周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

広島県史 古代中世資料編Ⅳ

安芸国楽音寺

『安芸国楽音寺 ─楽音寺縁起絵巻と楽音寺文書の全貌─』 (広島県立歴史博物館、1996) *単なる備忘録なので、閲覧・検索には適していません。 また、誤字・脱字の訂正もしていません。 「楽音寺の歴史」 《沼田庄と沼田氏》 楽音寺は、真言宗御室仁和寺…

楽音寺文書1

解題 当寺は、沼田庄の開発領主であった沼田氏が創建した寺である。現在は真言宗であるが、応永以前は天台宗であった。この寺創建の事情を同寺縁起絵巻は次のように記している。沼田氏の先祖藤原倫実は承平天慶のころ安芸国に配流されていたが、藤原純友が乱…

中村儀三郎氏所蔵文書2(完)

二 毛利氏奉行人書状(切紙) 在陣被レ遂二 御祈念一御久米被二差渡一候、則頂戴候、遠方御懇之儀難二申尽一之 候、又先日□階罷渡候時、御久米并御樽慥相届候、重々御心付忝存候、此表事朝鮮 国無二残所一至二唐堺一推詰御隙明候、帝王其外諸公家衆至大明国…

中村儀三郎氏所蔵文書1

解題 中村家は、代々、醤油醸造や塩浜の経営をしていた。明治初めに下市村(竹原市竹原町)戸長などをつとめている。 一 毛利輝元書状(切紙) ○以下二通、東大影写本ニヨル (小早川) 急度申入候、明後日廿六隆景乗舟候条、無二御油断一御渡海肝要候、仍動…

唐崎文書1(完)

解題 唐崎家は代々竹原礒宮の神主を勤めた。当家にはほかに隆景連歌を蔵している。 一 吉川広家書状 為二其結願成就一申入候、御祈念所レ仰候、猶舜教可レ申候、恐々謹言、 十二月三日 広家(花押) 「書き下し文」 其の結願成就のため申し入れ候ふ、御祈念…

永井文書2(完)

二 関東御教書 護 伊予国北条郷地頭多賀江入道申、守○使乱入事、訴状遣レ之、於二篝松役所々一者、 被三停二止使入部一了、而被二放入一之条、甚無二其謂一、自今以後可レ被二停止一 之状、依レ仰執達如レ件、 (1240) (北条泰時) 仁治元年後十月五日 前…

永井文書1

解題 多賀谷(多賀江)氏は鎌倉時代に地頭として武蔵国から伊予国周桑郡北条郷に入部した東国武士である。南北朝時代末期には本拠を安芸国蒲刈島・倉橋島方面に移している。この文書はこの多賀谷氏に伝わった文書で現在は姻戚の永井氏に所蔵されている。 一…

竹林寺文書(小野篁伝説) その8(完)

一 安芸国豊田郡入野郷篁山竹林寺縁起 その8 *送り仮名・返り点は、『県史』に記載されているものをそのまま記しています。ただし、大部分の旧字・異体字は常用漢字で記載し、割書は〈 〉で記載しました。本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介し…

竹林寺文書(小野篁伝説) その7

一 安芸国豊田郡入野郷篁山竹林寺縁起 その7 *送り仮名・返り点は、『県史』に記載されているものをそのまま記しています。ただし、大部分の旧字・異体字は常用漢字で記載し、割書は〈 〉で記載しました。本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介し…

竹林寺文書(小野篁伝説) その6

一 安芸国豊田郡入野郷篁山竹林寺縁起 その6 *送り仮名・返り点は、『県史』に記載されているものをそのまま記しています。ただし、大部分の旧字・異体字は常用漢字で記載し、割書は〈 〉で記載しました。本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介し…

竹林寺文書(小野篁伝説) その5

一 安芸国豊田郡入野郷篁山竹林寺縁起 その5 *送り仮名・返り点は、『県史』に記載されているものをそのまま記しています。ただし、大部分の旧字・異体字は常用漢字で記載し、割書は〈 〉で記載しました。本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介し…

竹林寺文書(小野篁伝説) その4

一 安芸国豊田郡入野郷篁山竹林寺縁起 その4 *送り仮名・返り点は、『県史』に記載されているものをそのまま記しています。ただし、大部分の旧字・異体字は常用漢字で記載し、割書は〈 〉で記載しました。本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介し…

竹林寺文書(小野篁伝説) その3

一 安芸国豊田郡入野郷篁山竹林寺縁起 その3 *送り仮名・返り点は、『県史』に記載されているものをそのまま記しています。ただし、大部分の旧字・異体字は常用漢字で記載し、割書は〈 〉で記載しました。本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介し…

竹林寺文書(小野篁伝説) その2

一 安芸国豊田郡入野郷篁山竹林寺縁起 その2 *送り仮名・返り点は、『県史』に記載されているものをそのまま記しています。ただし、大部分の旧字・異体字は常用漢字で記載し、割書は〈 〉で記載しました。本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介し…

竹林寺文書(小野篁伝説) その1

解題 詞書と絵を交互に描いた縁起上下二巻があり、この寺の由来を述べている。小野篁にゆかりのある真言宗の古刹である。 竹林寺子院の一乾蔵房の本尊であった地蔵菩薩半跏像の胎内には建武五年(1338)造立になる旨の墨書がある。また、本堂の須弥壇内…

本宮八幡神社文書3(完)

三 乃美八幡宮流鏑馬次第注文 秀遠当郷之儀依二存知仕ニ一〈乃美八幡宮」矢鏑馬之次第」新儀ニ矢鏑張之事〉 高橋内蔵助 大永四年〈甲申〉 新給 天正七 高橋□法師 内藤九郎左衛門尉 天正八 新請取 眞田又五郎 大永五年〈乙酉〉 同 天正九 眞田助二郎 山内与三…

