周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

広島県史 古代中世資料編Ⅳ

圓立寺文書8

八 万壽書状(切紙) 爲二新春之儀一被二申越一、殊更百疋本望候、尚期二面談一可二申述一候、恐々謹言、 三月十日 万壽(花押) 善明 まいる 申給へ 「書き下し文」 新春の儀として申し越され、殊更百疋本望に候ふ、尚ほ面談を期し申し述ぶべく候 ふ、恐々…

圓立寺文書7

七 富田康直書状(切紙) 爲二今年之御祝儀一、 御父子様へ被二仰上一候、百疋宛則遂二披露一候、御祝着之 由候て被レ成二御書一候、具ニ雖下可二申入一候上、我等事軈而其地罷上候之条、 以二拜顔一万可レ得二御意一候、恐惶謹言、 富田又兵衛尉 三月十日 …

圓立寺文書6

六 富田康直書状(折紙) 私も百疋御下まいり、御ねんころノたん、申もおろかに存候、いまほと御きふんともあし く御さ候や、爰元そうおうの御用御申下候、謹言、 爲二御年頭一、態壹人被レ下、委敷遂二披露一候、遥々之儀ニ入被レ成二御祝着一之 由、被二仰…

圓立寺文書5

五 繁澤元氏書状(切紙) 以上 爲二今年之祝儀一被二申越一、殊百疋祝着存候、遠方被二存寄一之処本望候、尚重々 可レ申、以上、恐々謹言、 三月十日 元氏(花押) 善明 進之候 「書き下し文」 以上 今年の祝儀として申し越さる、殊に百疋祝着に存じ候ふ、遠…

圓立寺文書4

四 繁澤元氏書状(切紙) 今年之爲二祝儀一、一束差越祝着候、謹言、 二月六日 元氏(花押) 善明 「書き下し文」 今年の祝儀として、一束差し越すこと祝着に候ふ、謹言、 「解釈」 今年のお祝いとして、紙一束を送っていただいたことに満足しております。以…

圓立寺文書3

三 繁澤元氏書状 (安藝山縣郡) 其方只今罷居候朝枝之屋敷之儀、先年以来筋目之地之由候条、無二異儀一可二 遣置一候、随分普請等取刷、心安可二罷居一事肝要候、爲レ其申聞候、謹言、 九月廿一日 元氏(花押) (捻封ウハ書) (明) 「 善⬜︎ 元氏」 ○以上…

圓立寺文書2

二 安藝國山縣郡大朝村之内打渡坪付 藝州山縣郡大朝村之内打渡坪付之事 (繁澤元氏) 合 (花押) 野田 畠貳段半 代四百文 五郎右衛門尉 國近畠三段六百之内 粟屋藤兵衛先給 畠貳段 代四百文 自作 横路 畠壹段 代貳百文 孫兵衛 五段半 以上畠數 代壹貫文 慶…

圓立寺文書1

解題 この寺は宝徳三年(一四五一)の開基で、初め西泉坊と称していたが、慶長のころ再建され、次号を円立寺と改めたという。山県郡の真宗寺院では最も古い由緒を持っており、江戸時代には郡内真宗寺院の中枢的立場にあった。ここにおさめる文書は、戦国時代…

吉田郷土資料館所蔵文書(完)

解題 本文書は吉川元春の書状である。さまざまな所有者を経て、当館に所蔵される事になったものである。 一 吉川元春書状(折紙) 返々以二書中一申上候条、上へ御方御持参候て、趣可レ被二仰上一候く、付而不レ可レ有二御油断一候、 (毛利) 宇山申分之儀…

横田唯二氏旧蔵文書3(完)

三 小早川隆景書状 (切封ウハ書) (鵜飼元辰) 「 鵜新右 隆景」 (先) 態申登候、横田了喜事、千年堺津切々差上せ辛労候、乍二重疊之儀一、爰許太篇 之普請ニ付而、遠國候条、可レ然衆登遣候儀不二相成一候間、彼者可二相頼一候、 此等之趣能々可レ被二…

