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周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

こんなところで産まなくても…

嘉吉二年(一四四二)十月十九日条 (『康富記』1─306頁) 七社奉幣事、 十九日丙午 晴、 (中略) 是日管領被レ立二両使(割書)「飯尾肥前入道、松田対馬入道、」於石清水一、是 自二社家一有二注進一云、猪之鼻辛櫃石邊にて妊婦令レ産レ子令二触穢一…

福王寺文書9

九 足利義満御判御教書寫 爲二天下安全一、可レ致二祈禱之精誠一之状如レ件、 (1394) (義満) 應永元年十一月九日 御判 (良海) 福王寺院主侍従律師御房 「書き下し文」 天下安全の為、祈祷の精誠を致すべきの状件のごとし、 「解釈」 天下の安全のため…

福王寺文書8

八 武田信賢安堵状寫 (別) 安祥寺御法流、悉依二御相傳一、爲二天下護持一、相二副東寺之佛舎利并勅筆一被二授 与一之上者、於二當國聖道門家一可レ爲二捴別當一之旨申定訖、若有二違背之族一者、 可レ加二成敗一之状如レ件、 (1460) 長禄四年八月廿七日…

福王寺文書7

七 武田信賢禁制寫 禁制 福王寺領山上山下條々 一伐二採山木一事 一女人夜宿事 一往来僧俗并乞食不レ可レ入事 一軍勢甲乙人等不レ可三乱二入寺領一事 一於二寺領一不レ可二殺生一事(割書)「但、大宮一頭狩者非制之限」 右於二違犯之輩一者、不レ嫌二権門高…

福王寺文書6

六 安祥寺隆快叙位状寫 大勝金剛院 權大僧都寛雅 冝叙法眼 (1460) 長禄四年八月廿七日 別當權大僧都法眼大和尚位 判 *書き下し文・解釈は省略。 「注釈」 「大勝金剛院」─西安祥寺のこと。1号文書の注釈参照。 「権大僧都」─僧正について僧侶を統括する…

福王寺文書5

五 福王寺僧官人数記寫 福王寺之僧官位事 權少僧都 五人 權律師 十人 阿闍梨 十人 右廿五人、永代爲二寺官一昇進之事、不レ可レ有二子細一候、此外不レ可レ有二競望之 儀一候也、 (1460) 長禄四年八月廿七日 安祥寺權大僧都隆快 判 福王寺 別當御房 「書き…

福王寺文書4

四 後花園天皇口宣案寫 上卿 廣橋中納言 (1459) 長禄三年七月十一日 宣旨 權少僧都寛雅 冝轉權大 蔵人頭右大辨兼山城守權藤原経茂奉 *書き下し文・解釈は省略。 「注釈」 「廣橋中納言」─広橋綱光。 「寛雅」─未詳。福王寺の住持か。 「権少僧都」─僧正に…

福王寺文書3

三 後花園天皇口宣案寫 上卿 甘露寺中納言 (1454) 享徳三年四月廿一日 宣旨 權律師寛雅 冝任權少僧都 (大脱) 蔵人權右辨藤原経茂奉 *書き下し文・解釈は省略。 「注釈」 「甘露寺中納言」─甘露寺親長。 「権律師」─僧綱第三位の僧官。律師には、大律師…

福王寺文書2

二 後花園天皇口宣案寫 上卿 四條中納言 (1445) 文安二年十二月廿七日 宣旨 (寛雅) 大法師宥椿 冝任權律師 蔵人左中辨藤原俊秀奉 *書き下し文・解釈は省略。 「注釈」 「口宣案」─職事=蔵人頭が勅命を上卿に伝宣する場合は、もともと口頭でするのが原 …

福王寺文書1

解題 この寺は縁起によると弘法大師の開創という。当時の本尊不動明王が藤原時代あるいは鎌倉時代とみられる立木仏であったこと、大治二年(1127)鳥羽院が可部庄百八石を高野山へ寄進していることからして、平安末期までには開創されたとみてよかろう。…

