一三 とらいち女田地譲状
(ゆ) (地ヵ)
◻︎つりあた[ ]の事
(定)
合壹所◻︎ 在所しけまさ名の[
[ 神のうてん二ももち[
[ ]とら一のめ子分なり、
(たヵ) (實)(なヵ)
右田地同いやしきふんにて候、ひこ太郎にゆつりあ◻︎ゑるところしち◻︎り、
(退転) (勤仕)
但公方の御ねんく御公事共、たいてんなくあひあたり候ハん程きんし候て、
(他) (妨) (相傳)
たのさまたけなく永代さうてんすへきゆつり状如レ件、
(1416)
應永廿三年ひのへさる九月十五日
くしまのかう重正名の内とらいち女(略押)
「書き下し文」(漢字交じりにしてみました)
譲り与ふる[ ]地の事、
合壹所定 在所重正名の[ ]神のうてん二ももち[ ]虎一の女子分
なり、
右田地は同家屋敷分にて候、ひこ太郎に譲り与ゑる所実なり、但し公方の御年貢・
御公事とも、退転無く相当たり候はん程勤仕候て、他の妨げ無く永代相傳すべき
譲状件のごとし、
「解釈」
譲り与える[ ]田地のこと。
合わせて一所定む(以下略)
右の田地は虎一の女の家屋敷分です。彦太郎に譲り与えることは事実である。ただし、公方の御年貢・御公事などは、割り当てられております分を怠ることなく、私(虎一の女)が納入しまして、その他の妨げもなく、永久に相伝するつもりです。譲状は以上のとおりです。
「注釈」
「とらいち女(虎一の女)」─11号文書に、右馬入道後家尼の孫として「虎菊女」と
いう人物が出ています。この人物に関係があるのでしょ
うか。
「彦太郎」─未詳。小田家の人物でしょうか。
「公方」─厳島社か地頭か、よくわかりません。地頭は厳島神主家の一族と考えられま
す。
*公方年貢・公事は、譲与者「虎一女」と被譲与者「彦太郎」のどちらが納入するのか
はっきりしませんが、「勤仕候て」の部分に受身の助動詞「被」が見られないので、
一応「虎一女」が負担者のままであると考えています。つまり、年貢・公事を公方へ
納入する義務は「虎一女」が所持しままで、それ以外の得分権(作職?)だけを「彦
太郎」に譲与したのかもしれません。