きんめいてんのふひのへとら…

須佐神社文書 その1

一 須佐神社縁起 その1 *本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきます。 (前闕) 「 」の中國 (牛頭天王) [ ]國こずてんのふ[ ]にあまつ (伊弉諾) (さなみふたヵ) [ ]七代に當て、いさなきい[ ]はしらの 尊を、中てん[ ]い…

須佐神社文書 紹介

「須佐神社文書解説」 当社は「小童(ひち)の祇園さん」の名前で親しまれている。『芸藩通志』によると「文禄三年甲午(一五九四)毛利氏営造」とあるが、これは社殿の造立を指していると思われる。当社の縁起はそれをさかのぼる文明元年(一四六九)の成立…

福王寺文書22 その7(完)

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その7 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま 記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が 長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していき…

福王寺文書22 その6

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その6 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま 記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が 長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していき…

福王寺文書22 その5

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その5 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま 記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が 長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していき…

福王寺文書22 その4

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その4 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま 記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が 長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していき…

福王寺文書22 その3

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その3 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま 記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が 長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していき…

中世のキラキラネーム ─女子の幼名はどう決まる?

文安五年(一四四八)四月十五日条 (『康富記』2─274頁) 十五日庚午 晴、 (中略) 鴨御蔭山祭也、祭儀如例、予密々伴山下親衛禅門見物、先過出雲路道祖神敬白之 (サイ) 處、或女姓令懐兒女、可被付名之由、令申山下之間、卽道祖ト付了、其母堂卜シ…

福王寺文書22 その2

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その2 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま 記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が 長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していき…

福王寺文書22 その1

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その1 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま 記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が 長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していき…

福王寺文書21

二一 別當僧正某安堵状寫 別當僧正書判 新熊野社領安藝国三入庄領家職事、任二相傳一令二知行一候、有レ限社役以下任二先 例一無二懈怠一、可レ被レ致二其心得一之由別當僧正御房所レ仰也、仍執達如レ件、 (1368) 應安元年八月十三日 權大僧都書判 權大僧…

福王寺文書20

二〇 武田光誠氏信宛行状寫 (安北郡) 侍従阿闍梨良海申安藝国可部庄内福王寺別當職事、右就二良海由緒一令レ申之間所二 宛行一也、任二先例一可レ致二沙汰一之状如レ件、 (1375) 永和元年八月 日 判 侍従阿闍梨御房 「書き下し文」 侍従阿闍梨良海申す安…

福王寺文書19

一九 武田信繁安堵状寫 安藝国安北郡可部庄内福王寺領(割書)「後山綾谷」名之事、於二而諸役等一者不レ 可レ有二違乱煩一候、若致下背二此旨一輩上者、不レ可レ爲二子孫一者也、仍爲二後證一 状如レ件、 (1436) 永享八年十月十五日 前伊豆守信繁 判 福王…

ハゲの悩みは通時代的か!?

文安元年(一四四四)八月十九日条 (『康富記』2─89頁) 十九日乙丑 晴、供養妙徳庵坊主、山城国水無瀬、(割書)「或ハ廣瀬トモ云、山崎 ノ南也、」在行基御作阿彌陀佛、金泥、三尺餘、 経数百之星霜、坐一宇之蘭若、近 年破壊、見路道、侵雨露之間、人…

福王寺文書18

一八 沙弥乗光武田信在寄進状寫 寄進 (安北郡) (奈ヵ) 安藝国可部庄福王寺奥院大師御影堂免、同庄内小桑原田畠山所等事、 (マ丶) 右此免田等、致二子々孫々一有二違乱煩一者、不レ可レ爲二子孫一之状如レ件、 (1400) 應永七年正月十一日 沙弥乗光 福…

福王寺文書17

一七 守護代沙弥惠一宛行状寫 宛行 可部庄内重吉名主職 合田數注文別紙在レ之 福王寺院主觀蜜坊 右名者、先名主禪智房依レ有二子細一、寺務職云彼名主分云被二召放一畢、雖レ然 以二別儀一所レ加二下知一也、早任二先例一有レ限濟物御公事等可レ被二勤仕一之…

福王寺文書16

一六 武田光誠氏信書状寫 不動堂建立事尤可レ然候、仍爲二彼寺領一始二苻中之堤興行事一、在所繪圖加二一 見一畢、不レ可レ有二子細一候、且當堂被二取立一候後、寄附状等者重可レ進候、先 以二此状一可レ有二御興隆一候也、恐々謹言、 正月十七日 光誠 判 …

福王寺文書15

一五 武田光和安堵状寫 福王寺別当職并諸末寺社家殊九品寺之事、任二先判之旨一被レ全二寺務一、不レ可レ 有二修理勤行等懈怠一之状如レ件、 八月一日 光和判 福王寺 「書き下し文」 福王寺別当職并に諸末寺社家殊に九品寺の事、先判の旨に任せ寺務を全うせ…

