周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

広島県史 古代中世資料編Ⅳ

竹林寺文書 その3

一 安芸国豊田郡入野郷篁山竹林寺縁起 その3 *送り仮名・返り点は、『県史』に記載されているものをそのまま記しています。ただし、大部分の旧字・異体字は常用漢字で記載し、割書は〈 〉で記載しました。本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介し…

竹林寺文書 その2

一 安芸国豊田郡入野郷篁山竹林寺縁起 その2 *送り仮名・返り点は、『県史』に記載されているものをそのまま記しています。ただし、大部分の旧字・異体字は常用漢字で記載し、割書は〈 〉で記載しました。本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介し…

竹林寺文書 その1

解題 詞書と絵を交互に描いた縁起上下二巻があり、この寺の由来を述べている。小野篁にゆかりのある真言宗の古刹である。 竹林寺子院の一乾蔵房の本尊であった地蔵菩薩半跏像の胎内には建武五年(1338)造立になる旨の墨書がある。また、本堂の須弥壇内…

本宮八幡神社文書3(完)

三 乃美八幡宮流鏑馬次第注文 秀遠当郷之儀依二存知仕ニ一〈乃美八幡宮」矢鏑馬之次第」新儀ニ矢鏑張之事〉 高橋内蔵助 大永四年〈甲申〉 新給 天正七 高橋□法師 内藤九郎左衛門尉 天正八 新請取 眞田又五郎 大永五年〈乙酉〉 同 天正九 眞田助二郎 山内与三…

本宮八幡神社文書2

二 乃美八幡宮流鏑馬次第注文写 八幡宮矢鏑馬之次第 (1524) 大永四年甲申 一番 為正小陣殿 宗吉大方殿 乙酉 二番 是貞同 則正同 丙戌 三番 是末同 為安同 丁亥 四番 太郎丸同 重守同 五番 久重同 弘末同 (1529) 又始而享禄二年〈己丑〉為正宗吉矢鏑馬当…

本宮八幡神社文書1

解題 創建は明らかでないが、永正十六年己卯、大檀越平朝臣千靏丸、願主藤原衛門大夫是空の再興棟札、慶長元年丙申拾一月吉祥日、大檀越平朝臣乃美三良兵衛元興、本願地蔵院教卯坊・同代官真弓田市助の再興札がある。乃美・別府・鍛冶屋・安宿・清武五村(い…

大多和泰作氏旧蔵文書1(完)

解題 この家は毛利氏譜代の家臣の大多和氏と同族とみられるが、現在、当家及びこの文書の所在は不明である。 一 平賀元相感状 ○東大影寫本ニヨル (包紙ウハ書) 「大多和鐵炮助殿 元相」 去月四日、於二予州横松表延尾一、大津衆打出シ合戦之時、於二鑓下一…

西品寺文書1(完)

解題 高屋堀(東広島市高屋町)の城主平賀弘章の孫鶴丸が応永二十年(1413)僧となり周了と称し、この寺を建立した。はじめ杵原にあり西本坊と称したが、慶長六年(1601)教伝が中島の現在地に移した。この地域の真宗寺院としては古い由緒をもち、江…

田原文書2(完)

二 財満忠良散使四郎左衛門尉連署充行状 西条原村八拾貫分極楽池水之儀、日水十日夜水十日者ひかん同杉原徳重へ可レ遣 候、於二此上一者少申分有間敷候、仍如レ件、 (1585) 財満市允 天正十三年〈乙酉〉三月廿一日 忠良(花押) さんし 四郎左衛門尉(花押…

田原文書1

解題 当家は天正十三年(1585)の用水関係文書二通を所蔵する。 一 財満忠良散使四郎左衛門尉連署充行状 西条原村八拾貫分之内極楽名、為二堤井溝代一、御 公領宮丸名之内長迫参百目 之事、 西山寺領分堤井溝代之為二替之地一進置候上ハ、永代可レ有二御…

