周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

福成寺文書8

八 毛利氏奉行人連署禁制 禁制 安藝国東西条福成寺 (通直) 右、今度爲二河野殿御会合所一、有三数日御二逗-留當山一也、仍至二四至傍尓一、 山野竹木伐採以下之狼藉、堅被二停止一畢、若於二違背之族一者、忽可レ被レ處二 重科一旨、依レ 仰下知如レ件、 …

福成寺文書7

七 小早川隆景書状 當山之儀、前々姿聊無二相違一申談、何篇不レ可レ存二疎意一候、猶裳懸河内守可レ 申候、恐々謹言、 十月九日 隆景(花押) 福成寺々務 御同宿中 「書き下し文」 当山の儀、前々の姿聊かも相違無く申し談じ、何篇疎意を存ずべからず候ふ、…

遺骨の使いみち

応永二十九年(一四二二)九月六日条 (『看聞日記』2─224頁) 六日、雨降大風吹、所々吹破、御所門以下破了、 (中略) 抑聞、於河五条原今日大施餓鬼依風雨延引云々、此事去年飢饉病悩万人死亡之間、 為追善有勧進僧、〈往来囉斎僧相集、〉以死骸之骨…

自死の中世史 32 ─吾妻鏡1─

寿永元年(一一八二)二月十四・十五日条 『吾妻鏡』第二(『国史大系』第三二巻) 十四日乙卯、伊東次郎祐親法師者、去々年已後、所被召預三浦介義澄也、而御臺所御懷孕之由風聞之間、義澄得便、頻窺御氣色之處、召御前、直可有恩赦之旨被仰出、義澄傳此趣…

自死の中世史 31 ─古代史研究の紹介2─

以前、「古代史の研究紹介1」(「自死の中世史10」)で、鈴木英鷹氏の論文を紹介しましたが、その引用文献のなかに、かなり古い歴史学者の論文がありました。最近、それをやっと読むことができたので、ここで紹介しておきたいと思います。 江馬務「自殺史…

福成寺文書6

六 小早川隆景書状 至二此間一者厳嶋、山中衆下向、炎天之時分御気⬜︎儀候、次用段之儀、従二両人一 可レ申候、御同心可レ爲二祝着一候、猶日名内源三可レ申候、恐々謹言、 七月一日 隆景(花押) 福成寺 一山中 「書き下し文」 此の間に至りては、厳島に山中…

福成寺文書5

五 毛利輝元書状 (通直) 就二今度河野殿会合一、数日令二逗留一之處、毎事御馳走祝着候、殊往代之證文等 (元秀) (元勝) 銘々披二見之一、感入存候、猶赤川十郎左衛門尉粟屋右京亮可レ申候、恐々謹言、 (天正十二年)(1584) 六月廿五日 輝元(花押)…

福成寺文書4

四 毛利輝元加判并同氏奉行人連署制札 (輝元) (花押) 右當寺立山竹木採用之事、堅加二制止一畢、若於二違犯族一者、可レ被二厳科一之旨、 依レ 仰制札如レ件、 (1572) 赤川(元秀) 元亀参年二月九日 十郎左衛門尉(花押) 粟屋(元眞) 掃 部 助(花…

福成寺文書3

三 毛利弘元書状 爲二末代一愁訴も如何ニ候之間、就二御申一自二御奉行衆一承候者、以レ次心底申上 度候、被二御心得分一候て可レ被レ懸二御意一候、委細之旨、飯田下野守護御使者 可二申入一候、毎事重而恐惶謹言、 三月廿一日 弘元(花押) (周防興隆寺)…

福成寺文書2

二 後村上天皇綸旨(宿紙) (賀茂郡) 安藝國東條郷之内三永村事、爲二福成寺領一令二寄附一了、寺務不レ可レ有二相違一 者、天気如レ此、悉レ之、以状、 (1358) 正平十三季十二月八日 左中将(花押) 「書き下し文」 安芸国東條郷の内三永村の事、福成寺…

