周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

福成寺文書(完)

福成寺文書9(完)

九 阿曾沼元秀書状 (端裏捻封ウハ書) 「 より [ ] ⬜︎同宿中 阿豊 」 已上 今度者御無心之儀申候処ニ、御分別本望存候、清道寺廿石之地令レ進レ之候、可レ 有二御知行一候、弥々御馳走憑存候、恐々謹言、 慶長二(1597) 阿曾沼 五月十日 豊後守(花押) …

福成寺文書8

八 毛利氏奉行人連署禁制 禁制 安藝国東西条福成寺 (通直) 右、今度爲二河野殿御会合所一、有三数日御二逗-留當山一也、仍至二四至傍尓一、 山野竹木伐採以下之狼藉、堅被二停止一畢、若於二違背之族一者、忽可レ被レ處二 重科一旨、依レ 仰下知如レ件、 …

福成寺文書7

七 小早川隆景書状 當山之儀、前々姿聊無二相違一申談、何篇不レ可レ存二疎意一候、猶裳懸河内守可レ 申候、恐々謹言、 十月九日 隆景(花押) 福成寺々務 御同宿中 「書き下し文」 当山の儀、前々の姿聊かも相違無く申し談じ、何篇疎意を存ずべからず候ふ、…

福成寺文書6

六 小早川隆景書状 至二此間一者厳嶋、山中衆下向、炎天之時分御気⬜︎儀候、次用段之儀、従二両人一 可レ申候、御同心可レ爲二祝着一候、猶日名内源三可レ申候、恐々謹言、 七月一日 隆景(花押) 福成寺 一山中 「書き下し文」 此の間に至りては、厳島に山中…

福成寺文書5

五 毛利輝元書状 (通直) 就二今度河野殿会合一、数日令二逗留一之處、毎事御馳走祝着候、殊往代之證文等 (元秀) (元勝) 銘々披二見之一、感入存候、猶赤川十郎左衛門尉粟屋右京亮可レ申候、恐々謹言、 (天正十二年)(1584) 六月廿五日 輝元(花押)…

福成寺文書4

四 毛利輝元加判并同氏奉行人連署制札 (輝元) (花押) 右當寺立山竹木採用之事、堅加二制止一畢、若於二違犯族一者、可レ被二厳科一之旨、 依レ 仰制札如レ件、 (1572) 赤川(元秀) 元亀参年二月九日 十郎左衛門尉(花押) 粟屋(元眞) 掃 部 助(花…

福成寺文書3

三 毛利弘元書状 爲二末代一愁訴も如何ニ候之間、就二御申一自二御奉行衆一承候者、以レ次心底申上 度候、被二御心得分一候て可レ被レ懸二御意一候、委細之旨、飯田下野守護御使者 可二申入一候、毎事重而恐惶謹言、 三月廿一日 弘元(花押) (周防興隆寺)…

福成寺文書2

二 後村上天皇綸旨(宿紙) (賀茂郡) 安藝國東條郷之内三永村事、爲二福成寺領一令二寄附一了、寺務不レ可レ有二相違一 者、天気如レ此、悉レ之、以状、 (1358) 正平十三季十二月八日 左中将(花押) 「書き下し文」 安芸国東條郷の内三永村の事、福成寺…

福成寺文書1

【福成寺文書】 解題 この寺は真言宗の古刹で、縁起によると聖武天皇の開基で寺号を「福納寺」と称えていたが、弘法大師巡錫の時、寺地を移し、その後は「福成寺」と呼ぶようになった。源平合戦のころ、源範頼の軍勢は平家を討つためこの地方へも下向し、安…