一一 友田興藤書下
圓満寺堤之前新堤被レ築、於二成就一者、為二末代一肝要存候、然者重而以二一行一
可二申合一候条、令二省略一候、
二月廿日 興藤(花押)
洞雲寺 衣鉢閣下
「書き下し文」
圓満寺堤の前に新堤を築かる、成就に於いては、末代の為肝要に存じ候ふ、然らば重ねて一行を以て申し合はすべく候ふ条、省略せしめ候ふ、
「解釈」
圓満寺堤の前に新しい堤が築かれます。堤の完成については、私も将来のために大切に存じております。だから、重ねて書状をもって相談しなければなりませんので、詳しいことは省略します。
「注釈」
「圓満寺堤」─圓満寺は廿日市町佐方(サガタ)・五日市町佐方(サカタ)という瀬戸
内沿岸部にあったとされているので、その近辺の堤防と考えられます。
『広島県の地名』(平凡社)の「洞雲寺」の項目で、この文書を解釈し
ています。それによると、円満寺の堤の前に新しい潮止めの堤を築造
し、干拓を行っていたことがわかるそうです。
「衣鉢閣下」─洞雲寺の訴訟担当者か。4・6・7・8号文書の「注釈」参照。