福成寺文書1

【福成寺文書】 解題 この寺は真言宗の古刹で、縁起によると聖武天皇の開基で寺号を「福納寺」と称えていたが、弘法大師巡錫の時、寺地を移し、その後は「福成寺」と呼ぶようになった。源平合戦のころ、源範頼の軍勢は平家を討つためこの地方へも下向し、安…

疫神の中世的イメージ

応永二十八年(一四二一)五月二十八日条 (『看聞日記』2─133頁) (冷泉範綱ヵ) (後小松上皇) 廿八日、正永参語世事、洛中病死興盛、言語道断事云々、此間仙洞有御夢想、相国 寺門前ニ牛千頭許群衆、門内へ欲入、而門主防之追出、前ニ進ム牛声ヲ出…

榊山神社文書(完)

【榊山神社文書】 解題 熊野庄内各社の物申役を勤めた梶山氏に伝来する文書である。 一 熊野社神田注文 熊野之内御神田[ 一米五石 八幡御神田 物申かゝへ (ヵ) 一壹石五斗 す才神田 物申かゝへ 此内四斗五升ハ不作 一米五斗 熊のう神田 物申かゝへ (王)…

野村文書3(完)

三 阿曾沼元秀宛行状(切紙) (安芸安南郡) (成) 爲二太郎給地一、上世能之内貳貫目宛行候、彼者盛人之間者、其方奉公肝要候、 左候者従二勲功一弥々可レ加二扶持一候、仍状如レ件、 (1579) 天正七年〈己卯〉十一月吉日 元秀(花押) 野村淡路守殿 「…

野村文書2

二 阿曾沼元秀宛行状(切紙) (野村) 今度上口淡路守供之段神妙候、弥奉公肝要候、於レ然者壹貫五百目太郎ニ可レ遣 者也、仍所レ定如レ斯、 (1579) 天正七年〈己卯〉 貳月六日 元秀(花押) 野村太郎殿 *割書は〈 〉で記載しました。 「書き下し文」 今…

野村文書1

解題 野村氏は承久三年(一二二一)阿曾沼親綱が甲斐国より安芸国世能庄に移った際に、その三男信綱・四男貞綱が従って来たのにはじまるという。 一 毛利輝元書状(切紙) (捻封ウハ書) (元勝) 「 國司右京亮殿 (就秀) 粟屋宗兵衛殿 輝元 [ ]殿 」 …

三戸文書(完)

解題 三戸源十郎は有次の二男で、元就の代に新規に召し出され、別家を建てたという。永禄五年(一五六二)元就から就の一字を賜り、就安を称することになる。元亀二年(一五七一)西市助、同三年輝元から一郎右衛門に任じられている。 一 毛利輝元書状(切紙…

尾崎八幡宮文書5(完)

五 矢野八幡宮御供注文 一 御くう上せんの事 もちかす 大宮十六 十一せん 小せん もちかす 十 十一せん 合廿二前 一しゝこまいぬのもち二ツつゝ 門まろうと二ツつゝまり 一ゑひすのもち一ツ まいさん米一升三合 (1554) 天文廿三年八月 「書き下し文」 一つ…

尾崎八幡宮文書4

四 元勝名字状(折紙) 實名 勝重 永禄拾(1567) 十一月十八日 元勝(花押) 矢野祝部 香川神六殿 ○以上、四通ヲ一巻ニ収ム *書き下し文、解釈、注釈は省略しました。

尾崎八幡宮文書3

三 神田勝乗寄進状 (営) 屋能八幡宮江爲二御造榮一、屋能郷内壹貫貳百目、岡入宮之脇在レ之、 右御神田、當年天文拾年之従二上毛一引進上候、彼田年々之土貢を以可レ有二 御造立一之由候、 (1541) 神田三河守 天文十年十月三日 勝乗(花押) 物申源左衛…

