周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

康富記

楽しくない栗拾い

宝徳二年(一四五〇)八月二十八日条 (『康富記』3─204頁) 大炊御門殿若公御讀始参事、 廿八日己亥 晴、 (中略) 後日或語云、今日北歓喜寺後苑有栗、山名方中間下人等亂入拾栗之間、加制止之處、 ノ 不承引、及悪口、仍喧嘩出来、寺僧琛侍者被疵云々…

流浪の果てに…

宝徳二年(一四五〇)八月十三日条 (『康富記』3─198頁) 十三日甲申 雨下、 (中略) 富樫被官人本折主計與兄絶行、一両年令流浪、近則爲鵜高寄人云々、今日富樫令人打 之、折節甘露寺左中辨亭立入、臥下女局之時打之取頸云々、依之左中辨亭令触穢 云…

異形の捨て子と連続する怪異

宝徳二年(一四五〇)八月九日条 (『康富記』3─196頁) 九日庚辰 晴、 (中略) 給事中令語給云、去月廿三日七條西洞院邊棄兒、人見及分馬之形也云々、依之賀三品 在貞卿尋問先蹤之間、披見諸道勘文、注出先例一通遣之云々、草案拜見了、仁徳天皇 御宇…

あ〜、高くついたなぁ…

宝徳二年(一四五〇)七月十九日条 (『康富記』3─190頁) 十九日辛酉 晴、 (中略) 或語云、和泉守護細川兵部少輔去年被誅山臥之間、都鄙山臥楯籠新熊野社頭、呼集諸 国山臥、率大勢、一昨日可押寄兵部少輔屋形、(割書)「綾小路万里小路、」且新熊 …

長生きは百文の徳

文安六年(一四四九)五月二十六日条 (『康富記』3─12頁) 廿六日乙巳 晴、或云、此廿日比、自若狭國、白比丘尼トテ、二百餘歳ノ比丘尼令上 洛、諸人成奇異之思、仍守護召上歟、於二條東洞院北頬大地蔵堂、結鼠戸、人別取料 足被一見云々、古老云、往年…

弓矢の道と同性愛

文安五年(一四四八)七月二十五日条 (『康富記』2─315) 廿五日己酉 晴、於三福寺講述而篇了、 傳承分、今朝飯尾四郎右衛門尉遁世云々、加賀入道次男也、此間與細河讃州被官人、 有公事之子細、一昨日屬無為分也、尚有其憤之故歟如何、其謂聞及分ハ、…

この木何の木? 餅のなる木

文安五年(一四四八)五月二日条 (『康富記』2─289頁) 二日丁亥 晴、 (中略) 一昨日室町殿祗候了、其時分、自大方殿、椿枝ニ餅之生タル被送進之間、人々稱奇異 見了、同於御前拜見之由令語給、此椿樹ハ嵯峨雲居庵之庭之椿也、赤キ餅ノちいさき が出…

中世のキラキラネーム ─女子の幼名はどう決まる?

文安五年(一四四八)四月十五日条 (『康富記』2─274頁) 十五日庚午 晴、 (中略) 鴨御蔭山祭也、祭儀如例、予密々伴山下親衛禅門見物、先過出雲路道祖神敬白之 (サイ) 處、或女姓令懐兒女、可被付名之由、令申山下之間、卽道祖ト付了、其母堂卜シ…

ハゲの悩みは通時代的か!?

文安元年(一四四四)八月十九日条 (『康富記』2─89頁) 十九日乙丑 晴、供養妙徳庵坊主、山城国水無瀬、(割書)「或ハ廣瀬トモ云、山崎 ノ南也、」在行基御作阿彌陀佛、金泥、三尺餘、 経数百之星霜、坐一宇之蘭若、近 年破壊、見路道、侵雨露之間、人…

こんなところで産まなくても…

嘉吉二年(一四四二)十月十九日条 (『康富記』1─306頁) 七社奉幣事、 十九日丙午 晴、 (中略) 是日管領被レ立二両使(割書)「飯尾肥前入道、松田対馬入道、」於石清水一、是 自二社家一有二注進一云、猪之鼻辛櫃石邊にて妊婦令レ産レ子令二触穢一…

憧れのお伊勢参り ─室町時代の官僚の場合─

応永二十九年(一四二二)四月十三日〜二十日条 (『康富記』1─167・168頁) 十三日己亥 晴、明日吉田祭必定云々、 自今夕勘解由小路猪熊式部亭面々行向夜宿、明日可参宮之故、爲精進屋者也、李部講 親也、面々取分銭一貫文許在之、但予借銭一貫文也…

ムショに神輿がやってきた

応永八年(一四〇一)五月八日条 (『康富記』1─1頁) 九日丁酉 雨降、今日紫野今宮祭也、近衛西洞院獄門内構旅所、侍所所司代、又所司 代長松奉行也、此所新儀也、先々神行之時、獄門外ニテ糟神供進之也、⬜︎獄門邊御旅 所之由、申之歟之間如此、獄内構之…