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周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

洞雲寺文書38

三八 毛利輝元書状 先度者洞春寺御越之由候、對二我等一快然之至候、向後常令二来臨一給候者、尤可レ 爲二本望一候、恐々謹言、 三月十日 輝元(花押) 洞雲寺床下 「書き下し文」 先度は洞春寺に御越しの由候ふ、我等に對して快然の至りに候ふ、向後常に来…

洞雲寺文書37

三七 毛利輝元安堵状 安芸國佐西郡佐方村洞雲寺領、元圓満薬師寺領、同永興寺領之事、任二代々證文之 (友田) 旨一諸役等令二免許一訖、并興藤寄進之地坪附別在之 等之事、以二宗用和尚譲状之 辻一、執務領掌不レ可レ有二相違一之状如レ件、 (1580) 天正…

中世の昼ドラ 〜新妻の不倫!〜

文安四年(一四四七)三月十四日条 (『建内記』8─32) 十四日、乙巳、天霽、 (中略) 傳聞、中御門大納言宗継卿、新妻者、月輪右衛門督家輔卿、息女也、元爲喝食在光香 院二条家門内也、宗継卿⬜︎[ ]許見付之、奪取令同輿、入室作女房、不可説事也、 …

洞雲寺文書36

三六 穂田元清書状 (端裏書) 「 四郎 洞雲寺 衣鉢閣下 元清」 (全室) (毛利元就)(毛利隆元) 藝州佐西郡佐方村洞雲寺領之事、先住宗用御与奪之上者、任二 洞春寺殿常栄寺殿 殊輝元御判形之旨一、無二相違一有二御知行一、御寺家御建立并勤行等、無二…

洞雲寺文書35

三五 毛利元就同輝元連署安堵状 安芸国佐西郡佐方村洞雲寺領、元圓満薬師寺領、同永興寺領之事、任二代々證文 (友田) 旨一諸役等令二免除一畢、并興藤寄進地坪付在レ之、執務領掌不レ可レ有二相違一之状 如レ件、 (1571) 元亀貳年卯月九日 輝元(花押) …

洞雲寺文書34

三四 新里元勝下地引渡證文 (端裏書) 「坪井永代也」 永代本銭返下地之事 合米坪井年貢舛三斗入五拾貳俵一斗六舛請取申所実也、并爲二礼銭一廿貫文請取申 候畢、 右引渡申候下地之坪本者、芸州佐西郡坪井村之内、坪本一所大畠五百田一段、一所 (垣) 衛門…

UFO!? 空飛ぶカワラケ!

文安四年(一四四七)三月十二日条 (『建内記』8─27) 十二日、癸卯、天霽、 (中略) 傳聞、先夜天有光物、其勢、如土器二十許連續飛天、入空中云々、 「書き下し文」 十二日、癸卯、天霽れ、 (中略) 伝え聞く、先夜天に光る物有り、其の勢い、土器二…

洞雲寺文書33

三三 毛利隆元書状 於二 厳嶋一一千部讀誦之事存立候、然者導師之儀申入候、被レ成二其心得一御執行 所レ仰候、猶奉行共可レ得二貴意一候、恐惶謹言、 (永禄四年ヵ)(1561) 八月十一日 隆元(花押) 洞雲寺 侍衣閣下 「書き下し文」 厳島に於いて一千部讀…

洞雲寺文書32

三二 洞雲寺登懌申状案 ○東大影写寫本ニヨル (端裏書) 「元就様御奉行中 (元久) 赤河源左衛門尉殿 御披露 洞雲寺」 態以二使僧一令レ申候、仍當寺之儀厳島[ ]公方様之御位牌并二親之位牌 被二立置一候間、不レ準二諸寺家一従二前々一諸役等無レ之候、…

洞雲寺文書31

三一 吉川元春熊谷信直連署書状 謹而令二啓書一候、抑今度櫻尾之儀奉レ憑候処、以二御入魂一被レ成二御辛労一候、 (毛利) 難二申尽一候、仍當郡之内永興寺之事、元就隆元申聞被二進置一候、於二我等一太 悦候、爲二後日一一通并對二両人一添状進獻候、早速…

拾いますか? 拾いませんか?

