周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

龍の住む池

  文明十年(一四七八)三月九日条 (『晴富宿禰記』40頁)

 九日辛未 晴

  (中略)

 抑殿中泉殿水、家門有子細時可濁之由、見後普光園院殿御置文、今度(以下割書)「去十一月十一日」放火以前、此水濁之由、御随身御留守之輩令申、于今猶不清、一昨日被竜供之処、昨今此水清潔也、此霊泉事自永仁比為竜池之条、見御置文、自其比又為御家門之由被載之、以前者女院御所也云々、此御置文後日可拝見者也、

 

 「書き下し文」

 抑(そもそも)殿中泉殿の水は、家門子細有る時濁るべきの由、後普光園院殿の御置文に見ゆ、今度「去んぬる十一月十一日」放火以前、此の水濁るの由、御随身御留守の輩申さしむ、今に猶ほ清からず、一昨日竜供せらるるの処、昨今此の水清潔なり、此の霊泉の事永仁比(ころ)より竜池たるの条、御置文に見ゆ、其の比(ころ)より又御家門たるの由之を載せらる、以前は女院御所なりと云々、此の御置文後日拝見すべき者なり、

 

 「解釈」

 さて、殿中の泉殿の水は、一家に問題があるときに濁るはずだと、二条良基の遺書に見える。今度(去年の十一月十一日)放火以前にこの水が濁っていたと、留守を守っていた従者たちが申し上げた。今も依然として澄んでいない。一昨日龍神をお祀りになったところ、近頃この水が澄んだのである。この霊泉のことは、永仁年間(一二九三〜一二九九)から龍の住む池であると考えられていたことは遺書に見える。その頃から二条家の御所であったと遺書に載せられている。以前は女院の御所であったそうだ。この遺書は後日拝見する予定である。

 

 「注釈」

「後普光園院殿」─二条良基。1320年生〜1388年没。室町前期の公卿・歌人摂政・関白・太政大臣等を歴任した。

 

*現代人からすると迷信にしか思えない龍神の住む池。濁ると不幸が起こるそうです。

 関白も務めた公家の遺書に書き記されて、代々信じられてきました。龍神を祀ること

 で、泉の濁りは消えるそうです。

 

圖書寮叢刊『晴富宿禰記』の解題より

 官務家小槻氏の一流で、応仁の乱前後に官務(中央官僚機構「弁官局」の事務)にたずさわった治部卿壬生晴富の日記。文安3年(1446)年から明応6年(1497)までで、中間に闕失が多い。