福王寺文書14

一四 武田信在安堵状寫 安藝国可部庄九品寺事 右當寺院主職者、先年御知行之間、如レ元返二付于福王寺一、別當良海阿闍梨申 之處也、仍全二知行一 天地長久之御祈禱可レ被レ致二精誠一之状如レ件、 (1393) 明徳四年三月廿四日 伊豆守信在判 「書き下し文」…

福王寺文書13

一三 武田信在安堵状寫 安藝国可部庄福王寺院主職事 (智) 右當寺院主職同寺領等、任二弁律師禅知之例一、一円寺務管領不レ可レ有二相違一之 状如レ件、 (1392) 明徳三年六月一日 信在判 (良海) 福王寺別當侍従阿闍梨御房 「書き下し文」 安芸国可部庄…

福王寺文書12

一二 武田氏信安堵状寫 福王寺領安藝国可部庄内重吉名事 右當名者、爲二往古寺領一之上者、寺務不レ可レ有二相違一之状如レ件、 (1359) 延文四年十一月廿二日 伊豆守判 別當兵部卿律師御房 「書き下し文」 福王寺領安芸国可部庄重吉名の事 右当名は、往古…

福王寺文書11

一一 法眼郎舜奉書寫 福王寺免田等事、御寄進之状進レ之候、此上者爲二當寺御祈禱所一、可レ被レ進二毎 年御巻数一候也、仍執達如レ件、 (1329) 嘉暦四年八月廿八日 法眼郎舜奉判 謹上 福王寺別當御房 「書き下し文」 福王寺免田等事、御寄進の状之を進ら…

福王寺文書10

一〇 備後権守長兼書状寫 (候脱) 御巻数入二見参一候了、神妙之由所二御気色一也、恐々謹言、 十二月十三日 備後権守長兼判 福王寺別当御房 御返事 「書き下し文」 御巻数見参に入れ候ひ了んぬ、神妙の由御気色候ふ所なり、恐々謹言、 「解釈」 ご巻数をお…

こんなところで産まなくても…

嘉吉二年(一四四二)十月十九日条 (『康富記』1─306頁) 七社奉幣事、 十九日丙午 晴、 (中略) 是日管領被レ立二両使(割書)「飯尾肥前入道、松田対馬入道、」於石清水一、是 自二社家一有二注進一云、猪之鼻辛櫃石邊にて妊婦令レ産レ子令二触穢一…

福王寺文書9

九 足利義満御判御教書寫 爲二天下安全一、可レ致二祈禱之精誠一之状如レ件、 (1394) (義満) 應永元年十一月九日 御判 (良海) 福王寺院主侍従律師御房 「書き下し文」 天下安全の為、祈祷の精誠を致すべきの状件のごとし、 「解釈」 天下の安全のため…

福王寺文書8

八 武田信賢安堵状寫 (別) 安祥寺御法流、悉依二御相傳一、爲二天下護持一、相二副東寺之佛舎利并勅筆一被二授 与一之上者、於二當國聖道門家一可レ爲二捴別當一之旨申定訖、若有二違背之族一者、 可レ加二成敗一之状如レ件、 (1460) 長禄四年八月廿七日…

福王寺文書7

七 武田信賢禁制寫 禁制 福王寺領山上山下條々 一伐二採山木一事 一女人夜宿事 一往来僧俗并乞食不レ可レ入事 一軍勢甲乙人等不レ可三乱二入寺領一事 一於二寺領一不レ可二殺生一事(割書)「但、大宮一頭狩者非制之限」 右於二違犯之輩一者、不レ嫌二権門高…

福王寺文書6

六 安祥寺隆快叙位状寫 大勝金剛院 權大僧都寛雅 冝叙法眼 (1460) 長禄四年八月廿七日 別當權大僧都法眼大和尚位 判 *書き下し文・解釈は省略。 「注釈」 「大勝金剛院」─西安祥寺のことか。1号文書の注釈参照。ただ、22号文書「安藝国 金龜山福王寺縁…

福王寺文書5

五 福王寺僧官人数記寫 福王寺之僧官位事 權少僧都 五人 權律師 十人 阿闍梨 十人 右廿五人、永代爲二寺官一昇進之事、不レ可レ有二子細一候、此外不レ可レ有二競望之 儀一候也、 (1460) 長禄四年八月廿七日 安祥寺權大僧都隆快 判 福王寺 別當御房 「書き…

福王寺文書4

四 後花園天皇口宣案寫 上卿 廣橋中納言 (1459) 長禄三年七月十一日 宣旨 權少僧都寛雅 冝轉權大 蔵人頭右大辨兼山城守權藤原経茂奉 *書き下し文・解釈は省略。 「注釈」 「廣橋中納言」─広橋綱光。 「寛雅」─未詳。福王寺の住持か。 「権少僧都」─僧正に…

福王寺文書3

三 後花園天皇口宣案寫 上卿 甘露寺中納言 (1454) 享徳三年四月廿一日 宣旨 權律師寛雅 冝任權少僧都 (大脱) 蔵人權右辨藤原経茂奉 *書き下し文・解釈は省略。 「注釈」 「甘露寺中納言」─甘露寺親長。 「権律師」─僧綱第三位の僧官。律師には、大律師…