周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

石井文書(石井英三氏所蔵)2

二 毛利隆元書状寫 毛利隆元公御判物 『竪紙』 石井侘言事、『以下三字不分明』、於二防州之地一『以下文字不知』、右可レ遣レ之 (粟屋元親) 粟右『以下右同断』、罷二下裁判一候て遣候へと、可被申聞候、謹言、 十一月四日 隆元御書判 『端書ニ』 (石井…

石井文書(石井英三氏所蔵)1

解題 本文書は文化十一年(1814)正月、財満氏伝来諸旧記類改写帳に所収されたものである。石井正樹家の一号文書一通、石井昭家の全九通の写とすでに原本を失った二十一通の写をのせる。江戸時代後期の写であるが原本の存するものを校してみるに資料とし…

未来からのサイン

応永三十二年(一四二五)二月二十八日条 (『図書寮叢刊 看聞日記』3─99頁) 参議右中将義量 廿八日、晴、入風呂如例、将軍他界実事也、昨夕云々、為天下驚歎、両三年内損、此 間興盛、種々被尽祈療、然而無其験、遂被堕命、当年十九歳也、尤可惜々々、…

自死の中世史 34 ─吾妻鏡3─

文治元年(一一八五)十月十三日条 『吾妻鏡』第五(『国史大系』第三二巻) 十三日壬戌、去十一日并今日、伊豫大夫判官義經潜參 仙洞、奏聞云、前備前守行家向背關東企謀反、其故者、可誅其身之趣、鎌倉二位卿所命、達行家後聞之間、以何過怠可誅無罪叔父哉…

周梨槃特の巨木コレクション(未完)

少しばかり思い入れのある巨木の写真を紹介します。 庄原市高野町新市「乳下りイチョウ」 鳥取県湯梨浜町松崎「松崎神社のスダジイ」 鳥取県琴浦町「伯耆の大シイ」 尾道市「艮神社のクスノキ」 三原市「糸崎神社のクスノキ」 岡山県奈義町高円「菩提寺の大…

石井文書(石井昭氏所蔵)9(完)

九 周防國都濃郡検知打渡坪付 防州都濃郡検地〈打渡坪付〉事 (追筆ヵ) 「五千石之内」 合 戸田郷 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(紙継目裏印)・・・ センホウ道捽 井口ノ 田四反小 米三石貳斗五升 新二郎 ヤチウタ スカハラノ 田貳反 米九…

石井文書(石井昭氏所蔵)8

八 大内氏奉行人連署書状(切紙) (深津郡) (弘中) 去四日備後外郡五ヶ庄動之時、人数等令二馳走一出張之由、隆兼注進之趣遂二 披露一候、尤神妙之由、得二其心一可レ申之旨候、恐々謹言、 (天文十六年)(1547) (小原) 六月十二日 隆言(花押) (…

石井文書(石井昭氏所蔵)7

七 大内氏奉行人書状(切紙) (安芸賀茂郡) (杉) 造賀要害ニ長々令二在城一、毎事馳走之由、隆宣注進之趣遂二披露一候、尤神妙之 通、以二御書一被二仰出一候、面目之至候、弥可レ被レ遂二忠節一之通、能々可レ申之 旨候、恐々謹言、 (天文七年ヵ)(15…

石井文書(石井昭氏所蔵)6

六 杉隆宣書状(切紙) 内々かの平二郎申しさい候条、於二此方一よくゝゝ相きわめ、すてにしき相調候、 城内之儀、右之人と申たんし、そのかくこ肝要にて候ふ、なを定兼可レ申候、恐々 謹言、 六月十六日 隆宣(花押) (房家) 石井和泉守殿 進之候 「書き…

石井文書(石井昭氏所蔵)5

五 大内義隆安堵状 (義隆) (花押) 父元家所帯事、任二去天文八年十二月廿日之譲状之旨一、石井九郎三郎宣家、可レ 全二領知一之状如レ件、 (1543) 天文十二年三月十七日 「書き下し文」 父元家所帯の事、去んぬる天文八年十二月二十日の譲状の旨に任せ…