憧れのお伊勢参り ─室町時代の官僚の場合─

応永二十九年(一四二二)四月十三日〜二十日条 (『康富記』1─167・168頁) 十三日己亥 晴、明日吉田祭必定云々、 自今夕勘解由小路猪熊式部亭面々行向夜宿、明日可参宮之故、爲精進屋者也、李部講 親也、面々取分銭一貫文許在之、但予借銭一貫文也…

中本誠四郎氏所蔵文書1

解題 俗伸を列挙しており、当時の民間信仰の状態を示すものとして収録した。当家は江戸時代には森下を称し永原村(現佐伯郡佐伯町)の社倉十人組頭などをつとめていたと伝えている。 一 宮法師丸修祓請文 (前闕) 「 」 謹請 サケ⬜︎ノ [ ] 謹請 コノハカ…

山野井文書28(完)

(ヵ) 二八 鞍彦右清任書状(切紙) 先以外聞と申、我等迄目出度候く、 其方被申分之儀具ニ申上候、然ハ西条にて浮米廿俵可レ被レ遣之由被レ仰候間、早々 被二打渡一候て、御奉書渡可レ申候、恐々謹言、 鞍彦右(ヵ) 十月廿五日 清任(花押) (能美景重)…

山野井文書27

二七 南湘院圓知書状(折紙) 以上 能美源兵衛殿預り之船、造作等可レ仕之由申候間、被二見合談合一候て、可レ被二相 (佐世) 調一候、又彼手前之儀、此度不二相済一候、元嘉気分少快気被レ申候ハ丶、申聞調 可レ遣候、恐々謹言、 南湘 十月九日 圓知(花押…

山野井文書26

二六 木原元定書状(切紙) 猶々御息之儀以来之儀者、何共談合可レ申候、先々御上せ候へく候く、 (文) 所レ申候中間之儀ふミ給候く、 御折紙畏存候、如レ仰其以来者無レ音申候、此表之儀、不慮成下候而、天下大弓矢 (被ヵ) 罷成候、併弥思召儘候之間、可…

山野井文書25

二五 毛利氏奉行人連署打渡状 藝州安南郡温科打渡事 合 一田數壹町貳段七畝畠共ニ 分米拾石貳斗貳升代方共ニ 屋敷貳ケ所 (1597) (堅田元慶) 慶長貳年三月廿三日 兵少(花押) (二宮就辰) 信濃(花押) (榎本元吉) 中務(花押) (張元至) 六左(花…

山野井文書24

二四 毛利氏奉行人書状 (端裏捻封ウハ書ヵ) (佐世) 「 佐与三左 (景重) ーー 能美源兵衛殿 元嘉」 以上 其方事、先度能美衆給地定之時、相煩候而不二罷出一候、今度罷下候間、以二惣並一 給地可二宛行一候、殊水夫三人召連候、彼者共ニも惣水夫並を以…

山野井文書23

二三 千親書状(切紙) (廣家) (經忠) 吉川殿御家中今田中務殿御返候条、得二幸便一令レ啓候、其以来以二書状一不レ申 候、其元被レ成二御有付一候哉、態以二飛脚一御見廻可レ申之処、手前取紛無沙汰令二 (黒田長政)(小西行長)(加藤清正) 迷惑一候…

山野井文書22

二二 来島牛松(通総)書状(切紙) (伊豫喜多郡) (村上) (不ヵ) 今度下須戒之儀、伐執之刻ニ辛労之段、吉繼申聞之様候、御心懸之趣被⬜︎⬜︎⬜︎可レ 有二忘却一候、猶河内守可レ申候 元亀二(1571) 七月晦日 牛松(花押) (景重) 能美右近助殿 まいる …

山野井文書21

二一 来島牛松(通総)假名書出(折紙) 任 右近助 永禄十一年(1568) 十二月廿六日 牛松(花押) (景重) 能美四郎殿 *書き下し文・解釈は省略。 「注釈」 「仮名書出」─「仮名(けみょう)」は、武士が実名の他につけた名前(『日本国語大 辞典』)で、…

