周梨槃特のブログ

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小田文書44

   四四 厳島社惣政所沙弥施行状案

 

 久嶋郷住人西阿与同郷百姓重清入道西願相論、國重名田捌段事、任正和元年四

 月十二日御書下之旨、西阿令領作、御年貢以下御公事等、無懈怠

 仕之状如件、

     (1312)

     正和元年卯月十七日

                        惣政所沙弥在判

 

 「書き下し文」

 久嶋郷住人西阿と同郷百姓重清入道西願と相論する、國重名田捌段の事、正和元年四

 月十二日御書下の旨に任せて、西阿領作せしめ、御年貢以下御公事等懈怠無く勤仕せ

 しむべきの状件のごとし、

 

 「解釈」

 久嶋郷の住人西阿と同郷百姓の重清入道西願とが相論している國重名田八段のこと。正和元年(一三一二)の法橋圓俊奉書の内容のとおりに、西阿に領有・耕作させ、御年貢以下御公事などを怠ることなく勤めさせるべきである。よって施行状の内容は以上のとおりである。

 

 「注釈」

「西阿」─三郎入道。29・35号文書に現れる。

「御書下」─29号文書。法橋圓俊奉書。

「惣政所」─10号文書にも現れます。厳島社神主の代官として多くの実務を担ってい

      た人物だと考えられています。詳しくは10号文書の注釈参照。

 

*これは、29号文書の関連文書です。29号文書は法橋圓俊が神主の裁許を奉じて、相論に勝訴した西阿に発給した奉書だと考えられます。その五日後に惣政所が発給したのがこの文書です。充所を欠いているので、29号文書と同様に西阿なのか、あるいは別人なのかよくわかりません。厳島社の裁判では、まず神主の奉書が発給され、続いて惣政所から施行状が発給される手続きになっていたのではないでしょうか。