周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

須佐神社文書 その2

一 須佐神社縁起 その2 *本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきます。 (崇神天皇) (戊子) (疫癘) 一しゆぢんてんのふつちのへね、天下ニゑきれいはやる、しする物過分、 (欽明天皇) (丙寅) (民) 一きんめいてんのふひのへとら…

須佐神社文書 その1

一 須佐神社縁起 その1 *本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきます。 (前闕) 「 」の中國 (牛頭天王) [ ]國こずてんのふ[ ]にあまつ (伊弉諾) (さなみふたヵ) [ ]七代に當て、いさなきい[ ]はしらの 尊を、中てん[ ]い…

須佐神社文書 紹介

「須佐神社文書解説」 当社は「小童(ひち)の祇園さん」の名前で親しまれている。『芸藩通志』によると「文禄三年甲午(一五九四)毛利氏営造」とあるが、これは社殿の造立を指していると思われる。当社の縁起はそれをさかのぼる文明元年(一四六九)の成立…

福王寺文書22 その7(完)

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その7 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま 記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が 長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していき…

福王寺文書22 その6

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その6 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま 記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が 長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していき…

福王寺文書22 その5

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その5 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま 記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が 長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していき…

福王寺文書22 その4

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その4 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま 記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が 長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していき…

福王寺文書22 その3

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その3 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま 記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が 長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していき…

中世のキラキラネーム ─女子の幼名はどう決まる?

文安五年(一四四八)四月十五日条 (『康富記』2─274頁) 十五日庚午 晴、 (中略) 鴨御蔭山祭也、祭儀如例、予密々伴山下親衛禅門見物、先過出雲路道祖神敬白之 (サイ) 處、或女姓令懐兒女、可被付名之由、令申山下之間、卽道祖ト付了、其母堂卜シ…

福王寺文書22 その2

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その2 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま 記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が 長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していき…

福王寺文書22 その1

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その1 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま 記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が 長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していき…

福王寺文書21

二一 別當僧正某安堵状寫 別當僧正書判 新熊野社領安藝国三入庄領家職事、任二相傳一令二知行一候、有レ限社役以下任二先 例一無二懈怠一、可レ被レ致二其心得一之由別當僧正御房所レ仰也、仍執達如レ件、 (1368) 應安元年八月十三日 權大僧都書判 權大僧…

福王寺文書20

二〇 武田光誠氏信宛行状寫 (安北郡) 侍従阿闍梨良海申安藝国可部庄内福王寺別當職事、右就二良海由緒一令レ申之間所二 宛行一也、任二先例一可レ致二沙汰一之状如レ件、 (1375) 永和元年八月 日 判 侍従阿闍梨御房 「書き下し文」 侍従阿闍梨良海申す安…

福王寺文書19

一九 武田信繁安堵状寫 安藝国安北郡可部庄内福王寺領(割書)「後山綾谷」名之事、於二而諸役等一者不レ 可レ有二違乱煩一候、若致下背二此旨一輩上者、不レ可レ爲二子孫一者也、仍爲二後證一 状如レ件、 (1436) 永享八年十月十五日 前伊豆守信繁 判 福王…

ハゲの悩みは通時代的か!?

文安元年(一四四四)八月十九日条 (『康富記』2─89頁) 十九日乙丑 晴、供養妙徳庵坊主、山城国水無瀬、(割書)「或ハ廣瀬トモ云、山崎 ノ南也、」在行基御作阿彌陀佛、金泥、三尺餘、 経数百之星霜、坐一宇之蘭若、近 年破壊、見路道、侵雨露之間、人…

福王寺文書18

一八 沙弥乗光武田信在寄進状寫 寄進 (安北郡) (奈ヵ) 安藝国可部庄福王寺奥院大師御影堂免、同庄内小桑原田畠山所等事、 (マ丶) 右此免田等、致二子々孫々一有二違乱煩一者、不レ可レ爲二子孫一之状如レ件、 (1400) 應永七年正月十一日 沙弥乗光 福…

福王寺文書17

一七 守護代沙弥惠一宛行状寫 宛行 可部庄内重吉名主職 合田數注文別紙在レ之 福王寺院主觀蜜坊 右名者、先名主禪智房依レ有二子細一、寺務職云彼名主分云被二召放一畢、雖レ然 以二別儀一所レ加二下知一也、早任二先例一有レ限濟物御公事等可レ被二勤仕一之…

