周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

楽しい古記録

遺骨の使いみち

応永二十九年(一四二二)九月六日条 (『看聞日記』2─224頁) 六日、雨降大風吹、所々吹破、御所門以下破了、 (中略) 抑聞、於河五条原今日大施餓鬼依風雨延引云々、此事去年飢饉病悩万人死亡之間、 為追善有勧進僧、〈往来囉斎僧相集、〉以死骸之骨…

疫神の中世的イメージ

応永二十八年(一四二一)五月二十八日条 (『看聞日記』2─133頁) (冷泉範綱ヵ) (後小松上皇) 廿八日、正永参語世事、洛中病死興盛、言語道断事云々、此間仙洞有御夢想、相国 寺門前ニ牛千頭許群衆、門内へ欲入、而門主防之追出、前ニ進ム牛声ヲ出…

中世のファフロツキーズ ─空から鮒が降ってきた─

応永二十七年(一四二〇)六月二十九日条 (『看聞日記』2─59頁) 廿九日、晴、晡夕立降、 (中略) 抑室町殿仕女局ニ鮒自天降下云々、不思儀事也、陰陽師火事之由占申云々、此局 洞院娘西御方也、其後此女房室町殿背御意、被成尼云々、所詮此女房恠異也…

天狗のイタズラ

応永二十七年(一四二〇)六月二十七日条 (『看聞日記』2─59頁) 〔釈〕 廿七日、晴、酉時有大地震、帝尺動也、又有焼亡、〈申時歟、〉北小路油小路辺 云々、天狗洛中荒云々、先日中京辺在家四五間菖蒲を逆ニ葺云々、天狗所為歟、 炎旱非只事、御祈禱雖…

剣舞はいつから?

応永二十七年(一四二〇)二月十日条 (『看聞日記』2─24頁) 十日、晴、早旦御堂巡礼、 (中略) 抑便路之間桂地蔵堂参詣、御堂造営奇麗也、暫念誦之間門前有放歌、以太刀刀跳 狂、男共見物、其風情奇得之由申、立輿見之、誠奇異振舞、不可説也、賜扇則…

神の姿を見るタブー

応永二十六年(一四一九)六月二十五日条 (『看聞日記』1─284頁) 廿五日、晴、 (中略) 抑大唐蜂起事有沙汰云々、出雲大社震動流血云々、又西宮荒夷宮震動、又軍兵数十 騎広田社ヨリ出テ東方へ行、其中ニ女騎之武者一人如大将云々、神人奉見之、其後 …

厠の尼子さんとその眷属

【史料1】 応永二十五年(一四一八)十月二日条 (『看聞日記』1─234頁) 二日、晴、 (中略) (称光天皇) 去比禁中はけ物あり、女房腰より下は不見半人也、主上大便所ニて被御覧云々、 〔違〕 (白川) 其以後御遣例、此化人主上、資雅朝臣ニ有御物…

酒好きの狸

応永二十四年(一四一七)五月八日条 (『看聞日記』1─125頁) 八日、晴、勝阿参、一献持参、抑聞、今日一条辺酒屋下女一人来、取酒則飲帰之処、 犬来吠之、下女仰天逃去、人々犬を追、而犬猶走懸為食令叫喚、然間帽子ヲ落了、 頭ニ毛生有耳、其時はけ物…

中世の最先端医療

【史料1】 応永二十三年(一四一六)九月二十二日条 (『看聞日記』1─65頁) (法安寺僧) 廿二日、晴、瘧病発日也、暁弘法大師御筆以下濯之呑、良明房令加持、然而又発了、 但聊軽分なり、 「書き下し文」 二十二日、晴る。瘧病発る日なり、暁に弘法大…

室町時代の都市伝説

応永二十三年(一四一六)七月二十六日条 (『看聞日記』1─55頁) 廿六日、晴、 (中略) (録) 抑伝説記禄雖比興、風聞巷説記之、去比京下方辺米有沽却者、件家ニ男一人来テ マス 米ヲ買ヘシトテ、器物升ト云物ヲ預置、取ニ来ランマテ、此升ヲ持上ヘカ…

