七 久成外十一名連署饗料等請取状
院御方催十八人
(料)(腰ヵ) (一具事ヵ)
饗◻︎ ◻︎差 酒肴 [
右任二先例一所二請取一之状如レ件、
(元年)
嘉暦◻︎◻︎
久成(花押) 重安(花押)
(重)
◻︎弘(花押) ◻︎◻︎(花押)
末元(花押) 末吉(花押)
(里ヵ)
則清(花押) ◻︎◻︎(花押)
友里(花押) 重景(花押)
利清(花押) 成貞(花押)
「書き下し文」
院御方催十八人
饗料 腰差 酒肴一具の事
右先例に任せ請け取る所の状件のごとし、
「解釈」
院庁の役人十八人分の饗料・腰差・酒肴一式のこと。
右、先例にどおりに以上のものを受け取りました。
「注釈」
「饗料」─饗膳(もてなし)の費用か。
「腰差」─矢立、あるいは脇刀か。
「酒肴一具」─もてなしの品一式か。
*院庁の役人の給分のようなものを、久嶋郷の刀禰らが納めたことに対する領収書のよ
うなものだと思います。
*以下、九号文書まで、同年付で同じような文書が続きます。
*同様の文書は、山口県の「安尾家文書」
http://bunkazai.pref.yamaguchi.lg.jp/bunkazai/detail.asp?mid=90044&pid=gs_tu1、
鹿児島県の「比志島氏文書」
にもあるようです。
*池享「中世後期における「百姓的」剰余取得権の成立と展開 」『大名領国制の研究』
(校倉書房、一九九五)、https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/18661)
に、この文書に関する言及があり、久嶋郷の本所は京都の皇室関係であったと推測さ
れています。