周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

2019-04-14から1日間の記事一覧

天狗のイタズラ その2 (Tengu's mischief ─part2)

永享八年(一四三六)三月二十三日条 (『図書寮叢刊 看聞日記』5─254頁) 廿三日、晴、予誕生日来廿五日祈禱疏大光明寺進之、書名字如例、浄喜馳申、行蔵庵 小喝食庵ニ火を付、已燃上之処見付消之、喝食則逐電、月見岡辺河ニ入て泣、草刈 童部見付庵へ…

自殺の中世史2─6 〜「自害」は必ずしも「自殺」に非ず〜

正治元年(一一九九)十月十三日条 (『猪隈関白記』2─3頁) 十三日、壬申、 (殿以下十一字、モト十二日條ニ記セリ、今符號ノ意ニヨリテ移ス) 晴、殿下令参院・内并長講堂、 (後鳥羽) 頭権大夫親経朝臣相具文書来、香椎宮神人貞正・宗友与石清水権寺主…

自殺の中世史2─5 〜「自害」は必ずしも「自殺」に非ず〜

建久九年(1198)三月二十七日付宇佐彌勒寺留守所下文 (「豊後城内家文書」『鎌倉遺文』972号) (端裏書) 「彌勒寺留守所御下文〈遣二筑前一」建久九年也、〉」 (豊後速見郡) 下 日出庄 可下早企二参洛一申中上子細上迫五郎吉守身事 右、件吉守…

西品寺文書1(完)

解題 高屋堀(東広島市高屋町)の城主平賀弘章の孫鶴丸が応永二十年(1413)僧となり周了と称し、この寺を建立した。はじめ杵原にあり西本坊と称したが、慶長六年(1601)教伝が中島の現在地に移した。この地域の真宗寺院としては古い由緒をもち、江…

田原文書2(完)

二 財満忠良散使四郎左衛門尉連署充行状 西条原村八拾貫分極楽池水之儀、日水十日夜水十日者ひかん同杉原徳重へ可レ遣 候、於二此上一者少申分有間敷候、仍如レ件、 (1585) 財満市允 天正十三年〈乙酉〉三月廿一日 忠良(花押) さんし 四郎左衛門尉(花押…