ドラマチックな地蔵譚

応永二十三年(一四一六)七月十六日条 (『看聞日記』1─45頁) 十六日、晴、伝聞、山城国桂里ニ辻堂之石地蔵、去四日有奇得不思儀事、其子細 者、阿波国ニ有賤男、或時小法師一人来云様、我住所草庵破壊雨露もたまらす、 仍可造作之由思也、来て仕るへし…

ありがとう、天神様! 神をいたわる中世人

応永二十三年(一四一六)五月二十一日条 (『看聞日記』1─32頁) (庭田) 廿一日、晴、重有朝臣出京帰参、世事語之、春日社・日吉社有怪異云々、春日宝前 辺穴俄出来、〈一夜之間出来〉、穴底ヘ棹ヲ差入深事及二丈云々、不思儀之間、 社家注進云々、又…

妙薬!? 亀の小便

応永二十三年(一四一六)四月二十六日条 (『看聞日記』1─29頁) (栄仁親王) 廿六日、晴、御所様此間御耳ホ丶メキテ不聞、昌耆有御尋、亀ヲ水ニ洗テ、アヲノケ テ鏡ノ影ヲ令見之時、小便ヲスヘシ、其シトヲ良薬ニ合テ御耳ニ可入之由申、良薬 献之、仍…

怪鳥来襲 ─バケモノの処理法─

応永二十三年(一四一六)四月二十五日条 (『看聞日記』1─29頁) 廿五日、晴、聞、北野社ニ今夜有怪鳥、鳴声大竹ヲヒシクカ如云々、社頭モ鳴動ス、 二またの杉ニ居テ鳴、参詣通夜人消肝云々、宮仕一人以弓射落了、其形頭ハ猫、 身ハ鶏也、尾ハ如蛇、眼大…

銀の花

弘安三年(一二八〇)八月三日・四日・七日・二十一日条 (「弘安三年中臣祐賢記」『増補續史料大成 春日社記録』3─60〜67) 三日、申剋、五所の御寶殿ニ等、銀花開之由、神人令申之間、令實檢之處、數十本 (安倍)(土御門) 之間、銀實否依難治定、…

死人を食べること

建久九年(一一九八)四月七日条「嘉禎二年中臣祐定記」 (『増補續史料大成 春日社記録』1─96) 一正預遠忠者、自腹腰力ツキ立、アヤマチテ也、仍不参、但七日辰時事也、仍山城國 (薦ヵ) 房池之所クスシ召間、兒干御薬令食還了、以外事也、 同年四月二…

涙、なみだの、官僚暮らし

宝徳三年(一四五一)十月二十五日 (『康富記』3─295・301頁) 廿五日庚寅 晴陰、入夜雨下、向飯彦許、予窮困過法、小屋及大破、既欲令顚倒之間 愁訴注一通、付弾正可令披露万里小路中納言殿之由答、 (中略) 權大外記康富謹言、 欲優曩祖勤労助一…

猪突猛進!

宝徳三年(一四五一)九月十三日条 (『康富記』3─278頁) 十三日戊申 晴、 (中略) 是日或語云、今月七日就春日神木御入洛事、被制止之由、綸旨御教書等被成下南都、 使節奉行三人下向之日、朝之程、於宇治邊、自或藪中猪走出、(割書)「自元負手歟 …

楽しくない栗拾い

宝徳二年(一四五〇)八月二十八日条 (『康富記』3─204頁) 大炊御門殿若公御讀始参事、 廿八日己亥 晴、 (中略) 後日或語云、今日北歓喜寺後苑有栗、山名方中間下人等亂入拾栗之間、加制止之處、 ノ 不承引、及悪口、仍喧嘩出来、寺僧琛侍者被疵云々…

流浪の果てに…

宝徳二年(一四五〇)八月十三日条 (『康富記』3─198頁) 十三日甲申 雨下、 (中略) 富樫被官人本折主計與兄絶行、一両年令流浪、近則爲鵜高寄人云々、今日富樫令人打 之、折節甘露寺左中辨亭立入、臥下女局之時打之取頸云々、依之左中辨亭令触穢 云…

