周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

洞雲寺文書17

   一七 大内氏奉行人連署書状案

 

                     (羽仁)

 洞雲寺領吉木庄内宮守貳反事、雖下藤依、當寺領無紛之上者、右

 貳段分對寺家相違去渡候、對藤依替地事者、追而可

 上候、聊不難渋候、恐々謹言、

    (1542)

    天文十一年            龍崎右衛門寺尉

      正月十九日             隆輔有判

                    吉見孫右衛門尉

                        興滋有判

                    青景右京進

                        隆著有判

         (藤依)(殿ヵ)

       羽仁左近大夫⬜︎

 

 「書き下し文」

 洞雲寺領吉木庄内宮守貳反の事、藤依に充て下され候ふと雖も、當寺領紛れ無きの上

 は、右貳段分寺家に對して相違無く去り渡さるべく候ふ、藤依に對して替地の事は、

 追って言上有るべく候ふ、聊かも難渋有るべからず候、恐々謹言、

 

 「解釈」

 洞雲寺領吉木庄内宮守にある二反の田地こと。羽仁藤依に給与しましたが、洞雲寺領であることは紛れないうえは、右の二反分の田地は寺家に対して間違いなく放棄して与えなければなりません。藤依に対する替地のことは、追って我々奉行人から言上するつもりです。少しも渡し渋ってはなりません。以上、謹んで申し上げます。

 

 「注釈」

「吉木庄」─豊平町吉木。長笹村の東に西宗川を隔てて位置する。北は都志見(つし

      み)、東は阿坂(あざか)、南東は今吉田、南は沼田郡小河内(おがう

      ち・現広島市安佐北区)などの諸村に接する。厳島社領あるいは吉川氏支

      配の所領として度々史料に見える(『広島県の地名』)。

「羽仁左近大夫藤依」─厳島神領衆(厳島神主の家臣団)で、草津城(西区草津)の城

           主か。『草津城跡発掘調査報告』(広島市教育委員会、198

           3・3、http://www.mogurin.or.jp/wakoku-resource/PDF/T_09891-001.pdf#search=%27草津城%27)参照。