文安四年(一四四七)三月六日条 (『建内記』8─14) 六日、丁酉、雨降、「夜霽戌刻星二捕合、一者落下、一者入天不見云々、勘文可尋」 (中略) (斎藤有子) 冷泉局参詣石山寺、於大門内拾銭十三文利生顕然、所願成就之先兆、祝着之由、 翌日演説、 「…

洞雲寺文書30

三〇 毛利元就同隆元連署宛行状案 (安芸佐西郡) (佐西郡) 今度櫻尾之儀御入魂忝候、仍神領之内永興寺之事進レ之置候、全可レ被レ成二御執 務一候、爲二後日一一筆如レ件、 (1554) 天文廿三甲寅五月廿三日 隆元判 元就判 永興寺打渡案文 洞雲寺 衣鉢閣…

洞雲寺文書29

二九 陶氏奉行人連署安堵状 (大内義興) (大内義隆) 去永正十八年三月十一日如二 凌雲寺殿様御判物并天文十年四月廿六日 龍福寺殿 御判物一、當寺御領分諸天役御免除之儀、向後聊不レ可レ有二相違一候、此上猶不レ 可レ有二違目一之通、直可レ被レ得二尊…

洞雲寺文書28

二八 陶晴賢安堵状 安芸國佐西郡佐方村洞雲寺領元圓満寺薬師寺領事、任二去永正十八年三月十一日 (大内義興) (大内義隆) 凌雲寺殿、天文十年四月廿六日 龍福寺殿御裁許之旨一、諸役等令二免除一畢、并 (友田) 興藤寄進地坪付在別紙之者、守二先例一云…

不吉な兆候テンコ盛り!

文安四年(一四四七)三月六日条 (『建内記』8─13) (補書) 六日、丁酉、雨降、「夜霽戌刻星二捕合、一者落下、一者入天不見云々、勘文可尋、」 (中略) 家久説、後日勘付之 (中臣) 傳聞、去月興福寺南円堂有光物入堂中(挿入)「後日、尋氏人家久…

洞雲寺文書27

二七 陶氏奉行人奉書 (陶) 當御寺領在々所々事、任二先御代々御判之旨一、不レ可レ有二相違一之由晴賢領掌 訖者、以二此条一永御執務可レ爲二肝要一、仍執達如レ件、 (1552) (江良房栄) 天文廿一年六月十八日 丹後守(花押) 洞雲寺 登懌和尚 侍衣閣下…

洞雲寺文書26

二六 陶晴賢安堵状 安芸國佐西郡佐方村洞雲寺領元圓満寺薬師領事、任二去永正十八年三月十一日天文 (大内義興) (大内義隆) 拾年四月廿六日 凌雲寺殿 龍福寺殿御裁許旨一、閣二諸點役一御寺務不レ可レ有二 相違一之状如レ件、 (1552) 天文廿一年六月十…

洞雲寺文書25

二五 永興寺知行分厳島假屋付立 神領永興寺進退厳島假屋之事 一所参間 坂本ニ在レ之 一所五間 隅假屋 一所四間 石之假屋但上 一所八間 石之假屋但下 一所三間 須崎假屋 以上 右此前當寺知行所如レ件、 (1551) 天文廿年辛亥 役人 八月廿三日 次郎兵衛 「書…

孔子が夢に現れた ─孔子三尊像─

文安四年(一四四七)二月二十五日条 (『建内記』7─269) 廿五日、丁巳、雨降、 (中略) 南面 今日權弁親長相語云、帥大納言去比有夢事、池邊有屋、々内掛孔子御影、御左方又 西也、 有一像、御右方有顔淵像、奉見付之間、成其恐之処、可参御前之由孔…

洞雲寺文書24

二四 厳島神主杉景教書状 (端裏書) 「山之状」 爲二當寺受用一、従二宮嶋一薪採用之事、如二前々一無二相違一可レ被二仰付一候、恐 惶謹言、 九月三日 景教(花押) 洞雲寺 衣鉢侍者禅師 「書き下し文」 當寺受用の爲、宮嶋より薪を採用するの事、前々のご…

