一六 親淳下地充文
宛下
久嶋なら原のしやくゑんか跡之事
合
(マ丶)
右件の下地、しやくしんか譲状の旨ニまかせて、馬次郎に令レ下レ地者也、此上者
(他)
無二代妨一、永代子々孫々迄、可二領地一によて計下状如レ件、
(1434)
永享六年十月十六日 親淳(花押)
「書き下し文」
充て下す
久嶋なら原のしやくゑんか跡之事、
合計
右件の下地、しやくゑんか譲状の旨にまかせて、馬次郎に地を下さしむる者なり、此
の上は他の妨げ無く、永代子々孫々まで、領地すべきによて計らい下す状件のごと
し、
「解釈」
給与する 久嶋郷楢原のしゃくえんの遺領のこと。
全部で
右の下地は、しゃくえんの譲状の内容のとおりに、馬次郎に下地を与えるものである。このうえは、他人の妨げもなく、永久に子々孫々まで領有しなさい。よって適切に処置して下す充文は、以上のとおりです。
「注釈」
「しやくえん」─未詳。小田氏(楢原氏)か。
「馬次郎」─1・11・12号文書に「右馬次郎」と出てくるので、この文書も「右馬
次郎」に改めたほうが良いと思います。楢原氏(奈良原氏)の正嫡が代々
名乗ってきた通り名ではないでしょうか。
「親淳」─「親」の通字から、厳島神主家藤原氏の一族で、久嶋郷の地頭と考えられま
す。公文(刀禰)一族の譲与を、地頭が追認・安堵した文書ではないでし
ょうか。