福王寺文書16

一六 武田光誠氏信書状寫 不動堂建立事尤可レ然候、仍爲二彼寺領一始二苻中之堤興行事一、在所繪圖加二一 見一畢、不レ可レ有二子細一候、且當堂被二取立一候後、寄附状等者重可レ進候、先 以二此状一可レ有二御興隆一候也、恐々謹言、 正月十七日 光誠 判 …

福王寺文書15

一五 武田光和安堵状寫 福王寺別当職并諸末寺社家殊九品寺之事、任二先判之旨一被レ全二寺務一、不レ可レ 有二修理勤行等懈怠一之状如レ件、 八月一日 光和判 福王寺 「書き下し文」 福王寺別当職并に諸末寺社家殊に九品寺の事、先判の旨に任せ寺務を全うせ…

福王寺文書14

一四 武田信在安堵状寫 安藝国可部庄九品寺事 右當寺院主職者、先年御知行之間、如レ元返二付于福王寺一、別當良海阿闍梨申 之處也、仍全二知行一 天地長久之御祈禱可レ被レ致二精誠一之状如レ件、 (1393) 明徳四年三月廿四日 伊豆守信在判 「書き下し文」…

福王寺文書13

一三 武田信在安堵状寫 安藝国可部庄福王寺院主職事 (智) 右當寺院主職同寺領等、任二弁律師禅知之例一、一円寺務管領不レ可レ有二相違一之 状如レ件、 (1392) 明徳三年六月一日 信在判 (良海) 福王寺別當侍従阿闍梨御房 「書き下し文」 安芸国可部庄…

福王寺文書12

一二 武田氏信安堵状寫 福王寺領安藝国可部庄内重吉名事 右當名者、爲二往古寺領一之上者、寺務不レ可レ有二相違一之状如レ件、 (1359) 延文四年十一月廿二日 伊豆守判 別當兵部卿律師御房 「書き下し文」 福王寺領安芸国可部庄重吉名の事 右当名は、往古…

福王寺文書11

一一 法眼郎舜奉書寫 福王寺免田等事、御寄進之状進レ之候、此上者爲二當寺御祈禱所一、可レ被レ進二毎 年御巻数一候也、仍執達如レ件、 (1329) 嘉暦四年八月廿八日 法眼郎舜奉判 謹上 福王寺別當御房 「書き下し文」 福王寺免田等事、御寄進の状之を進ら…

福王寺文書10

一〇 備後権守長兼書状寫 (候脱) 御巻数入二見参一候了、神妙之由所二御気色一也、恐々謹言、 十二月十三日 備後権守長兼判 福王寺別当御房 御返事 「書き下し文」 御巻数見参に入れ候ひ了んぬ、神妙の由御気色候ふ所なり、恐々謹言、 「解釈」 ご巻数をお…

こんなところで産まなくても…

嘉吉二年(一四四二)十月十九日条 (『康富記』1─306頁) 七社奉幣事、 十九日丙午 晴、 (中略) 是日管領被レ立二両使(割書)「飯尾肥前入道、松田対馬入道、」於石清水一、是 自二社家一有二注進一云、猪之鼻辛櫃石邊にて妊婦令レ産レ子令二触穢一…

福王寺文書9

九 足利義満御判御教書寫 爲二天下安全一、可レ致二祈禱之精誠一之状如レ件、 (1394) (義満) 應永元年十一月九日 御判 (良海) 福王寺院主侍従律師御房 「書き下し文」 天下安全の為、祈祷の精誠を致すべきの状件のごとし、 「解釈」 天下の安全のため…

福王寺文書8

八 武田信賢安堵状寫 (別) 安祥寺御法流、悉依二御相傳一、爲二天下護持一、相二副東寺之佛舎利并勅筆一被二授 与一之上者、於二當國聖道門家一可レ爲二捴別當一之旨申定訖、若有二違背之族一者、 可レ加二成敗一之状如レ件、 (1460) 長禄四年八月廿七日…

福王寺文書7

七 武田信賢禁制寫 禁制 福王寺領山上山下條々 一伐二採山木一事 一女人夜宿事 一往来僧俗并乞食不レ可レ入事 一軍勢甲乙人等不レ可三乱二入寺領一事 一於二寺領一不レ可二殺生一事(割書)「但、大宮一頭狩者非制之限」 右於二違犯之輩一者、不レ嫌二権門高…