中世のファフロツキーズ ─空から鮒が降ってきた─

応永二十七年(一四二〇)六月二十九日条 (『看聞日記』2─59頁) 廿九日、晴、晡夕立降、 (中略) 抑室町殿仕女局ニ鮒自天降下云々、不思儀事也、陰陽師火事之由占申云々、此局 洞院娘西御方也、其後此女房室町殿背御意、被成尼云々、所詮此女房恠異也…

自死の中世史 30 ─中世の説話9・説話のまとめ─

「死の道を知らざる人の事」十二『沙石集』巻第八ノ五 (『新編日本古典文学全集』52、小学館、2001) 天竺に、那蘭陀寺の戒賢論師と云ひしは、付法蔵の三蔵、やんごとなき智者にて、玄奘三蔵の師なり。重病に沈みて、苦痛忍び難かりければ、自害せん…

自死の中世史 29 ─中世の説話8─

「薬師・観音の利益によりて命を全くする事」『沙石集』巻第二ノ四 (『新編日本古典文学全集』52、小学館、2001) 尾張国に、右馬允某甲と云ふ俗ありけり。承久の乱の時、京方にて杙瀬河の戦に、手あまた負ひてけり。既に止め刺して打ち棄ててき。武…

尾崎八幡宮文書2

二 野間興勝補任状 (安藝郡安南郡) (得) 屋能郷祝師役之事、親國重大夫任二幣次一助六ニ申付所也、社領存知徳分儀者有二 別紙ニ一、仍爲レ後證状如レ件、 (1530) 享禄三年〈庚寅〉卯月一日 興勝(花押) (異筆) 「香川 祝師所へ 助六」 *割書は〈 …

尾崎八幡宮文書1

解題 当社の社掌の香川氏は、同氏の系図によると鎌倉権大夫家正にはじまる。子経高は源義平の命によって相州高座郡香川庄に移ったことから香川氏を称したという。 その後、香川氏は尾張国内海庄の宇津海八幡宮に奉祀した。文安二年(一四四五)領主野間重能…

木村文書4(完)

四 狐爪木神社制札 ◯木札 禁制 大宮司 一甲乙人等亂入事 一竹木伐取事 一網張鳥類取事 (1552) 天文廿一年八月 「書き下し文」 禁制 大宮司 一つ、甲乙人等乱入の事、 一つ、竹木伐り取る事、 一つ、網を張り鳥類を取る事、 「解釈」 禁止する。 大宮司 一…

木村文書3

三 狐爪木神社制札 ◯木札 禁制 一甲乙人等亂入事 (竹木伐取之事ヵ) 一[ ] (殺生之事ヵ) 一[ ] (1542) 天文十一年八月 「書き下し文」 禁制 一つ、甲乙人等乱入の事、 一つ、竹木伐り取るの事(ヵ)、 一つ、殺生の事(ヵ)、 「解釈」 禁止する。 …

木村文書2

二 毛利氏奉行人連署打渡坪付寫 本勅司分 田六町一反 一分錢 四拾九貫四百五十文 畠七町二反小 柳 一分錢 四貫文 大御堂 一分錢 三貫六百文 (1552) 宍 戸 左 馬 助 天文廿一年五月一日 元親 児玉二郎右衛門尉 就久 (源ヵ) 波多野⬜︎兵衛尉(兼ヵ) ⬜︎信 …

天狗のイタズラ

応永二十七年(一四二〇)六月二十七日条 (『看聞日記』2─59頁) 〔釈〕 廿七日、晴、酉時有大地震、帝尺動也、又有焼亡、〈申時歟、〉北小路油小路辺 云々、天狗洛中荒云々、先日中京辺在家四五間菖蒲を逆ニ葺云々、天狗所為歟、 炎旱非只事、御祈禱雖…

自死の中世史 28 ─中世の説話7─

「臨終に執心を畏るべき事」『沙石集』巻第四ノ五 (『新編日本古典文学全集』52、小学館、2001) 近比、小原に上人ありけり。無智なりけれども、道心の僧にて、かかる浮世に、長らへてもよしなく思ひければ、三七日、無言して、結願の日、頸をくくり…