(羽仁)
洞雲寺領吉木庄内宮守貳反事、雖下被三宛二下藤依一候上、當寺領無レ紛之上者、右
貳段分對二寺家一無二相違一可レ被二去渡一候、對二藤依一替地事者、追而可レ有二言
上一候、聊不レ可レ有二難渋一候、恐々謹言、
(1542)
天文十一年 龍崎右衛門寺尉
正月十九日 隆輔有判
吉見孫右衛門尉
興滋有判
青景右京進
隆著有判
(藤依)(殿ヵ)
羽仁左近大夫⬜︎
「書き下し文」
洞雲寺領吉木庄内宮守貳反の事、藤依に充て下され候ふと雖も、當寺領紛れ無きの上
は、右貳段分寺家に對して相違無く去り渡さるべく候ふ、藤依に對して替地の事は、
追って言上有るべく候ふ、聊かも難渋有るべからず候、恐々謹言、
「解釈」
洞雲寺領吉木庄内宮守にある二反の田地こと。羽仁藤依に給与しましたが、洞雲寺領であることは紛れないうえは、右の二反分の田地は寺家に対して間違いなく放棄して与えなければなりません。藤依に対する替地のことは、追って我々奉行人から言上するつもりです。少しも渡し渋ってはなりません。以上、謹んで申し上げます。
「注釈」
「吉木庄」─豊平町吉木。長笹村の東に西宗川を隔てて位置する。北は都志見(つし
み)、東は阿坂(あざか)、南東は今吉田、南は沼田郡小河内(おがう
ち・現広島市安佐北区)などの諸村に接する。厳島社領あるいは吉川氏支
配の所領として度々史料に見える(『広島県の地名』)。
「羽仁左近大夫藤依」─厳島神領衆(厳島神主の家臣団)で、草津城(西区草津)の城
3・3、http://www.mogurin.or.jp/wakoku-resource/PDF/T_09891-001.pdf#search=%27草津城%27)参照。