山野井文書20

二〇 来島通康安堵状 能美嶋之内、五貫三百五十文足之事、 所二申付一也、坪付有二別紙一、 右、任二前々旨一、進退不レ可レ有二相違一之状如レ件、 (1565) 永禄八年卯月廿五日 通康(花押) (景重) 能美与三殿 「書き下し文」 能美嶋の内、五貫三百五十…

ムショに神輿がやってきた

応永八年(一四〇一)五月八日条 (『康富記』1─1頁) 九日丁酉 雨降、今日紫野今宮祭也、近衛西洞院獄門内構旅所、侍所所司代、又所司 代長松奉行也、此所新儀也、先々神行之時、獄門外ニテ糟神供進之也、⬜︎獄門邊御旅 所之由、申之歟之間如此、獄内構之…

山野井文書19

一九 来島通康安堵状 能美嶋本地之内、除二三吉浦分一、残七拾貫貳百目之事、所二申合一也、坪付別紙 在レ之、 右、早任二先例之旨一、進退領掌不レ可レ有二相違一之状如レ件、 (1563) 永禄六年七月五日 通康(花押) (景秀) 能美民部卿丸殿 「書き下し…

山野井文書18

一八 来島通康安堵状 (安芸佐西郡) 一能美嶋之内、本地屋敷分三拾六貫百六十文足之事 一同嶋豊後守先知行之内、九貫四百五十文足之事 所二申合一也、坪付別紙在レ之、 右、早任二先例之旨一、進退領掌不レ可レ有二相違一之状如レ件、 (1563) 永禄六年六…

山野井文書17

一七 来島通康假名書出(折紙) 假名 四郎 永禄元年(1558) 八月六日 通康(花押) (千ヵ) 能美⬜︎壽丸殿 (景秀) *書き下し文・解釈は省略。 「注釈」 「来島通康」─伊予河野氏の家臣で、来島水軍を率いた武将。 「仮名書出」─「仮名(けみょう)」は、…

山野井文書16

一六 大内氏奉行人連署奉書 (景頼) 父世次一跡事、今日(割書)「弘治貳十ノ廿一」任二御判旨一令三相二続之一、弥 可レ被レ抽二奉公之忠義一之由、依レ 仰執達如レ件、 (1556) (小原隆言) 弘治貳年十月廿一日 安芸守(花押) (内藤隆世) 弾正忠(花…

山野井文書15

一五 大内義長安堵状 (義長) (花押) (景頼) (大内義隆) 父世次一跡事、任二天文十四年五月六日龍福寺殿裁許同廿二年二月廿二日證判等之 (景秀) 旨一、能美満菊相続不レ可レ有二相違一之状如レ件、 (1556) 弘治貳年十月廿一日 「書き下し文」 父…

山野井文書14

一四 陶晴賢安堵状 対二縫殿允賢俊一割分地之事、令三改二易之一対二房次々男万菊丸一被二譲与一之旨、 令二領掌一訖者、早任二先例一知行可レ為二肝要一之状如レ件、 (1553) (陶晴賢) 天文廿二年三月廿日 尾張前司(花押) 「書き下し文」 縫殿允賢俊に…

山野井文書13

一三 陶晴賢加冠状 加冠 賢次 (1553) 天文廿二年三月七日 晴賢(花押) (景頼) 能美四郎殿 「注釈」 「加冠状」─武士が元服して実名を名乗る場合、将軍、大名などから名乗りの一字を与 えられる際の文書(『日本国語大辞典』)。 *書き下し文、解釈は省…

山野井文書12

一二 大内義隆安堵状 (義隆) (花押) (仲次) (大内義興) 父秀依一跡事、任二去明応九年十一月十五日凌雲寺殿證判、天文十七年八月二日 譲与状之旨一、能美弥三郎景頼可二相続一之状如レ件、 (1550) 天文十九年十一月廿九日 「書き下し文」 父秀依一…

