八 爲弘外五名連署饗料等請取状
殿下御方蔵人所小舎人 廿人
饗料 脇差 酒肴 康頭五石五◻︎
右任二先例一所二請取一之状如レ件、
(1326)
嘉暦元年
爲弘(花押) 重元(花押)
親弘(花押) 友総[
清久(花押) 行親[
「書き下し文」
殿下御方蔵人所小舎人 廿人
饗料 脇差 酒肴 康頭五石五◻︎
右先例に任せ請け取る所の状件のごとし、
「解釈」
摂関家蔵人所の役人二十人分の饗料、脇差、酒肴、康頭五石五斗?のこと。
先例どおりに以上のものを受け取りました。
「注釈」
「饗料」─饗膳(もてなし)の費用か。
「腰差」─矢立、あるいは脇刀か。
「酒肴」─もてなしの品か。
「殿下御方」─摂関家のことでしょうか。この時期の関白は鷹司冬平。
「康頭」─未詳。
*摂関家蔵人所の役人の給分のようなものを、久嶋郷の刀禰らが納めたことに対する領
収書のようなものだと思います。
*以下、九号文書まで、同年付で同じような文書が続きます。
*同様の文書は、山口県の「安尾家文書」
http://bunkazai.pref.yamaguchi.lg.jp/bunkazai/detail.asp?mid=90044&pid=gs_tu1、
鹿児島県の「比志島氏文書」
にもあるようです。
*池享「中世後期における「百姓的」剰余取得権の成立と展開 」『大名領国制の研究』
(校倉書房、一九九五)、https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/18661)
に、この文書に関する言及があり、久嶋郷の本所は京都の皇室関係であったと推測さ
れています。