周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

福王寺文書(完)

福王寺文書22 その7(完)

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その7 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきま…

福王寺文書22 その6

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その6 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきま…

福王寺文書22 その5

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その5 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきま…

福王寺文書22 その4

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その4 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきま…

福王寺文書22 その3

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その3 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきま…

福王寺文書22 その2

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その2 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきま…

福王寺文書22 その1

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その1 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきま…

福王寺文書21

二一 別當僧正某安堵状寫 別當僧正書判 新熊野社領安藝国三入庄領家職事、任二相傳一令二知行一候、有レ限社役以下任二先 例一無二懈怠一、可レ被レ致二其心得一之由別當僧正御房所レ仰也、仍執達如レ件、 (1368) 應安元年八月十三日 權大僧都書判 權大僧…

福王寺文書20

二〇 武田光誠氏信宛行状寫 (安北郡) 侍従阿闍梨良海申安藝国可部庄内福王寺別當職事、右就二良海由緒一令レ申之間所二 宛行一也、任二先例一可レ致二沙汰一之状如レ件、 (1375) 永和元年八月 日 判 侍従阿闍梨御房 「書き下し文」 侍従阿闍梨良海申す安…

福王寺文書19

一九 武田信繁安堵状寫 安藝国安北郡可部庄内福王寺領(割書)「後山綾谷」名之事、於二而諸役等一者不レ 可レ有二違乱煩一候、若致下背二此旨一輩上者、不レ可レ爲二子孫一者也、仍爲二後證一 状如レ件、 (1436) 永享八年十月十五日 前伊豆守信繁 判 福王…

福王寺文書18

一八 沙弥乗光武田信在寄進状寫 寄進 (安北郡) (奈ヵ) 安藝国可部庄福王寺奥院大師御影堂免、同庄内小桑原田畠山所等事、 (マ丶) 右此免田等、致二子々孫々一有二違乱煩一者、不レ可レ爲二子孫一之状如レ件、 (1400) 應永七年正月十一日 沙弥乗光 福…

福王寺文書17

一七 守護代沙弥惠一宛行状寫 宛行 可部庄内重吉名主職 合田數注文別紙在レ之 福王寺院主觀蜜坊 右名者、先名主禪智房依レ有二子細一、寺務職云彼名主分云被二召放一畢、雖レ然 以二別儀一所レ加二下知一也、早任二先例一有レ限濟物御公事等可レ被二勤仕一之…

福王寺文書16

一六 武田光誠氏信書状寫 不動堂建立事尤可レ然候、仍爲二彼寺領一始二苻中之堤興行事一、在所繪圖加二一 見一畢、不レ可レ有二子細一候、且當堂被二取立一候後、寄附状等者重可レ進候、先 以二此状一可レ有二御興隆一候也、恐々謹言、 正月十七日 光誠 判 …

福王寺文書15

一五 武田光和安堵状寫 福王寺別当職并諸末寺社家殊九品寺之事、任二先判之旨一被レ全二寺務一、不レ可レ 有二修理勤行等懈怠一之状如レ件、 八月一日 光和判 福王寺 「書き下し文」 福王寺別当職并に諸末寺社家殊に九品寺の事、先判の旨に任せ寺務を全うせ…

福王寺文書14

一四 武田信在安堵状寫 安藝国可部庄九品寺事 右當寺院主職者、先年御知行之間、如レ元返二付于福王寺一、別當良海阿闍梨申 之處也、仍全二知行一 天地長久之御祈禱可レ被レ致二精誠一之状如レ件、 (1393) 明徳四年三月廿四日 伊豆守信在判 「書き下し文」…

福王寺文書13

一三 武田信在安堵状寫 安藝国可部庄福王寺院主職事 (智) 右當寺院主職同寺領等、任二弁律師禅知之例一、一円寺務管領不レ可レ有二相違一之 状如レ件、 (1392) 明徳三年六月一日 信在判 (良海) 福王寺別當侍従阿闍梨御房 「書き下し文」 安芸国可部庄…

福王寺文書12

一二 武田氏信安堵状寫 福王寺領安藝国可部庄内重吉名事 右當名者、爲二往古寺領一之上者、寺務不レ可レ有二相違一之状如レ件、 (1359) 延文四年十一月廿二日 伊豆守判 別當兵部卿律師御房 「書き下し文」 福王寺領安芸国可部庄重吉名の事 右当名は、往古…