山野井文書11

一一 大内氏奉行人連署奉書(切紙) (越智郡) (冷泉) 去月十五日、於二豫州中途表一動之時、郎従澁屋小次郎被二矢疵一右肱之由、隆豊注 進到来遂二披露一畢、尤神妙之由、所レ被二 仰出一也、仍執達如レ件、 (1546) (青景隆著) 天文十五年九月十三日…

山野井文書10

十 大内氏奉行人書状(切紙) 去五月十八日、至二豊後国薄野浦奥郷一動之時、別而有二御馳走一被レ致レ疵之段、 則達二上聞一候之處、如レ此被三成二遣 御感状一候、御面目之至尤以珍重候、弥御 忠節可レ爲二専一一候旨候、恐々謹言、 天文三年(1534) 六月…

山野井文書9

九 大内義興下文 (義興) (花押) 下 能美縫殿允仲次 可レ令二早領知一安藝國能美嶋中村内拾六石地(割書)「能美左近将監先知行」 事 右、今度藝州忩劇、㝡前以来別而奔走神妙之条、爲二勧賞一所二充行一也者、早守二 (節) 先例一全二領知一、弥可レ勵…

不当な出世で大喧嘩! 出世間なのに…

文安四年(一四四七)七月十四日条 (『建内記』9─18) 十四日、甲辰、天霽、 (中略) 後聞、 (雪心等柏) 今日相國寺有物忩事、沙弥・喝食等頻悪行有閇籠之企、住持加制止、以行者・力者 等警固之、沙弥不承引及刃傷墜命云々、禅家繁昌之餘、動如此事…

山野井文書8

八 大内氏奉行人連署書状(切紙) (能美) (弘中)(被) 就二御同名与三言上之儀一、爲下可レ被レ成二御尋一之⬜︎上遣二正長披官一候、於二 (儀) (謹言) 旨⬜︎一者見二申状一候之条、[ ]被レ遣候、恐々⬜︎⬜︎、 八月廿八日 正長(花押) 景忠(花押) …

山野井文書7

七 大内氏奉行人連署奉書(切紙) 去三日、至二厳島一敵船相懸之處、警固船衆懸合即時追散、殊僕従二人被二矢疵一之 (越後) (興房) (遂披露) (之由) 次第、弘中[ ]守書状等陶尾張守[ ]慥被二知食一畢、尤神妙[ ]、 (執達) 所レ被二仰出一也…

山野井文書6

六 大内氏奉行人連署奉書(切紙) (安芸佐西郡)(安南郡) 就二海上搦之儀一、警固船去月十七日夜至廿日市并能美江田嶋押懸、敵船壹艘引取之 (武長) 次第、弘中越後守注進之趣、慥被二知召一訖、弥忠節可レ爲二肝要一之由所レ被二仰 出一也、仍執達如レ…

山野井文書5

五 大内氏奉行人連署書状(切紙) (安芸) 去廿七日、至府中動之時、堀越在家令二放火一、同仁保嶋敵船一艘同[ ]者、引 (弘中越後守ヵ) (露候) (神妙ヵ) (被申旨候ヵ) 執之由[ ]注進慥令披⬜︎⬜︎、尤⬜︎⬜︎之由、能々可[ ]、恐々謹言、 (大永二…

火事と喧嘩は京の華!?

文安四年(一四四七)七月三日条 (『建内記』9─5) 三日、癸巳、 (中略) (教親) (勝元) 一色事也、 今日上邊有火事、細川内前田宿所云々、侍所事也、」被官人在彼近所、不打消之条奇 恠之由、細川被官人語之、一色被官人聞付之、卽刃傷令殺害之間、…

山野井文書4

四 大内氏奉行人連署書状(切紙) (安芸安南郡) 去廿七日、爲二夜搦一令二乗船一、仁保嶋敵船壹艘引取之由、弘中越後守注進之趣 遂二披露一候、尤神妙之由候、[ ]旨候、恐々謹言、 (大永二年) (弘中) 三月廿九日 正長(花押) (杉) 興重(花押) …