飯田米秋氏所蔵文書9(完)

九 毛利輝元仮名書出 任 四郎右衛門尉 (1583) 天正拾一年七月十三日 輝元(花押) 渡邊源五郎殿 *書き下し文・解釈は省略しました。 「注釈」 「仮名書出」─「仮名(けみょう)」は、武士が実名の他につけた名前(『日本国語大 辞典』)で、主君に当たる…

飯田米秋氏所蔵文書8

八 毛利輝元官途書出 任 左馬助 (1581) 天正九年十二月廿六日 輝元(花押) 渡邊源五郎殿 *書き下し文・解釈は省略しました。 「注釈」 「官途書出」─主君が家臣に、ある官職に任命した証拠に書き与えた文書。十五世紀か ら十九世紀まで用いられた。その…

飯田米秋氏所蔵文書7

七 毛利輝元加冠状 加冠 元 (1568) 永禄十一年五月三日 輝元(花押) 渡邊源五郎殿 *書き下し文・解釈は省略しました。 「注釈」 「加冠状」─武士が元服して実名を名乗る場合、将軍、大名などから名乗りの一字を与 えられる際の文書(『日本国語大辞典』…

飯田米秋氏所蔵文書6

六 毛利隆元充行状 於二防州岩国一分銭八貫目、為二給地一遣置候、全可二知行一候、仍一行如レ件、 弘治三(1557) 九月十九日 隆元(花押) (雄) 渡邊源五郎殿 「書き下し文」 防州岩国に於いて分銭八貫目を、給地として遣はし置き候ふ、全く知行すべく候…

飯田米秋氏所蔵文書5

五 毛利元就同隆元連署感状(切紙) (安芸佐西郡) 去五日、於二神領明石一、陶衆与合戦之時、敵討取候、高名感悦候、殊先懸候て遂二 忠節一候、神妙之至候、連々可レ加二褒美一候、仍感状如レ件、 天文廿三(1554) 六月十一日 隆元(花押) 元就(花押) …

飯田米秋氏所蔵文書4

四 毛利元就同隆元連署感状(切紙) (備後安那郡志川) 去廿三日志河切取之時、尾頸至二構際一、初度ニ相付鑓仕候、高名無二比類一、感悦 無レ極候、弥可レ抽二戦功一者也、仍感状如レ件、 天文廿一(1552) 七月廿八日 隆元(花押) 元就(花押) (雄) …

飯田米秋氏所蔵文書3

三 毛利元就書状 今日之御慶尤目出候、仍御樽肴令レ進レ之候、表二御祝儀一計候、猶此者可二 申述一候、恐々謹言、 卯月朔日 元就(花押) ○本文書宛所部分ヲ切除ス 「書き下し文」 今日の御慶尤も目出候ふ、仍て御樽・肴之を進らせしめ候ふ、御祝儀を表すば…

飯田米秋氏所蔵文書2

二 毛利元就感状(切紙) (安芸高田郡相合) 正月十三日、於二宮崎尾一、敵陣切崩之時、高名候、神妙之至也、仍感状如レ件、 天文十(1541) 正月十四日 元就(花押) 渡邊源五郎殿 「書き下し文」 正月十三日、宮崎尾に於いて、敵陣を切り崩すの時、高名候…

飯田米秋氏所蔵文書1

解題 毛利氏から渡辺源五郎に宛てられた文書九通である。このほか同氏は元亀四年(1573)宮の前佐伯氏の奥書のある申待縁起と永禄三年(1560)宮の前佐伯清の奥書のある月待縁起を所蔵する。おそらくは賀茂郡乃美(豊栄町)の八幡宮神職の佐伯氏にか…

磯部文書8(完)

