五四 信盛下地宛行状
(の内)
土田長原⬜︎⬜︎
合一反小在所[ ]もち分ま木の⬜︎
(謂)
右下地ハ、とうせんそう四郎もち候を、長原とうかくいわれなく孫四郎か方へもんし
(主)
よに入候間、りうんにまかせて本数の方へ付候、此両人よりほかは主あるましく候、
(負物) (マ丶)
彼ふもつにはとうかくかもち分をつかハすへく候、仍爲後如状件、
(1442)
嘉吉二年みつのへいぬ 九月十六日 信盛(花押)
「書き下し文」(可能な限り漢字仮名交じりにしました)
土田長原の内、
合わせて一反小「在所とうせん・そう四郎(カ)持ち分ま木の⬜︎」
右の下地は、とうせん・そう四郎持ち候ふを、長原とうかく謂れ無く孫四郎が方へ文
書に入れ候ふ間、理運に任せて本主の方へ付け候ふ、此の両人より他は主あるまじく
候ふ、彼の負物にはとうかくが持ち分を遣はすべく候ふ、仍て後の爲状件のごと
し、
「解釈」
土毛田長原の内。
都合一反小。「在所はとうせんとそう四郎の領有している分、ま木の□」
右の下地は、とうせんとそう四郎が領有しておりましたのを、長原のとうかくが理由もなく孫四郎方へ文書質に入れ置きましたので、道理に任せて本主の二人に返します。両人より他に、この土地の持ち主はいるはずもありません。孫四郎へ渡す担保には、とうかくの領有している土地を遣わさなければなりません。よって、将来のために充行状の内容は、以上のとおりである。
「注釈」
「土田長原」─長原は廿日市市永原のこと。土田は未詳だが、「土」と「田」の間に
「毛」の字が抜けていていると考えられます。もしそうなら、「土毛田
長原」と読み、友田郷長原のことと理解できます。中世では、長原は友
田郷に属していたため、このように読むのが適当ではないでしょうか。
「とうせん」─未詳。係争地の本主。
「そう四郎」─未詳。15号文書にも現れます。係争地の本主。
「とうかく」─未詳。15号文書の「たうかく」と同一人物と考えられます。「孫四
郎」とのあいだに貸借関係が生じ、一反小の土地の権利書を文書質とし
て渡しています。「とうかく」が借主。
「孫四郎」─未詳。貸主。
「文書質」─貸借契約に際して質件を設定するとき、担保物件に関する権利文書を債権
者に渡すこと(『古文書古記録語辞典』)。
「信盛」─未詳。久嶋郷政所の楢原氏には「信實」という人物がいます(20・58・
61号文書、池享「中世後期における「百姓的」剰余取得権の成立と展
開 」『大名領国制の研究』校倉書房、一九九五、https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/18661)。
「信」が通字であれば、政所楢原氏がこの充行状を発給したものと考えられ
ます。
*今回の相論の過程を追ってみます。まず、文書質として「とうかく」が「孫四郎」に渡した文書は、15号文書(「そう四郎」から「とうかく」への去渡状)だと考えられます。ただし、この文書で争点となっているのは「一反小」の土地で、15号文書で譲られた土地は「二反」とずれていますから、「とうかく」に譲られた「二反」のうち、「一反小」が今回の係争地になっているのかもしれません。まったくの別件である可能性も残りますが、ここでは15号文書はこの54号文書の関連文書と考えたいと思います。
15号文書では、「そう四郎」が公事を勤められないために、「とうかく」に土地を去り渡したことになっています。おそらく、「とうかく」が「そう四郎」の公事を代納したことで、貸借関係が生じたのではないでしょうか。これは、同文書に「徳政担保文言」が記載されていることからも、妥当だと考えられます。したがって、15号文書は土地(物権)の移動ではなく、両者の間に生じた貸借関係の担保(文書質・土地所有権なし)として、「とうかく」に渡されたものだったと考えられます。その後、「とうかく」と「孫四郎」の間に貸借関係が生じたため、その担保として「孫四郎」にこの15号文書が渡されたのだと考えられます。
15号文書には、一応「徳政担保文言」が記載されているので、嘉吉の徳政令で「とうかく」と「そう四郎」の貸借関係が破棄されることはないはずですが、それでも破棄されたのか、あるいはすでに債務が「とうかく」に支払われたにもかかわらず、15号文書が「そう四郎」に返却されないままになっていた可能性も残ります。さらに言えば、「そう四郎」が「とうかく」に渡した担保を、「とうかく」が「孫四郎」に「又貸し」したことが問題だったのかもしれません。
54号文書だけでは、15号文書の貸借関係が結局どうなったのかはっきりしませんが、この54号文書には、徳政令によって破棄されたという記述もなければ、債務が完済されたという記述もありません。わかるのは、「とうせん」と「そう四郎」が本主と呼ばれていることと、最終的に「とうかく」は自分の土地を「孫四郎」に渡すよう命じられていることの二つです。担保として「とうかく」に渡しただけで、「とうせん」と「そう四郎」は土地に対する本主としての権利を保持したままだったのではないでしょうか。ここでは文書質を「又貸し」した行為が咎められたと考えておきます。