周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

洞雲寺文書7

   七 胤貞書状

                     (行延)(秀盛)

 尊書謹而致拜見候、仍就當寺領之儀、小幡己斐両人奉書慥給置候、急度付遣

 自是可申上候、兼又不存候百疋被送下候、忝候、雖然御煩之至無

 勿体之条、斟酌雖無極候、尊意之儀候間、先以應命候、猶委細御使僧申候、

 恐々謹言、

      五月廿一日             胤貞(花押)

    洞雲寺

       衣鉢侍者禅師 尊答

 

 「書き下し文」

 尊書謹んで拜見致し候ふ、仍て當寺領之儀に就き、小幡・己斐両人奉書慥かに給はり置き候ふ、急度付け遣わし是より申し上ぐべく候ふ、兼ねて又存じ寄らず候ふ百疋送り下され候ふ、忝く候ふ、然りと雖も御煩ひの至り勿体無きの条、斟酌無極に候ふと雖も、尊意の儀候ふ間、先ず以て命に應じ候ふ、猶委細御使僧申し候ふ、恐々謹言、

 

 「解釈」

 あなた様のお手紙は謹んで拝見いたしました。そこで、洞雲寺寺領の件について、大内氏奉行人から小幡行延と己斐秀盛の両人へ発給された奉書を、たしかにいただきました。必ずその奉書を託し遣わして、こちらからあなた様(衣鉢侍者)へ申し上げるつもりです。また予想だにしておりませんでした百疋を送り下されました。ありがたいことでございます。そうであったとしても、多大な負担に恐縮しております。受け取ることにとてもためらっておりますが、あなた様のご意向ですので、まずはお心遣いに従います。詳細はあなた様の御使僧が申し上げます。以上、謹んで申し上げます。

 

 「注釈」

「小幡」─小幡行延。3・4号文書に現れる小幡興行の一族か。大内方の国人か。本拠

     地は、佐伯区五日市町大字石内にある有井城(「有井城跡発掘調査報告」

     http://sitereports.nabunken.go.jp/ja/11483)。

「己斐」─己斐秀盛。未詳。厳島神領衆(神主の家臣団)で、本拠地は西区己斐町にあ

     る己斐城(「草津城跡発掘調査報告」http://www.mogurin.or.jp/wakoku-resource/PDF/T_09891-001.pdf)。

「奉書」─未詳。ひとまず大内氏奉行人奉書と考えておきましたが、その奉書をめぐる

     やりとりがいまいちわかりません。関連史料として、20・21号文書があ

     ります。これらを参考にすると、洞雲寺と小幡・己斐の間で、圓満寺分・丸

     山名をめぐって、所領相論が起きていたことがわかります。

「胤貞」─未詳。洞雲寺住持の補佐役、申次か。

「衣鉢侍者禅師」─洞雲寺の訴訟担当者か。4・6号文書の「注釈」参照。