異形の捨て子と連続する怪異

宝徳二年(一四五〇)八月九日条 (『康富記』3─196頁) 九日庚辰 晴、 (中略) 給事中令語給云、去月廿三日七條西洞院邊棄兒、人見及分馬之形也云々、依之賀三品 在貞卿尋問先蹤之間、披見諸道勘文、注出先例一通遣之云々、草案拜見了、仁徳天皇 御宇…

あ〜、高くついたなぁ…

宝徳二年(一四五〇)七月十九日条 (『康富記』3─190頁) 十九日辛酉 晴、 (中略) 或語云、和泉守護細川兵部少輔去年被誅山臥之間、都鄙山臥楯籠新熊野社頭、呼集諸 国山臥、率大勢、一昨日可押寄兵部少輔屋形、(割書)「綾小路万里小路、」且新熊 …

長生きは百文の徳

文安六年(一四四九)五月二十六日条 (『康富記』3─12頁) 廿六日乙巳 晴、或云、此廿日比、自若狭國、白比丘尼トテ、二百餘歳ノ比丘尼令上 洛、諸人成奇異之思、仍守護召上歟、於二條東洞院北頬大地蔵堂、結鼠戸、人別取料 足被一見云々、古老云、往年…

中世の逆三枚起請!?

一 行雲起請文 (町内文書『甲奴町誌』資料編) 「解説」 これは明治十九年(一八八六)に、甲奴町宇賀品谷の八幡神社の神像の体内文書として、時の社掌信野友幸氏が発見されたものである。 現在町内に存在する古文書のうちで最も古いもので、傷みがひどくて…

弓矢の道と同性愛

文安五年(一四四八)七月二十五日条 (『康富記』2─315) 廿五日己酉 晴、於三福寺講述而篇了、 傳承分、今朝飯尾四郎右衛門尉遁世云々、加賀入道次男也、此間與細河讃州被官人、 有公事之子細、一昨日屬無為分也、尚有其憤之故歟如何、其謂聞及分ハ、…

この木何の木? 餅のなる木

文安五年(一四四八)五月二日条 (『康富記』2─289頁) 二日丁亥 晴、 (中略) 一昨日室町殿祗候了、其時分、自大方殿、椿枝ニ餅之生タル被送進之間、人々稱奇異 見了、同於御前拜見之由令語給、此椿樹ハ嵯峨雲居庵之庭之椿也、赤キ餅ノちいさき が出…

中世のキラキラネーム ─女子の幼名はどう決まる?

文安五年(一四四八)四月十五日条 (『康富記』2─274頁) 十五日庚午 晴、 (中略) 鴨御蔭山祭也、祭儀如例、予密々伴山下親衛禅門見物、先過出雲路道祖神敬白之 (サイ) 處、或女姓令懐兒女、可被付名之由、令申山下之間、卽道祖ト付了、其母堂卜シ…

ハゲの悩みは通時代的か!?

文安元年(一四四四)八月十九日条 (『康富記』2─89頁) 十九日乙丑 晴、供養妙徳庵坊主、山城国水無瀬、(割書)「或ハ廣瀬トモ云、山崎 ノ南也、」在行基御作阿彌陀佛、金泥、三尺餘、 経数百之星霜、坐一宇之蘭若、近 年破壊、見路道、侵雨露之間、人…

こんなところで産まなくても…

嘉吉二年(一四四二)十月十九日条 (『康富記』1─306頁) 七社奉幣事、 十九日丙午 晴、 (中略) 是日管領被レ立二両使(割書)「飯尾肥前入道、松田対馬入道、」於石清水一、是 自二社家一有二注進一云、猪之鼻辛櫃石邊にて妊婦令レ産レ子令二触穢一…

憧れのお伊勢参り ─室町時代の官僚の場合─

応永二十九年(一四二二)四月十三日〜二十日条 (『康富記』1─167・168頁) 十三日己亥 晴、明日吉田祭必定云々、 自今夕勘解由小路猪熊式部亭面々行向夜宿、明日可参宮之故、爲精進屋者也、李部講 親也、面々取分銭一貫文許在之、但予借銭一貫文也…