福王寺文書6

六 安祥寺隆快叙位状寫 大勝金剛院 權大僧都寛雅 冝叙法眼 (1460) 長禄四年八月廿七日 別當權大僧都法眼大和尚位 判 *書き下し文・解釈は省略。 「注釈」 「大勝金剛院」─西安祥寺のことか。1号文書の注釈参照。ただ、22号文書「安藝国 金龜山福王寺縁…

福王寺文書5

五 福王寺僧官人数記寫 福王寺之僧官位事 權少僧都 五人 權律師 十人 阿闍梨 十人 右廿五人、永代爲二寺官一昇進之事、不レ可レ有二子細一候、此外不レ可レ有二競望之 儀一候也、 (1460) 長禄四年八月廿七日 安祥寺權大僧都隆快 判 福王寺 別當御房 「書き…

福王寺文書4

四 後花園天皇口宣案寫 上卿 廣橋中納言 (1459) 長禄三年七月十一日 宣旨 權少僧都寛雅 冝轉權大 蔵人頭右大辨兼山城守權藤原経茂奉 *書き下し文・解釈は省略。 「注釈」 「廣橋中納言」─広橋綱光。 「寛雅」─未詳。福王寺の住持か。 「権少僧都」─僧正に…

福王寺文書3

三 後花園天皇口宣案寫 上卿 甘露寺中納言 (1454) 享徳三年四月廿一日 宣旨 權律師寛雅 冝任權少僧都 (大脱) 蔵人權右辨藤原経茂奉 *書き下し文・解釈は省略。 「注釈」 「甘露寺中納言」─甘露寺親長。 「権律師」─僧綱第三位の僧官。律師には、大律師…

福王寺文書2

二 後花園天皇口宣案寫 上卿 四條中納言 (1445) 文安二年十二月廿七日 宣旨 (寛雅) 大法師宥椿 冝任權律師 蔵人左中辨藤原俊秀奉 *書き下し文・解釈は省略。 「注釈」 「口宣案」─職事=蔵人頭が勅命を上卿に伝宣する場合は、もともと口頭でするのが原 …

福王寺文書1

解題 この寺は縁起によると弘法大師の開創という。当時の本尊不動明王が藤原時代あるいは鎌倉時代とみられる立木仏であったこと、大治二年(1127)鳥羽院が可部庄百八石を高野山へ寄進していることからして、平安末期までには開創されたとみてよかろう。…

憧れのお伊勢参り ─室町時代の官僚の場合─

応永二十九年(一四二二)四月十三日〜二十日条 (『康富記』1─167・168頁) 十三日己亥 晴、明日吉田祭必定云々、 自今夕勘解由小路猪熊式部亭面々行向夜宿、明日可参宮之故、爲精進屋者也、李部講 親也、面々取分銭一貫文許在之、但予借銭一貫文也…

中本誠四郎氏所蔵文書1

解題 俗伸を列挙しており、当時の民間信仰の状態を示すものとして収録した。当家は江戸時代には森下を称し永原村(現佐伯郡佐伯町)の社倉十人組頭などをつとめていたと伝えている。 一 宮法師丸修祓請文 (前闕) 「 」 謹請 サケ⬜︎ノ [ ] 謹請 コノハカ…

山野井文書28(完)

(ヵ) 二八 鞍彦右清任書状(切紙) 先以外聞と申、我等迄目出度候く、 其方被申分之儀具ニ申上候、然ハ西条にて浮米廿俵可レ被レ遣之由被レ仰候間、早々 被二打渡一候て、御奉書渡可レ申候、恐々謹言、 鞍彦右(ヵ) 十月廿五日 清任(花押) (能美景重)…

山野井文書27

二七 南湘院圓知書状(折紙) 以上 能美源兵衛殿預り之船、造作等可レ仕之由申候間、被二見合談合一候て、可レ被二相 (佐世) 調一候、又彼手前之儀、此度不二相済一候、元嘉気分少快気被レ申候ハ丶、申聞調 可レ遣候、恐々謹言、 南湘 十月九日 圓知(花押…

山野井文書26

二六 木原元定書状(切紙) 猶々御息之儀以来之儀者、何共談合可レ申候、先々御上せ候へく候く、 (文) 所レ申候中間之儀ふミ給候く、 御折紙畏存候、如レ仰其以来者無レ音申候、此表之儀、不慮成下候而、天下大弓矢 (被ヵ) 罷成候、併弥思召儘候之間、可…

