周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

広島県史 古代中世資料編Ⅳ

己斐文書1

解題 南北朝時代十三通、戦国時代二通からなる。前者は厳島社領であった高田郡三田新庄下村の在地の状況を示す文書で、譲状三通、寄進状七通を含んでいる。後者は毛利氏からの宛行状と仮名書出である。 本文書は三田村(広島市白木町)の正覚寺に伝来した文…

横山林左衛門氏旧蔵文書(完)

解題 前記、伊藤信久への下文と同じ性質のものである。横山真高は鈴張(現広島市安佐町)の関山城に拠っていた豪族である。文政のころの鈴張村庄屋幸右衛門その子孫であるという。 一 大内義隆下文 ○東大影寫本ニヨル (義隆) (花押) 下 横山右馬助眞高 …

伊藤文書(完)

解題 天文十年(一五四一)、金山城を落とした大内義隆が天文十四年(一五四五))に伊藤信久に下したものである。 伊藤氏はその後の戦乱などで所領や判物の大半を失い、沼田郡伴村(広島市沼田町)へ蟄居し医者などをつとめた。享保六年(一七二一)の沼田…

久都内文書2(完)

二 安藝國安北郡深川打渡坪付 (割書) 藝州安北郡深川「打渡坪付」事 合 龜崎八幡領 三反田 物申 田貳反九畝廿歩 米五石貳斗壹升 左近大夫 御供田 田壹段五畝 米貳石六斗四升 同 人 かめ崎 屋敷五畝 代五百文 同 人 同所家のまへ 畠貳畝 代八拾八文 同 人 …

久都内文書1

解題 亀崎神社は、戦国時代には高陽町(広島市)の東半分にあたる落合・深川・狩小川の地域と安芸町(広島市)の東半分を占める福木地区を注連下(しめした)とする大社であったと推察される。現在は旧深川村の鎮守社になっている。 一 毛利弘元下知状并同元…

土井泉神社文書4(完)

四 毛利氏奉行人連署請取状 請取銀子之事 社領辻 壹石九斗七升打渡無レ之、 右之銀合 貳分壹リン七毛 内貳輪 筆功 右之前爲二御礼一請取所如レ件、 (文禄) (元武) 文五 三月十二日 國司備後守(花押) (周澄) 少 林 寺(花押) (元宗) 山田吉兵衛(…

土井泉神社文書3

三 毛利氏奉行人連署知行付立 飯室之内八幡領事、分米壹石九斗七升定、右之分前々任二引付一可レ被レ置レ立之由 候、社役等之儀被二相調一候事肝要候、仍一筆如レ件、 (文禄) 山縣 文三十月廿六日 宗兵衛(花押) 福井 太郎兵衛 錦織 太郎左衛門 日隈 神兵…

土井泉神社文書2

二 杉原次郎左衛門尉井尻又右衛門尉連署預ケ状 (安藝安北郡) 飯室之内 預ケ申神田之事 合米三石八斗八升 畠半三十歩代七十貳文 屋敷一つ 右之内にて米貳石立申候、 (放生會) 但貳俵者八月之法しやう江同よころ二まつりニ使レ之、貳俵者九月九日 (流鏑馬…

土井泉神社文書1

解題 この神社は天承元年(一一三一)甲斐国から勧請したものと伝える。江戸時代には飯室村八幡宮と呼ばれている。戦国時代には飯室にある土井城主三須氏と深い関係にあり、引地直種は「郡中国郡志」によると三須氏の家老である。社家河野氏は天文二十年(一…

須佐神社文書 その5(完)

一 須佐神社縁起 その5 *本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきます。 一ひごのくにせらごおりひち村、むとうざんきおんしやふじやこずてんのふちん ざしだいき 座次第記 さんじや おうミやうちこさつす ひかしにじやどくきちんてんのふ、…

須佐神社文書 その4

一 須佐神社縁起 その4 *本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきます。 (讃岐) 太郎王子、そふかふてんのふ、さぬきの國たきのやしろ、こすてんのふ、 (本) (日光菩薩) (大歳神) (魔王天王) ほん地につかふぼさつ、だいさいぢん…

須佐神社文書 その3

一 須佐神社縁起 その3 *本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきます。 いそ もちゆき (疑) 一ふてあそばし給はゝ、急ぎ持行娘と娵とにかけけれバ、うたがいなくたすかり、 のかる 遁るものなり、 (札守) (立) (弓) こたん將來處に…