本宮八幡神社文書2

二 乃美八幡宮流鏑馬次第注文写 八幡宮矢鏑馬之次第 (1524) 大永四年甲申 一番 為正小陣殿 宗吉大方殿 乙酉 二番 是貞同 則正同 丙戌 三番 是末同 為安同 丁亥 四番 太郎丸同 重守同 五番 久重同 弘末同 (1529) 又始而享禄二年〈己丑〉為正宗吉矢鏑馬当…

本宮八幡神社文書1

解題 創建は明らかでないが、永正十六年己卯、大檀越平朝臣千靏丸、願主藤原衛門大夫是空の再興棟札、慶長元年丙申拾一月吉祥日、大檀越平朝臣乃美三良兵衛元興、本願地蔵院教卯坊・同代官真弓田市助の再興札がある。乃美・別府・鍛冶屋・安宿・清武五村(い…

大多和泰作氏旧蔵文書1(完)

解題 この家は毛利氏譜代の家臣の大多和氏と同族とみられるが、現在、当家及びこの文書の所在は不明である。 一 平賀元相感状 ○東大影寫本ニヨル (包紙ウハ書) 「大多和鐵炮助殿 元相」 去月四日、於二予州横松表延尾一、大津衆打出シ合戦之時、於二鑓下一…

西品寺文書1(完)

解題 高屋堀(東広島市高屋町)の城主平賀弘章の孫鶴丸が応永二十年(1413)僧となり周了と称し、この寺を建立した。はじめ杵原にあり西本坊と称したが、慶長六年(1601)教伝が中島の現在地に移した。この地域の真宗寺院としては古い由緒をもち、江…

田原文書2(完)

二 財満忠良散使四郎左衛門尉連署充行状 西条原村八拾貫分極楽池水之儀、日水十日夜水十日者ひかん同杉原徳重へ可レ遣 候、於二此上一者少申分有間敷候、仍如レ件、 (1585) 財満市允 天正十三年〈乙酉〉三月廿一日 忠良(花押) さんし 四郎左衛門尉(花押…

田原文書1

解題 当家は天正十三年(1585)の用水関係文書二通を所蔵する。 一 財満忠良散使四郎左衛門尉連署充行状 西条原村八拾貫分之内極楽名、為二堤井溝代一、御 公領宮丸名之内長迫参百目 之事、 西山寺領分堤井溝代之為二替之地一進置候上ハ、永代可レ有二御…

飯田米秋氏所蔵文書9(完)

九 毛利輝元仮名書出 任 四郎右衛門尉 (1583) 天正拾一年七月十三日 輝元(花押) 渡邊源五郎殿 *書き下し文・解釈は省略しました。 「注釈」 「仮名書出」─「仮名(けみょう)」は、武士が実名の他につけた名前(『日本国語大 辞典』)で、主君に当たる…

飯田米秋氏所蔵文書8

八 毛利輝元官途書出 任 左馬助 (1581) 天正九年十二月廿六日 輝元(花押) 渡邊源五郎殿 *書き下し文・解釈は省略しました。 「注釈」 「官途書出」─主君が家臣に、ある官職に任命した証拠に書き与えた文書。十五世紀か ら十九世紀まで用いられた。その…

飯田米秋氏所蔵文書7

七 毛利輝元加冠状 加冠 元 (1568) 永禄十一年五月三日 輝元(花押) 渡邊源五郎殿 *書き下し文・解釈は省略しました。 「注釈」 「加冠状」─武士が元服して実名を名乗る場合、将軍、大名などから名乗りの一字を与 えられる際の文書(『日本国語大辞典』…

飯田米秋氏所蔵文書6

六 毛利隆元充行状 於二防州岩国一分銭八貫目、為二給地一遣置候、全可二知行一候、仍一行如レ件、 弘治三(1557) 九月十九日 隆元(花押) (雄) 渡邊源五郎殿 「書き下し文」 防州岩国に於いて分銭八貫目を、給地として遣はし置き候ふ、全く知行すべく候…

飯田米秋氏所蔵文書5

五 毛利元就同隆元連署感状(切紙) (安芸佐西郡) 去五日、於二神領明石一、陶衆与合戦之時、敵討取候、高名感悦候、殊先懸候て遂二 忠節一候、神妙之至候、連々可レ加二褒美一候、仍感状如レ件、 天文廿三(1554) 六月十一日 隆元(花押) 元就(花押) …

飯田米秋氏所蔵文書4

四 毛利元就同隆元連署感状(切紙) (備後安那郡志川) 去廿三日志河切取之時、尾頸至二構際一、初度ニ相付鑓仕候、高名無二比類一、感悦 無レ極候、弥可レ抽二戦功一者也、仍感状如レ件、 天文廿一(1552) 七月廿八日 隆元(花押) 元就(花押) (雄) …

飯田米秋氏所蔵文書3

三 毛利元就書状 今日之御慶尤目出候、仍御樽肴令レ進レ之候、表二御祝儀一計候、猶此者可二 申述一候、恐々謹言、 卯月朔日 元就(花押) ○本文書宛所部分ヲ切除ス 「書き下し文」 今日の御慶尤も目出候ふ、仍て御樽・肴之を進らせしめ候ふ、御祝儀を表すば…

飯田米秋氏所蔵文書2

二 毛利元就感状(切紙) (安芸高田郡相合) 正月十三日、於二宮崎尾一、敵陣切崩之時、高名候、神妙之至也、仍感状如レ件、 天文十(1541) 正月十四日 元就(花押) 渡邊源五郎殿 「書き下し文」 正月十三日、宮崎尾に於いて、敵陣を切り崩すの時、高名候…