福王寺文書11

一一 法眼郎舜奉書寫 福王寺免田等事、御寄進之状進レ之候、此上者爲二當寺御祈禱所一、可レ被レ進二毎 年御巻数一候也、仍執達如レ件、 (1329) 嘉暦四年八月廿八日 法眼郎舜奉判 謹上 福王寺別當御房 「書き下し文」 福王寺免田等事、御寄進の状之を進ら…

福王寺文書10

一〇 備後権守長兼書状寫 (候脱) 御巻数入二見参一候了、神妙之由所二御気色一也、恐々謹言、 十二月十三日 備後権守長兼判 福王寺別当御房 御返事 「書き下し文」 御巻数見参に入れ候ひ了んぬ、神妙の由御気色候ふ所なり、恐々謹言、 「解釈」 ご巻数をお…

福王寺文書9

九 足利義満御判御教書寫 爲二天下安全一、可レ致二祈禱之精誠一之状如レ件、 (1394) (義満) 應永元年十一月九日 御判 (良海) 福王寺院主侍従律師御房 「書き下し文」 天下安全の為、祈祷の精誠を致すべきの状件のごとし、 「解釈」 天下の安全のため…

福王寺文書8

八 武田信賢安堵状寫 (別) 安祥寺御法流、悉依二御相傳一、爲二天下護持一、相二副東寺之佛舎利并勅筆一被二授 与一之上者、於二當國聖道門家一可レ爲二捴別當一之旨申定訖、若有二違背之族一者、 可レ加二成敗一之状如レ件、 (1460) 長禄四年八月廿七日…

福王寺文書7

七 武田信賢禁制寫 禁制 福王寺領山上山下條々 一伐二採山木一事 一女人夜宿事 一往来僧俗并乞食不レ可レ入事 一軍勢甲乙人等不レ可三乱二入寺領一事 一於二寺領一不レ可二殺生一事(割書)「但、大宮一頭狩者非制之限」 右於二違犯之輩一者、不レ嫌二権門高…

福王寺文書6

六 安祥寺隆快叙位状寫 大勝金剛院 權大僧都寛雅 冝叙法眼 (1460) 長禄四年八月廿七日 別當權大僧都法眼大和尚位 判 *書き下し文・解釈は省略。 「注釈」 「大勝金剛院」─西安祥寺のことか。1号文書の注釈参照。ただ、22号文書「安藝国 金龜山福王寺縁…

福王寺文書5

五 福王寺僧官人数記寫 福王寺之僧官位事 權少僧都 五人 權律師 十人 阿闍梨 十人 右廿五人、永代爲二寺官一昇進之事、不レ可レ有二子細一候、此外不レ可レ有二競望之 儀一候也、 (1460) 長禄四年八月廿七日 安祥寺權大僧都隆快 判 福王寺 別當御房 「書き…

福王寺文書4

四 後花園天皇口宣案寫 上卿 廣橋中納言 (1459) 長禄三年七月十一日 宣旨 權少僧都寛雅 冝轉權大 蔵人頭右大辨兼山城守權藤原経茂奉 *書き下し文・解釈は省略。 「注釈」 「廣橋中納言」─広橋綱光。 「寛雅」─未詳。福王寺の住持か。 「権少僧都」 ─僧正…

福王寺文書3

三 後花園天皇口宣案寫 上卿 甘露寺中納言 (1454) 享徳三年四月廿一日 宣旨 權律師寛雅 冝任權少僧都 (大脱) 蔵人權右辨藤原経茂奉 *書き下し文・解釈は省略。 「注釈」 「甘露寺中納言」─甘露寺親長。 「権律師」─僧綱第三位の僧官。律師には、大律師…

福王寺文書2

二 後花園天皇口宣案寫 上卿 四條中納言 (1445) 文安二年十二月廿七日 宣旨 (寛雅) 大法師宥椿 冝任權律師 蔵人左中辨藤原俊秀奉 *書き下し文・解釈は省略。 「注釈」 「口宣案」─職事=蔵人頭が勅命を上卿に伝宣する場合は、もともと口頭でするのが原 …

福王寺文書1

解題 この寺は縁起によると弘法大師の開創という。当時の本尊不動明王が藤原時代あるいは鎌倉時代とみられる立木仏であったこと、大治二年(1127)鳥羽院が可部庄百八石を高野山へ寄進していることからして、平安末期までには開創されたとみてよかろう。…