三九 沙弥しやうれん田畠譲状
(譲渡) (田畠等)
ゆつりわたすてんハくらの事
(以下二行割書)
二反斗 みたうのもと らくせんこ」ひらたにかおと二人」
合 二反斗 まきのつほ
二反 まさいゑのこほのつほ
右件てんハくらハ、かうほうしに、ゑいたいかきりてゆつりわたすところしちなり、
(御公事) (め脱ヵ) (子)
たゝしみくうし相つと申てもつへし、いつれのこありといふとも、このゆつりしやう
(たヵ)
儀おもて、わつらいあるへからす、さんのさまたけあるへからす、よてゆつりの
(マ丶)
時件、
(1354)
文和三年きのへむま 三月廿日
しやミ しやうれん(花押)
「書き下し文」(可能な限り漢字仮名交じり文にしました)
譲り渡す田畠等の事、
二反斗 御堂のもと らくせんこ」ひらたにかおと二人」
合わせて 二反斗 まきの坪
二反 まさいゑのこほの坪
右件の田畠等は、かう法師に永代限りて譲り渡すところ実なり、ただし御公事相勤め申してもつべし、いづれの子ありといふとも、この譲状儀をもて、煩い有るべからず、他の妨げ有るべからず、仍て譲りの時件、
「解釈」
右の田畠などは、かう法師に永久に譲り渡すことは事実である。ただし、かう法師は御公事を勤め申して田畠を知行すべきである。どの子どもがいたとしても、この譲状の内容に従い、迷惑をかけてはならない。他の妨害はあってはならない。よって譲状の内容は、以上のとおりである。
「注釈」
「かう法師」─未詳。奈良原一族か。
「沙弥しやうれん」─未詳。
*三八号文書と同日の文書で、差出も同じく「沙弥しょうれん」です。三八号文書では
下人四名を「とらまさ御前」に譲り、この文書では「かう法師」に田畠を譲っていま
す。