ハーレム内の憂鬱4 ─中世公家密通法─

永享二年(一四三〇)五月十一日条 (『図書寮叢刊 看聞日記』3─201頁) (正親町三条) 五月十一日、晴、仙洞女房一条局〈日野中納言盛光卿女、〉令懐妊云々、是三条中将 (後小松上皇)(足利義教) (実煕) 実雅朝臣所犯也、自仙洞室町殿へ被訟仰之…

ハーレム内の憂鬱3

応永三十一年(一四二四)六月一日・四日・八日条 (『図書寮叢刊 看聞日記』3─38〜45頁) (田向) (兼宣) 六月一日、晴、毎事幸甚々々、祝着如例、抑長資朝臣自広橋可来之由申間出京、是仙 (称光天皇) 洞女中事、此間被閣了、而再発、禁裏・仙洞…

ハーレム内の憂鬱2

応永三十一年(一四二四)五月十二日・十五日・十六日・二十日条 (『図書寮叢刊 看聞日記』3─36〜37頁) 十二日、晴、入夜大雨降、行豊朝臣参語世事、仙洞女房事御所中女房達皆御糺明、随 而卿相雲客十人許ツヽ結番被書告文、三ケ日殿上ニ被召置祗候被…

ハーレム内の憂鬱1

応永三十一年(一四二四)五月六日・七日・九日条 (『図書寮叢刊 看聞日記』3─35〜36頁) (後小松上皇) 六日、時々雨灑、只今聞、仙洞祗候女房大納言典侍殿〈甘露寺故大納言兼長卿息 〔世〕(持頼ヵ) 女、〉逐電云々、土岐与安密通露顕云々、但定説…

石井文書(石井昭氏所蔵)4

四 石井賢家合戦手負注文(切紙) (證判) (大内義長) 「一見畢、 (花押)」 石井蔵人賢家謹而言上 欲下早賜二 御證判一備中後代亀鏡上軍忠状之事 右、去年〈天文廿貳〉、至二石州一、吉見大蔵少輔正頼要害御取懸之時、被レ疵之 次第、備レ左、 去年八月…

石井文書(石井昭氏所蔵)3

三 大内義興感状(切紙) (安藝安南郡) (興房) 去九日熊野要害落居之時、被二矢疵〈左腕〉一之由、陶尾張守注進状一見畢、尤 神妙之至也、弥可レ勵二戦功一之状如レ件、 (1527) (義興) 大永七年二月十三日 (花押) (宣家) 石井九郎三郎殿 「書き…

自死の中世史 33 ─吾妻鏡2─

元暦二年(一一八五)五月二十七日条 『吾妻鏡』第四(『国史大系』第三二巻) 廿七日己酉、源藏人大夫頼兼申云、去十八日、盗人令推參禁裏、盗取晝御座御劒、藏人并女官等動揺求之、頼兼家人武者所久實、追奔于左衛門陣之外生虜之、奉返置御劒於本所、件犯…

石井文書(石井昭氏所蔵)2

二 石井元家合戦手負注文(切紙) (證判) (大内義隆) 「一見了、 (花押)」 (マヽ) 石井平右衛門尉元家謹言上 欲下早賜二 御證判一備中後代亀鑑上軍忠状事 (賀茂郡) 右、去年〈天文五〉十一月七日、於二藝州高屋平賀蔵人大夫興貞要害頭崎詰口一、 …

石井文書(石井昭氏所蔵)1

解題 石井昭家は先の石井正樹家と同族とみられる。その系図によると桓武平氏の出で、二十一代駿河太郎重時までは名越を称していたが、元弘年中北条高家の密意を受けて芸備を経回して、志和内村(東広島市志和町)石井城に住むことになって以来、石井を称する…

石井文書(石井正樹氏所蔵)3(完)

三 大内義長安堵状寫 (義長) (花押寫) (マヽ) 天文廿三年八月十二日賢家所務證文、藝州混乱之時紛失云々々、任二先規一可レ令二 領地一所、依執達如レ件、 天文廿三年(1554) 月 日 (賢家) 石井蔵人殿 ○本文書研究ノ要アリ 「書き下し文」 天文二十…