横田唯二氏旧蔵文書2

二 吉川元春小早川隆景連署書状(禮紙付) 其方事、連々依レ抽二馳走一、分国中荷役并勘過之事、不レ可レ有二相違一之由、 被三成二遣御一通一候、尤肝要候、謹言、 (永禄十一年) 十一月六日 元春(花押) 隆景(花押) 横田藤右衛門尉殿 (禮紙切封ウハ書…

横田唯二氏旧蔵文書1

解題 横田家の先祖は毛利氏の御用商人であったとみられる。当家は昭和の初めまで吉田の商家であった。 一 毛利輝元荷役并勘過免状 ○以下三通、東大影冩本ニヨル 其方事、連々抽二馳走一之条、分國中荷役并勘過之事、令二免許一所也、聊不レ可レ 有二相違一之…

永井文書(完)

解題 この和与状は、文政十一年(一八二八)の写文書と同紙に記された解説によると「右之書者永井氏先祖城主タリシ時、知行所境論イタシ、北条家へ強訴及ヒ京都六波羅より被下御教書之由ニ而、代々持来候、」とある。しかし本文書は、当事者間での和与を書き…

己斐文書15

一五 毛利輝元假名書出(折紙) 任 惣兵衛尉 (1571) 元龜二年十二月廿一日 輝元(花押) *書き下し文・現代語訳は省略します。 「注釈」 「仮名書出」─「仮名(けみょう)」は、武士が実名の他につけた名前(『日本国語大 辞典』)で、主君に当たる人物が…

己斐文書14

一四 毛利隆元宛行状 (玖珂郡) 於二防州岩國一分錢七貫百目、爲二給地一遣置候、全可二知行一候、仍一行如レ件、 隆元(花押) 弘治三 九月十八日 ○宛名ヲ欠ク 「書き下し文」 防州岩国に於いて分銭七貫百目、給地として遣はし置き候ふ、全く知行すべく候…

己斐文書13

一三 光珍請文 三たの(正覚) (道) しやうかく寺の御事ハ、代々申をかるゝしたい候によて、入たうのしやうかく寺をと (坊主) (仰) りたて申候、代々はうすのをほせおかれて候ハん寺しきの事、いけいきにおよひ候 (周防守) (文書) はゝ、御そうり…

己斐文書12

一二 厳島社神主藤原了親(親詮)書状 御礼委細承了、 抑舊冬入二見参一申奉之条、于レ今難レ忘悦入候、自然之御次者可レ有二御尋一候、 又御茶大勢賜候之条、返々喜入候、自二當方一こそ可レ進候ニ、結句送給候之条 難二申盡一候、委細定荘原坊主御物語候歟…

己斐文書11

一一 光珍寄進置文 (神領) (土橋)(湯屋谷) 御しんりやうの内三田しんしやう下村のうち、つちハしゆやたにゝさきたち候て、 (正覚) た二たんきしん申候き、かさねて彼所のうちの田二たん、しやうかく寺へきしんた てまつり候なり、もし寺りやうの田は…

己斐文書10

一〇 前能登守親冬寄進状 寺⬜︎修理之時ハ面々人夫御出候て可レ有二修理一候、親冬も人夫以下可二進上仕一候 也、 畏申入候、 抑眞如庵 成佛寺 引導寺 常楽寺 念福寺 万福寺寺領等、私之用要仁不レ可レ (反ヵ) (以) 有⬜︎⬜︎態申事候、但公方事社役⬜︎下事ハ…

己斐文書9

九 前能登守親冬寄進状 安藝国三田新庄下村内寺原之良心知行分⬜︎⬜︎田一反、寄進申候由申候者間、親冬 (地) 寄進申候也之内一反者、道専之位拜料處寄進申處也、 一土橋湯屋谷田二反 本眞如庵敷地畠 同林之内田一反 妙光之位拜料處、岡之當庵 敷地畠寄進申處…