八 毛利輝元書状寫 ○本文書ハ福成寺文書五号ト同文ナレド、宛名ヲ欠ク

磯部文書7

七 毛利輝元官途書出寫 任左京助 (輝元) (花押寫) (1579) 天正七 二月十日 (景純) 磯部宮太郎との *書き下し文・解釈は省略しました。 「注釈」 「官途書出」─主君が家臣に、ある感触に任命した証拠に書き与えた文書。十五世紀か ら十九世紀まで用…

磯部文書6

六 安藝国賀茂郡西條諸神田坪付寫 西條分諸神田坪付之事 (毛利輝元) (花押寫) 合 一所畠貳段 分銭八百目 五月五日神田 一所田貳段 分銭八百目 賀茂神田内 一所田貳段 分銭八百目 新宮神田内 一所田壹段 分銭四百目 八月朔日神田 一所田貳段 分銭八百目 …

磯部文書5

五 毛利輝元加判并同氏奉行人連署制札写 ○本文書ハ福成寺文書四号ト略同文ナレドモ、袖花押ヨリモ端ノ部分ニ「定」トアリ、文中ニ 「右當寺立山」トアルヲ「右當社神山」トシ、日付ニ「二月九日」トアルヲ「三月九日」トス

磯部文書4

四 毛利隆元書状 (刑)(秀純) 西条小倉大明神参候儀、去二月祝師磯邊形部太夫申候処、堅固相調候、誠珍重ニ候、 祝着之通能々可二申聞一事肝要候、謹言、 八月七日 隆元判 蔵田弥六殿 「書き下し文」 西条小倉大明神参り候ふ儀、去んぬる二月祝師磯邊刑部…

磯部文書3

三 毛利隆元願文 「 敬白 (安芸賀茂郡西條) 小倉大明神寄進之事 (具) 一貝足一両奉神納者也、 右願望之旨趣者、為二武運長達 国家 」 (神威) 安全一、仰二□□一所レ抽二丹祈一如件、 (1560) 永禄三年〈庚申〉極月吉日 隆元(花押) ○括弧ノ部分ハ、寫…

磯部文書2

二 毛利元就同隆元連署願文 敬白 (安芸賀茂郡西條) (之) 新宮大明神江願書□事 一廿貫之地、於二防芸之間一、可レ致二寄進一者也、 右意趣者、去月廿八日如二御詫一、来二月三月之間、当[ ]事者、右之 所願速可レ致二成就一者也、依レ之仰二神威一[ ]…

磯部文書1

解題 寺家(じけ)(東広島市西条町)の熊野新宮は賀茂社とはもと別の社であったが、賀茂社が消失したため同殿に祭られることになった。磯部氏は同社の社家である。宇多源氏に出、五代章経の時に近江国佐々木に住み佐々木を称し、ついで磯部と名乗ったという…

荒谷文書5(完)

五 備中国賀陽郡妹尾庄内打渡坪付 備中国萱郡妹尾庄之内捌貫配田畠坪付之事 中ノ郷 五斗代 保頭 一所田廿代 分貳斗 新三郎 免田ノ坪 五斗代 一所田一段廿代 分七斗 同 人 五斗代 一所田一段廿五代 分七斗五升 同 人 内野田 六斗代 一所田一段四拾代 分壹石八…

荒谷文書4

四 荒谷吉長同国長連署譲状 去渡申領地之事 合〈給地御判并下作職」本支証目録以下共悉〉定 (段) 右給地云二下作職一、不レ残旦歩打渡申所実也、御公役被レ遂二馳走一、全二知行一 肝要候、此上者、向後我等少茂綺之儀有二-間-敷之一候、乍レ去無レ力相究…

荒谷文書3

三 小早川隆景充行状 於二三永村、吉長作職拘分一地頭納所之内、夫銭貳貫文并石立宿之事、為二給地一 充行候、全可二領知一之状如レ件、 (1554) 天文廿三年十二月十三日 隆景(花押) (吉長) 荒谷内蔵丞とのへ 「書き下し文」 三永村の吉長作職拘ふる分…