四 近久貞守連署名主職充文
宛行 久嶋郷國重名主職事
合伍段大者
右件名田者、上御沙汰極了、御判下上者、不レ可レ別二子細一者也、但社役御年
貢以下御公事、無二懈怠一可レ被二勤仕一者也、仍宛文状如レ件、
(1320)
元應二年十二月四日 近久(花押)
貞守(花押)
「書き下し文」
充て行ふ 久嶋郷國重名主職の事、
合わせて 伍段大てへり
右件の名田は、上の御沙汰極まり了んぬ、御判を下す上は、別の子細有るべからざる者なり、但し社役・御年貢以下御公事、懈怠無く勤仕せらるべき者なり、仍て充文の状件のごとし、
「解釈」
久嶋郷國重名名主職を与えること。
都合 五段大
右の名田は、六波羅探題での裁許が決まった。六波羅下知状を下した上は、差し支えない(とりわけ問題はない)のである。ただし、厳島社役・御年貢以下御公事については、怠ることなく勤めるべきものである。よって、充文の内容は、以上のとおりである。
「注釈」
「宛」─このくずし字は、「充」とよく似たくずし方をするそうです。文書名のとお
り、翻刻も「充」にしたほうが良いと考えます。
「不可別子細者也」─刊本ではこのような記載になっていますが、本来は「可」と
「別」の間に「有」という字があったのではないかと思います。
*國重名名主職が、どういう経緯で、誰に与えられたのかはよくわかりません。ただ、
二号・三号文書の相論の流れからすると、良慶か重安のどちらかが相論に勝利して、
九段半のうち五段大を獲得したということになるのではないでしょうか。