山野井文書25

二五 毛利氏奉行人連署打渡状 藝州安南郡温科打渡事 合 一田數壹町貳段七畝畠共ニ 分米拾石貳斗貳升代方共ニ 屋敷貳ケ所 (1597) (堅田元慶) 慶長貳年三月廿三日 兵少(花押) (二宮就辰) 信濃(花押) (榎本元吉) 中務(花押) (張元至) 六左(花…

山野井文書24

二四 毛利氏奉行人書状 (端裏捻封ウハ書ヵ) (佐世) 「 佐与三左 (景重) ーー 能美源兵衛殿 元嘉」 以上 其方事、先度能美衆給地定之時、相煩候而不二罷出一候、今度罷下候間、以二惣並一 給地可二宛行一候、殊水夫三人召連候、彼者共ニも惣水夫並を以…

山野井文書23

二三 千親書状(切紙) (廣家) (經忠) 吉川殿御家中今田中務殿御返候条、得二幸便一令レ啓候、其以来以二書状一不レ申 候、其元被レ成二御有付一候哉、態以二飛脚一御見廻可レ申之処、手前取紛無沙汰令二 (黒田長政)(小西行長)(加藤清正) 迷惑一候…

山野井文書22

二二 来島牛松(通総)書状(切紙) (伊豫喜多郡) (村上) (不ヵ) 今度下須戒之儀、伐執之刻ニ辛労之段、吉繼申聞之様候、御心懸之趣被⬜︎⬜︎⬜︎可レ 有二忘却一候、猶河内守可レ申候 元亀二(1571) 七月晦日 牛松(花押) (景重) 能美右近助殿 まいる …

山野井文書21

二一 来島牛松(通総)假名書出(折紙) 任 右近助 永禄十一年(1568) 十二月廿六日 牛松(花押) (景重) 能美四郎殿 *書き下し文・解釈は省略。 「注釈」 「仮名書出」─「仮名(けみょう)」は、武士が実名の他につけた名前(『日本国語大 辞典』)で、…

山野井文書20

二〇 来島通康安堵状 能美嶋之内、五貫三百五十文足之事、 所二申付一也、坪付有二別紙一、 右、任二前々旨一、進退不レ可レ有二相違一之状如レ件、 (1565) 永禄八年卯月廿五日 通康(花押) (景重) 能美与三殿 「書き下し文」 能美嶋の内、五貫三百五十…

ムショに神輿がやってきた

応永八年(一四〇一)五月八日条 (『康富記』1─1頁) 九日丁酉 雨降、今日紫野今宮祭也、近衛西洞院獄門内構旅所、侍所所司代、又所司 代長松奉行也、此所新儀也、先々神行之時、獄門外ニテ糟神供進之也、⬜︎獄門邊御旅 所之由、申之歟之間如此、獄内構之…

山野井文書19

一九 来島通康安堵状 能美嶋本地之内、除二三吉浦分一、残七拾貫貳百目之事、所二申合一也、坪付別紙 在レ之、 右、早任二先例之旨一、進退領掌不レ可レ有二相違一之状如レ件、 (1563) 永禄六年七月五日 通康(花押) (景秀) 能美民部卿丸殿 「書き下し…

山野井文書18

一八 来島通康安堵状 (安芸佐西郡) 一能美嶋之内、本地屋敷分三拾六貫百六十文足之事 一同嶋豊後守先知行之内、九貫四百五十文足之事 所二申合一也、坪付別紙在レ之、 右、早任二先例之旨一、進退領掌不レ可レ有二相違一之状如レ件、 (1563) 永禄六年六…

山野井文書17

一七 来島通康假名書出(折紙) 假名 四郎 永禄元年(1558) 八月六日 通康(花押) (千ヵ) 能美⬜︎壽丸殿 (景秀) *書き下し文・解釈は省略。 「注釈」 「来島通康」─伊予河野氏の家臣で、来島水軍を率いた武将。 「仮名書出」─「仮名(けみょう)」は、…

山野井文書16

一六 大内氏奉行人連署奉書 (景頼) 父世次一跡事、今日(割書)「弘治貳十ノ廿一」任二御判旨一令三相二続之一、弥 可レ被レ抽二奉公之忠義一之由、依レ 仰執達如レ件、 (1556) (小原隆言) 弘治貳年十月廿一日 安芸守(花押) (内藤隆世) 弾正忠(花…