己斐文書8

八 前能登守親冬寄進状 (牌) 安藝国三田新庄下村栗原之内池坪田一反、道専并栗原右京助親家之二親爲二位拜 (違) (親房) 料處一眞如庵寄進申處也、若彼所韋乱之於二友族一者、親冬之嫡子宮内少輔可レ致二 其沙汰一状如レ件、以二此旨一可レ有二御披露一…

己斐文書7

七 前能登守親冬寄進状 (三) 安藝国⬜︎田新庄下村内成佛寺々領等事、親候物良阿依二⬜︎進申一、田畠林以下親冬 (申處) (違) 寄進⬜︎⬜︎也、若於二⬜︎乱友族一者、親冬之嫡子宮内少輔親房可レ致二其沙汰一、坊主 (持) 御死去之後者、住地可レ爲二御計一候…

己斐文書6

六 前能登守親冬寄進状 安藝国厳島御神領内三田新庄下村内正覚寺寄進申候田畠林事 一所 眞如庵敷地畠林之内壹反 一所 湯屋谷田貳反 (峠) 一所 眞木かたをに田壹反 同所林屋敷一所 一所 栗原内池坪田壹反 寄進申候也、 若於二親冬子孫一違乱申者候者、惣領…

己斐文書5

五 中務少輔親冬寄進状 畏申入候、 下栗原之内田一反進上仕候、親冬⬜︎⬜︎子孫者彼田異儀申候者、可レ有二不孝友 (族) (競望) から一候、就レ其眞如庵奉二請之一、於二御寺領一愚身之子孫親類けいはう成申物 候者、可レ有二不孝仁一候、爲レ後如レ此申入候…

己斐文書4

四 良親寄進状 (端裏) (う) 「ほうせいの御きしんしや⬜︎」 安藝國三田新庄下村内ほうせいの田畠栗林の事 成佛寺のほん寺りやうとともに、しんによあんそううん僧へ永代き進したてまつり候 也、かもんのすけ入道道秀禅門の菩提所として取興行可レ有候、惣…

己斐文書3

三 掃部頭親貞譲状 (奉請) ゆつりわたすあきのくに三田しんしやうのうちほうせい田はたけはやし、ふさいちよ まつによにゆつりわたすものなり、いちこののちハ親貞かほたいそとして、しそんの あとをとふらうへし、 (境) 右このところのさかへの事、かミ…

己斐文書2

二 慈雲譲状 (ゆつり) [ ]わたす入たうさこのやまはやしはたけこ田の事 (手) (限) 右かの入たうさこは、こ入たうとのゝ御てより、ゑいたいをかきりてゆつりゆるとこ (甥) (蔵) ろ也、しかるをおなしをいなからくら人二らうにふちされ、心やすく…

己斐文書1

解題 南北朝時代十三通、戦国時代二通からなる。前者は厳島社領であった高田郡三田新庄下村の在地の状況を示す文書で、譲状三通、寄進状七通を含んでいる。後者は毛利氏からの宛行状と仮名書出である。 本文書は三田村(広島市白木町)の正覚寺に伝来した文…

横山林左衛門氏旧蔵文書(完)

解題 前記、伊藤信久への下文と同じ性質のものである。横山真高は鈴張(現広島市安佐町)の関山城に拠っていた豪族である。文政のころの鈴張村庄屋幸右衛門その子孫であるという。 一 大内義隆下文 ○東大影寫本ニヨル (義隆) (花押) 下 横山右馬助眞高 …

伊藤文書(完)

解題 天文十年(一五四一)、金山城を落とした大内義隆が天文十四年(一五四五))に伊藤信久に下したものである。 伊藤氏はその後の戦乱などで所領や判物の大半を失い、沼田郡伴村(広島市沼田町)へ蟄居し医者などをつとめた。享保六年(一七二一)の沼田…