周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

小田文書61

   六一 久島郷内寺家社家得分等差出案

 

     (貫)

   久嶋百⬜︎文之郷此内寺家社家有

 一貳貫五百文      慈恩寺

 一貳貫五百文      刀禰之御給地分

 一壹貫五百文      東禅寺々領   御上様之

 一壹貫文        八幡御神田   さしたしの

 一五百文        大歳御神田   安文

 一五百文        御ゆめん

 一壹貫五百文      散司御給分

 一三百文        厳島神馬かいりやう

 一四百文        東山御城こしらゑ時之山とう給分

 一右此前八十九貫三百文

     (且納)

  御上様かつのう処有

 一ちやう夫二月より十一ヶ月十九貫八百文有

 一御段銭         十貫文有

 一正月七日之七草子 有定       一くさつかい事

 一五月五日山のいも 有定       あしなかせん事

 一壹貫文牛かけ   有定       一壹貫五百文有

 一七月ほんまつ   有定       一壹貫二百文有

 一七月ねいも    有

 一八月わさはつお  有

                    (1552)

 一十二月大はいせん一貫文有定    天文廿一年子壬

 一十二月節きの納すミ有定      十二月七日  信實

 一十二月山のいも  有定       楢原六郎左衛門尉

 一十二月より正月米 有

         ○以上、二四号カラ六一号マデノ三八通ヲ一巻ニ収ム

 

*書き下し文・解釈は省略します。

 

 「注釈」

慈恩寺」─未詳。久島郷内か近隣の寺院でしょうか。

「刀禰之御給地分」─刀禰は名主とともに百姓らを代表して、政所に要求を出したり、

          庄務を補助する立場にあった(前掲池論文)。

東禅寺」─未詳。久島郷内か近隣の寺院でしょうか。あるいは、豊田郡本郷町南方に

      ある真言宗御室派東禅寺(もと蟇沼寺)のことかもしれません。

「八幡御神田」─久島郷内の大町八幡神社か。おそらく放生会の費用として、一貫文が

        免除されたものと考えられます。

「大歳御神田」─久島郷内の大歳神社か。十月初亥祭りの費用として、五百文が免除さ

        れたものと考えられます。

「御ゆめん」─湯免。湯屋運営のための免除料か。

「散司御給分」─「散使・散仕」のことか。荘園や戦国期の村落の置かれた村役人で、

        番頭・名主の下にあって、通達や会計事務に従事した(『古文書古記

        録語辞典』)。

厳島神馬かいりやう」─厳島社の神馬の飼料のこと。

「東山御城」─桜尾城(廿日市町桜尾本町)のことか。厳島神主の居城。天文十年(一

       五四一)四月五日大内義隆勢により落城し、厳島神主藤原家は断絶。

       同二十年(一五五一)陶晴賢の弑逆に伴い陶方の江良賢宣・毛利与三・

       己斐豊後守・新里若狭守らが当城に置かれた(『広島県の地名』)。こ

       の文書はその時期のもの。

「御上様之さしたしの安文」─「御上様之差出の案文」。「御上様」は未詳。「御上

              様」の得分を書き記した注文なのか、「御上様」が厳島

              社に上納する分を書き記した注文なのかはっきりしませ

              ん。

 

*以上の十貫七百文が在地への免除分。残る八九貫三百文を厳島社に上納しているのではないでしょうか。

 

 

「御上様かつのう所有定」─未詳。「御上様」がその度ごとに分割して納入したのか、

             「御上様」へ納入したのかはっきりしません。ここでは、

             年中行事などで必要とされる物資や金銭を、その都度「御

             上様」に納めたものと考えておきます。

「ちやう夫」─長夫(ながぶ)。長期間にわたる人夫役の銭納化したもの。十一カ月分

       十九貫八百文なので、一ヶ月につき一貫八百文を納めたことになる。

「段銭」─田地一段別に賦課された公事銭(『古文書古記録語辞典』)。

「正月七日」─春の七草を食べる行事。

「有定」─「定め有り」。納入する分量が決まっているということを表しているのでし

      ょうか。20号文書には、各項目に納入量が付記されています。

「五月五日」─端午の節句

「牛かけ」─厳島社が社領に賦課した夫役の銭納化したもの。厳島社の御田植祭とそれ

      に伴う牛供養行事の費用と考えられます(藤井昭「備後八鳥の牛供養花田

      植とその周辺--行事の次第と組織」『広島女学院大学論集』四一、一九九

      一、http://harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/hju/metadata/5353)。

「七月」─七月十四日の盂蘭盆会で使用する盆松とお供え用の根芋。

「八月」─八月十五日彼岸会でお供えする早稲・初穂米か。

「十二月」─歳末行事。「大はいせん」は「大盃饌」で、酒と肴のこと。

「くさつかい」─草使。草夫のことか(戦国時代、室町幕府御料所などで見られた夫役

        の一種。荷物の運送に使役する『古文書古記録語辞典』)。

「あしなかせん」─未詳。「あしなか」には、「足半」(かかとにあたる部分のない草

         履)、「足長」(遠方まで出かけていくこと)という漢字が候補

         して考えられます。どちらにしても意味はよくわかりませんが、前

         項のように「くさつかい」を運送夫役とすると、「あしなかせん」

         には「足長銭」という漢字を当てて、遠方への運送夫役と理解する

         のがよいかもしれません。

「楢原六郎左衛門信實」─荘園制支配機構の末端、現地支配担当者である政所(池享

            「中世後期における「百姓的」剰余取得権の成立と展開 」

            『大名領国制の研究』校倉書房、一九九五)、

            https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/18661)。

 

*以上は、前半の百貫文分(いわゆる年貢か)とは別に上納した、公事・夫役銭などの書き上げ部分。

 

* この文書は、文言や項目、順序に多少の違いはありますが、20号文書とほぼ同じ

 内容と形式を備えています。差出「楢原信実」の花押のある正文が20号文書で、そ

 の案文がこの61号文書である可能性が高いです。さらに言えば、60号文書は、2

 0・61号文書の前半部分とよく似ています。60号を素材に61号が、61号を素

 材に20号が作成されたのかもしれません。それにしても、文言や項目、順序の異な

 る理由がはっきりしません。

  20号文書の充所と考えられる大林備中守は、陶晴賢の家臣です。天文二一年(一

 五五二)段階では、厳島神主藤原家は断絶し、陶晴賢が久島に勢力を伸ばしていると

 考えられます。したがって、20号・61号文書に記載された年貢・公事・夫役は厳

 島社に上納されず、陶方に上納されたのかもしれません。