須佐神社文書 その2

一 須佐神社縁起 その2 *本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきます。 (崇神天皇) (戊子) (疫癘) 一しゆぢんてんのふつちのへね、天下ニゑきれいはやる、しする物過分、 (欽明天皇) (丙寅) (民) 一きんめいてんのふひのへとら…

須佐神社文書 その1

一 須佐神社縁起 その1 *本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきます。 (前闕) 「 」の中國 (牛頭天王) [ ]國こずてんのふ[ ]にあまつ (伊弉諾) (さなみふたヵ) [ ]七代に當て、いさなきい[ ]はしらの 尊を、中てん[ ]い…

須佐神社文書 紹介

「須佐神社文書解説」 当社は「小童(ひち)の祇園さん」の名前で親しまれている。『芸藩通志』によると「文禄三年甲午(一五九四)毛利氏営造」とあるが、これは社殿の造立を指していると思われる。当社の縁起はそれをさかのぼる文明元年(一四六九)の成立…

福王寺文書22 その7(完)

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その7 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま 記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が 長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していき…

福王寺文書22 その6

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その6 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま 記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が 長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していき…

福王寺文書22 その5

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その5 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま 記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が 長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していき…

福王寺文書22 その4

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その4 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま 記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が 長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していき…

福王寺文書22 その3

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その3 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま 記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が 長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していき…

福王寺文書22 その2

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その2 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま 記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が 長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していき…

福王寺文書22 その1

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その1 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま 記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が 長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していき…

福王寺文書21

二一 別當僧正某安堵状寫 別當僧正書判 新熊野社領安藝国三入庄領家職事、任二相傳一令二知行一候、有レ限社役以下任二先 例一無二懈怠一、可レ被レ致二其心得一之由別當僧正御房所レ仰也、仍執達如レ件、 (1368) 應安元年八月十三日 權大僧都書判 權大僧…

福王寺文書20

二〇 武田光誠氏信宛行状寫 (安北郡) 侍従阿闍梨良海申安藝国可部庄内福王寺別當職事、右就二良海由緒一令レ申之間所二 宛行一也、任二先例一可レ致二沙汰一之状如レ件、 (1375) 永和元年八月 日 判 侍従阿闍梨御房 「書き下し文」 侍従阿闍梨良海申す安…

福王寺文書19

一九 武田信繁安堵状寫 安藝国安北郡可部庄内福王寺領(割書)「後山綾谷」名之事、於二而諸役等一者不レ 可レ有二違乱煩一候、若致下背二此旨一輩上者、不レ可レ爲二子孫一者也、仍爲二後證一 状如レ件、 (1436) 永享八年十月十五日 前伊豆守信繁 判 福王…

福王寺文書18

一八 沙弥乗光武田信在寄進状寫 寄進 (安北郡) (奈ヵ) 安藝国可部庄福王寺奥院大師御影堂免、同庄内小桑原田畠山所等事、 (マ丶) 右此免田等、致二子々孫々一有二違乱煩一者、不レ可レ爲二子孫一之状如レ件、 (1400) 應永七年正月十一日 沙弥乗光 福…

福王寺文書17

一七 守護代沙弥惠一宛行状寫 宛行 可部庄内重吉名主職 合田數注文別紙在レ之 福王寺院主觀蜜坊 右名者、先名主禪智房依レ有二子細一、寺務職云彼名主分云被二召放一畢、雖レ然 以二別儀一所レ加二下知一也、早任二先例一有レ限濟物御公事等可レ被二勤仕一之…

福王寺文書16

一六 武田光誠氏信書状寫 不動堂建立事尤可レ然候、仍爲二彼寺領一始二苻中之堤興行事一、在所繪圖加二一 見一畢、不レ可レ有二子細一候、且當堂被二取立一候後、寄附状等者重可レ進候、先 以二此状一可レ有二御興隆一候也、恐々謹言、 正月十七日 光誠 判 …

福王寺文書15

一五 武田光和安堵状寫 福王寺別当職并諸末寺社家殊九品寺之事、任二先判之旨一被レ全二寺務一、不レ可レ 有二修理勤行等懈怠一之状如レ件、 八月一日 光和判 福王寺 「書き下し文」 福王寺別当職并に諸末寺社家殊に九品寺の事、先判の旨に任せ寺務を全うせ…

福王寺文書14

一四 武田信在安堵状寫 安藝国可部庄九品寺事 右當寺院主職者、先年御知行之間、如レ元返二付于福王寺一、別當良海阿闍梨申 之處也、仍全二知行一 天地長久之御祈禱可レ被レ致二精誠一之状如レ件、 (1393) 明徳四年三月廿四日 伊豆守信在判 「書き下し文」…