石井文書(石井正樹氏所蔵)2

二 大内義隆安堵状寫 此所ニ(義隆) 御在判 此所ニ(義隆) (所) (マヽ) 元家世帯之事、石井九郎三郎宣家任二譲状之旨一、可レ全二領地一之所、依執達 如レ件、 天文三年(1534) 五月三日 石井九郎三郎殿 ○本文書研究ノ要アリ 「書き下し文」 元家世帯…

石井文書(石井正樹氏所蔵)1

解題 石井正樹家は江戸時代には賀茂郡中四日市(東広島市西条町)において小倉屋と称していた。同家系図によると防州都濃郡と長州厚東郡万倉口にあった石井和泉守の子孫兵衛尉元家が志和内村(東広島市志和町)寺山城主、東西条佐々村石堂村寺家村(西条町)…

福成寺文書9(完)

九 阿曾沼元秀書状 (端裏捻封ウハ書) 「 より [ ] ⬜︎同宿中 阿豊 」 已上 今度者御無心之儀申候処ニ、御分別本望存候、清道寺廿石之地令レ進レ之候、可レ 有二御知行一候、弥々御馳走憑存候、恐々謹言、 慶長二(1597) 阿曾沼 五月十日 豊後守(花押) …

福成寺文書8

八 毛利氏奉行人連署禁制 禁制 安藝国東西条福成寺 (通直) 右、今度爲二河野殿御会合所一、有三数日御二逗-留當山一也、仍至二四至傍尓一、 山野竹木伐採以下之狼藉、堅被二停止一畢、若於二違背之族一者、忽可レ被レ處二 重科一旨、依レ 仰下知如レ件、 …

福成寺文書7

七 小早川隆景書状 當山之儀、前々姿聊無二相違一申談、何篇不レ可レ存二疎意一候、猶裳懸河内守可レ 申候、恐々謹言、 十月九日 隆景(花押) 福成寺々務 御同宿中 「書き下し文」 当山の儀、前々の姿聊かも相違無く申し談じ、何篇疎意を存ずべからず候ふ、…

遺骨の使いみち

応永二十九年(一四二二)九月六日条 (『看聞日記』2─224頁) 六日、雨降大風吹、所々吹破、御所門以下破了、 (中略) 抑聞、於河五条原今日大施餓鬼依風雨延引云々、此事去年飢饉病悩万人死亡之間、 為追善有勧進僧、〈往来囉斎僧相集、〉以死骸之骨…

自死の中世史 32 ─吾妻鏡1─

寿永元年(一一八二)二月十四・十五日条 『吾妻鏡』第二(『国史大系』第三二巻) 十四日乙卯、伊東次郎祐親法師者、去々年已後、所被召預三浦介義澄也、而御臺所御懷孕之由風聞之間、義澄得便、頻窺御氣色之處、召御前、直可有恩赦之旨被仰出、義澄傳此趣…

自死の中世史 31 ─古代史研究の紹介2─

以前、「古代史の研究紹介1」(「自死の中世史10」)で、鈴木英鷹氏の論文を紹介しましたが、その引用文献のなかに、かなり古い歴史学者の論文がありました。最近、それをやっと読むことができたので、ここで紹介しておきたいと思います。 江馬務「自殺史…

福成寺文書6

六 小早川隆景書状 至二此間一者厳嶋、山中衆下向、炎天之時分御気⬜︎儀候、次用段之儀、従二両人一 可レ申候、御同心可レ爲二祝着一候、猶日名内源三可レ申候、恐々謹言、 七月一日 隆景(花押) 福成寺 一山中 「書き下し文」 此の間に至りては、厳島に山中…

福成寺文書5

五 毛利輝元書状 (通直) 就二今度河野殿会合一、数日令二逗留一之處、毎事御馳走祝着候、殊往代之證文等 (元秀) (元勝) 銘々披二見之一、感入存候、猶赤川十郎左衛門尉粟屋右京亮可レ申候、恐々謹言、 (天正十二年)(1584) 六月廿五日 輝元(花押)…