洞雲寺文書23

二三 杉隆眞書状 爲二月山茶之湯一寺領少付置申候、無二相違一様何篇可レ被二仰付一事可レ忝候、後々 共ニ無二闕如一可レ被レ加二尊意一儀奉二憑存一候、於二只今一茂彼寺内別而被レ付二御 心一之由、誠以忝次第候、爲二金江小寺家等仕度一雖二内存御座候一…

洞雲寺文書22

二二 桂元教書状(禮紙付) (杉) 清末名之事、今度悉御寄進候哉、對二隆眞一御扶助目録にも被二書載一候、如何候 (違) 哉、彼清末名悉御寄進之御奉書等候者、致二披見一無二相遣一可二申付一候、下作之 事者、栗栖新左衛門尉給地打渡ニ被レ成二御心得一…

縁故の力

文安四年(一四四七)二月十九日条 (『建内記』7─248) 十九日、辛亥、天霽、 (中略) (狛) 〔部脱〕(狛郷房) 今日大原野神主治房子刑少輔(割書)「實名忘却、」爲治房使参来、去正月十日於廬 (持常) (久連) 山寺(割書)「律院也、」喝食(…

洞雲寺文書21

二一 己斐秀盛小幡行延連署書状(切紙) 圓満寺分并丸山名之儀、對二洞雲寺一被レ成二 御下知一候、然者當作等被二仰付一 候処、致二拘惜一之由、就二言上一御奉書謹拜見仕存二其旨一候、従二寺家一先度預二 御使僧一候之状、被レ任二 御下知之旨一、御知行…

洞雲寺文書20

二〇 大内氏奉行人連署書状 (端裏ウハ書) 「 青 景 右 京 進 吉見孫右衛門尉 洞雲寺 監寺禅師 興滋」 就二當御寺領丸山名事一、對二小幡方一申遣候、従二其方一被二着遣一之返事到来候 者、可レ被レ懸二御意一候、此由可レ預二御心得一候、恐々謹言、 五月…

洞雲寺文書19

一九 大内氏奉行人連署書状案 (端裏書) 「義隆様御代 奉書案文」 當寺事、去永正十八年三月十一日以二凌雲寺殿裁許之旨一、御申之通遂二披露一候、 (弘中・神代) 仍御寺領坪付(割書)「興兼武総裏封在レ之」并被三相二加興藤新寄進之地等一被レ 成二下…

依怙贔屓→刃傷沙汰→切腹 これって鉄板法則!?

文安元年(一四四四)六月十日条 (『建内記』7─139) 十日、戊子、雨降、 例日也、 (中略) (勝元) (之長ヵ) 傳聞、細川九郎(割書)「惣領也、十三歳、」去月廿六日覽圍碁、香西子与前田 子(割書)「十五歳、」也、香西子碁手九郎助言、仍前田子…

洞雲寺文書18

一八 大内氏奉行人連署書状 佐西郡吉木内宮守之事、雖二羽仁左近大夫藤依進止候一、御寺領之由旧冬蒙レ仰候 之条、對二藤依一以二一通一申渡候、爲二向後一候間返レ状候者、寺家仁被二召置一度 由無二余儀一候、雖レ然于レ今無二莵角之儀一御進退候上者、不…

洞雲寺文書17

一七 大内氏奉行人連署書状案 (羽仁) 洞雲寺領吉木庄内宮守貳反事、雖下被三宛二下藤依一候上、當寺領無レ紛之上者、右 貳段分對二寺家一無二相違一可レ被二去渡一候、對二藤依一替地事者、追而可レ有二言 上一候、聊不レ可レ有二難渋一候、恐々謹言、 (1…

洞雲寺文書16

一六 大内氏奉行人連署書状 當寺領内清末分事、厳島神主知行分相加候条、可レ有二如何一与之通蒙レ仰候、無二 (安芸佐東郡) (景教) 余儀一候、今度於二金山落着候儀一、失念候て書載候、此等之子細對二神主一申遣候 間、不レ可レ有二相違一候、猶委細御…