山野井文書3

三 大内氏奉行人連署奉書 山口雜説之由、就二風聞一被二馳参一之次第、尤神妙之至也、何様至二京都一可レ被三 注二進之一、仍 御感之旨、所レ仰執達如レ件、 (1509) (杉武清) 永正六年十一月二日 左兵衛尉(花押) (杉弘依) 木工助(花押) (杉重輔)…

山野井文書2

二 大内政弘感状(切紙) (陶) 其堺之儀馳走之由、弘護注進京着悦入候、弥無二如在一候者、可レ爲二神妙一候也、 謹言、 十月二日 政弘(花押) (重秀) 能美若狭守殿 「書き下し文」 其れ堺の儀馳走の由、弘護の注進京着し悦び入り候ふ、弥々如在無く候…

山野井文書1

解題 山野井氏は中世には能美氏を称し、おそらく能美島生え抜きの庄官武士の系譜を引くものとみられるが、伊予方面との交渉が深く、長年にわたって河野氏一族と再三の婚姻関係を重ねた結果であろうか、現存の系図では河野氏の支族とされており、河野秀清の子…

洞雲寺文書43 (完)

四三 本尊點眼回向法語 (端裏書) 「佛工大宮 本尊安座點眼回向 金岡和尚御自筆」 仰惟三寶 俯埀昭鑒 (金岡) 大日本國安芸州佐西郡應龍山洞雲禅寺住持比丘用兼普勧二 諸大旦那貴賤道俗上下 男女之結縁一、募二浄財一以奉二彫刻釈迦文佛佛文殊普賢大權逹磨…

イカれた女

文安四年(一四四七)五月一日条 (『建内記』8─122) 一日、壬辰、晝雨、 (中略) 政所 (貞國) 伊勢入道眞蓮許へ女房十六七歳ナルカ於庭徘徊、老若成畏怖、又狂人かと尋之、彼 (足利義教) 云、非物狂也、我ハ普廣院殿御使也ト云、其證如何ト問ケレ…

洞雲寺文書42

四二 毛利秀元書状 (輝元) 呉々、殿様御判物一通令二拜見一、則返進候、 洞雲寺并末寺等之儀、代々任二證文之旨一、播書記へ可レ有二与逹一之由、得二其 (毛利輝元)(穂田) 意一候、宰相様元清御帰朝之時、御判等申調可二進レ之置一候、聊不レ可レ有二…

洞雲寺文書41

四一 洞雲寺賢逹寺領付立案 (端書) 「此目録者、元清ヨリ吉田之輝元へ被上候、爲二向後一之重書へ相添置也、」 洞雲寺領之事 雲室壽慶之位牌免 一佐方清末之内五貫百目 興藤之位牌免 一宮内東光寺分四貫三百目 松岩之位牌免 一坪井之内薬師寺分五貫七百目 …

洞雲寺文書40

四〇 穂田元清書状 ○東大影冩本ニヨル (毛利元就) 態令二啓上一候、爲二洞春様仁御意一一寺建立仕度覚悟候、然間箕平本多田之内満願 寺領田壹町小分錢四貫八百文目致二寄進一候、内々可レ被レ成二御心得一候、何茂 連々可レ得二御意一候、恐惶謹言、 二月…

イリュージョン! 記録上最古の花火興行

文安四年(一四四七)三月二十一日条 (『建内記』8─41) 廿一日、壬子、天霽、 (中略) 今夜向寺門、初夜如法念仏聴聞之、大炊御門前内大臣信、参会、於同局聴聞之、彼仏 事料貳百疋、・諷誦文一通・麻布代百疋、被送之、依親懇之舊好也、 初夜了唐人於…

洞雲寺文書39

三九 穂田元清書状(切紙) (包紙ウハ書) 「 治部大輔 洞雲寺尊報 元清」 其以来依レ爲二遠境一絶二音問一候之處、預二貴翰再三一令二拜披一候、殊更両種被レ (宗用) 懸二御意一候、御厚情之至本懐候、貴寺之御事、全室和尚被レ任二御与奪之旨一、 被レ…