一二 友田廣就安堵状
當社領佐西郡平良庄内洞雲寺領、諸役等免除之儀、前々云二判形之筋目一、殊
(友田)
興藤被レ進二一行一上者、不レ可レ有二相違一之状如レ件、
(1530)
享禄三年三月一日 廣就(花押)
洞雲寺 長老(當住春公)禅師
「書き下し文」
當社領佐西郡平良庄内洞雲寺領、諸役等免除の儀、前々の判形の筋目に云ふ、殊に興
藤一行を進らせらるる上は、相違あるべからざるの状件のごとし、
「解釈」
厳島社領佐西郡平良庄の内洞雲寺領。諸役等を免除する件は、以前からの寄進状などの由緒のとおりである。とくに興藤が安堵状を進上なさったうえは、間違いはあるはずもありません。安堵状の内容は以上のとおりです。
「注釈」
「平良庄」─佐伯郡沿岸部の中央、厳島の北方対岸にあたる可愛川流域一帯の地で、現
在の廿日市町一帯にあたる。厳島神社領の中心地(『広島県の地名』)。
「前々云判形之筋目」─まったく訳せません。「判形」は「花押」、「筋目」は、「
ものの道理、一連の手続き、経過、由緒、家柄、素性、心がけ
るべき問題点、眼目」などの意味(『古文書古記録語辞
典』)。
「一行」─10号文書、友田興藤安堵状のことか。
「興藤」─友田興藤。もと厳島神主。
「友田廣就」─厳島神主。友田興藤の弟。
「當住春公長老禅師」─洞雲寺住持、五世天菴宗春。