洞雲寺文書15

一五 吉見興滋書状(切紙) (青景)(龍崎) 當御寺領内清末半名之事、被レ任二先證之旨一可レ有二御進退一之由、隆著隆輔申候 間、尤可レ然候、仍三十疋致二拜領一候、御懇之至忝候、此由猶御使僧可レ有二御披 露一候、可レ得二尊意一候、恐惶謹言、 (異…

洞雲寺文書14

一四 友田興藤寄進状 (安芸佐西郡) 陽室妙陰大姉并智縁童子親子之爲二茶湯免一、佐方清末名之内下地貳段之事、末代 奉三寄二附之一訖、毎日可レ預二御廻向一者也、仍寄進状如レ件、 (1537) 天文六年酉丁四月十四日 前上野介興藤(花押) (宗春) 進上 …

洞雲寺文書13

一三 友田興藤寄進状 天倫妙地妙蔵爲二茶湯免一、吉木庄之内仁下地貳段、末代奉三寄二附之一訖、毎日 可レ預二御廻向一者也、仍寄進状如レ件、 (1536) 天文五年申丙八月十日 前上野介興藤(花押) (宗春) 進上 洞雲寺天庵東堂 衣鉢閣下 「書き下し文」 …

鶏公方 足利義勝

嘉吉三年(一四四三)六月二十三日条 (『建内記』6─96) 廿三日、丁未、天晴、 (中略) 傳聞、頭人摂津掃部入道常承(割書)「満親朝臣事也、」被註所領云々、近日室町 殿鶏済々有畜養、又多被預置人々云々、摂津掃部入道有大鶏、被召之処、不進之、 因…

洞雲寺文書12

一二 友田廣就安堵状 當社領佐西郡平良庄内洞雲寺領、諸役等免除之儀、前々云二判形之筋目一、殊 (友田) 興藤被レ進二一行一上者、不レ可レ有二相違一之状如レ件、 (1530) 享禄三年三月一日 廣就(花押) 洞雲寺 長老(當住春公)禅師 「書き下し文」 當社…

洞雲寺文書11

一一 友田興藤書下 圓満寺堤之前新堤被レ築、於二成就一者、為二末代一肝要存候、然者重而以二一行一 可二申合一候条、令二省略一候、 二月廿日 興藤(花押) 洞雲寺 衣鉢閣下 「書き下し文」 圓満寺堤の前に新堤を築かる、成就に於いては、末代の為肝要に存…

洞雲寺文書10

一〇 友田興藤安堵状 當社領佐西郡平良庄之内洞雲寺領、基者圓満寺并薬師寺両所之分也坪付在別紙之、叔 (用兼) 父下野守教親其子掃部頭宗親、金岡和尚江令二書進一、任二一行之旨一令三免二除諸役 等一訖、任二先規一云二寺家一云二寺領一、執務不レ可レ有…

国外逃亡伝説

嘉吉三年(一四四三)六月二十三日条 (『建内記』6─96) 廿三日、丁未、天晴、 (中略) (則繁) 高麗國朝貢使来朝、先日参 室町殿奉拜云々、傳聞赤松左馬助(割書)「故満祐法師 弟也、謀反人也、」去々年没落播州、不知行方之処、菊地被相憑、越于高…

洞雲寺文書9

九 友田興藤寄進状 東光寺住持椿蔵主死去之砌、貴寺奉レ憑之由蒙レ仰候、得二其意一候、然間爲二新寄 進一相二除諸天役并段銭等一進置候者也、仍状如レ件、 (異筆)「享禄貳己丑」 三月廿四日 興藤(花押) 進上 (割書)「洞雲寺天庵和尚」 衣鉢閣下 (宗…

洞雲寺文書8

八 大内義興書状 (興兼) 御使僧殊 一柄十帖拜受祝着之至候、猶弘中々務丞可レ申候、恐惶謹言、 (朱印) (朱印) 十二月十二日 左京大夫義興(花押) (朱印) 謹上 洞雲寺 衣鉢閣下 ○朱印三ツ字面上ニアリ 「書き下し文」 御使僧殊に一柄十帖拜受祝着の…

洞雲寺文書7

七 胤貞書状 (行延)(秀盛) 尊書謹而致二拜見一候、仍就二當寺領之儀一、小幡己斐両人江奉書慥給置候、急度付遣 自レ是可二申上一候、兼又不レ寄レ存候百疋被二送下一候、忝候、雖レ然御煩之至無二 勿体一之条、斟酌雖二無極候一、尊意之儀候間、先以應レ…

堪えきれないこの痛み!

嘉吉三年(一四四三)六月二日・十六日条 (『建内記』6─64・83) 二日、丙戌、天晴、 (中略) 常継尻穴出、成苦痛云々、 「書き下し文」 常継尻穴を出し、苦痛を成すと云々、 「解釈」 常継は尻の穴を出し、痛み苦しんでいるそうだ。 「注釈」 「常継…

洞雲寺文書6

六 胤貞書状 (洞雲寺興雲) 住持 宗繁(花押) 尊書誠以忝畏入存候、抑對二當寺一 御判物爲二拜見一被レ懸二御意一候、謹而令レ 存二其旨一候、諸役等御免許之儀、御本意之至候、於二我等一茂珍重候、就レ中御茶 十袋不レ始二于今一御芳情候無二勿躰一候、…

洞雲寺文書5

五 大内義興安堵状 安芸国佐西郡佐方村洞雲寺領、元圓満寺薬師寺両寺分坪付在別紙之事、任二先規之 旨一諸役等所二免除一也者、早守二先例一云二寺家一云二寺領一、執務領掌不レ可レ有二 相違一之状如レ件、 (1521) 永正十八年三月十一日 左京大夫(花押)…

洞雲寺文書4

四 大内氏奉行人連署書状 御寺領唐臼名事、小幡民部少輔押置之次第不レ可レ然之旨被二仰付一、應二 御下 知一候、還補之請状封レ裏進レ之候、仍惣御寺領目録裏封同前候、公役寺役等事無二 懈怠一候者、肝要之由候、恐々謹言、 (異筆)「永正十七庚辰」 神代…

洞雲寺文書3

三 小幡興行請文 (興雲) 圓満寺事、如二前々一洞雲寺對二當住宗繁長老一可二打渡一之旨被二仰出一候、可レ 奉レ任二御下知一候、近年押置候、子細委細申候、非二別儀一候、以二御意得一御披露 所レ仰候、恐々謹言、 小幡民部少輔 九月廿日 興行(花押) 弘…

洞雲寺文書2

二 厳島社神主教文(教親)寄進状 奉二寄進一下地之事 (安芸佐西郡) 右彼下地者、千同之内印蔵四百田五段反銭共、爲二圓満寺本尊阿弥陀佛餉免一奉二寄 (マ丶) 進一候、祈二今度之當病平喩一者也、仍支證如レ件、 (1504) 永正元年子甲十二月十五日 下野…

洞雲寺文書1

【洞雲寺文書】 解題 この寺は厳島神主で桜尾城主の藤原教親・宗親親子によって長享元年(一四八七)に菩提寺として創建された。この寺の開祖として迎えられたのは大内氏の重臣陶氏の菩提寺である曹洞宗の周防龍文寺の僧金岡用兼(きんこうようけん)である…

小田文書63 (完)

六三 久島村當年貢成前注文 さゝいのこほりくしま村當年貢成前 中 かわかミ 一四拾四石六斗九升 三郎太郎 下 大めう 一貳拾三石四升九合 左近太郎 下 にしのめう 一拾五石三斗七升 五郎左衛門 下 くに廣 一八石八斗壹升 十郎左衛門 中 一貳拾壹石三升六合 九…

小田文書62

六二 久島村先給人請取米注文 (佐西) (久島) さゝいのこうりくしま村先給請取前之事 (一) あわや(粟屋) ⬜︎三石四斗四升八合 せい兵衛給 かつら(桂) 一三石七斗貳升五合 三郎兵(衛給 一七斗貳升かつら三郎兵へ下人 一三石五斗 同人下人手作 やまか…