佐西郡吉木内宮守之事、雖二羽仁左近大夫藤依進止候一、御寺領之由旧冬蒙レ仰候
之条、對二藤依一以二一通一申渡候、爲二向後一候間返レ状候者、寺家仁被二召置一度
由無二余儀一候、雖レ然于レ今無二莵角之儀一御進退候上者、不レ及二其沙汰一候、自
然追而申儀候者、此等之趣可レ被レ仰レ理候、此由可レ得二御意一候、恐惶謹言、
(吉見)
五月六日 興滋(花押)
(龍崎)
隆輔(花押)
(青景)
隆著(花押)
洞雲寺
監寺禅師
「書き下し文」
佐西郡吉木庄内宮守の事、羽仁左近大夫藤依進止し候ふと雖も、御寺領の由旧冬仰せを蒙り候ふの条、藤依に對して一通を以て申し渡し候ふ、向後の為に候ふ間状を返し候へば、寺家に召し置かれたき由余儀無く候ふ、然りと雖も今に兎角の儀無く御進退候ふ上は、其の沙汰に及ばず候ふ、自然追って申す儀候はば、此れ等の趣理を仰せらるべく候ふ、此の由御意を得べく候ふ、恐惶謹言、
「解釈」
佐西郡吉木庄内宮守のこと。羽仁左近大夫藤依が支配しておりますが、洞雲寺領であると、昨年の冬に洞雲寺住持宗春様のお言葉をいただきましたことを、藤依に対して奉行人連署書状で申し渡しました。今後のために寺家がその書状を取り返しますならば、そのまま書状を取り置き、保管なさりたいという考えについては、異議はありません。そうではありますが、今とくに問題はなく、御支配しておりますうえは、書状を取り返すまでもありません。もしものちに羽仁が訴えるようなことがありましたならば、これらの事情について、道理を仰るべきです。このことについて、あなた様のお考えを承るつもりでおります。以上、謹んで申し上げます。
「注釈」
「吉木庄」─豊平町吉木。長笹村の東に西宗川を隔てて位置する。北は都志見(つし
み)、東は阿坂(あざか)、南東は今吉田、南は沼田郡小河内(おがう
ち・現広島市安佐北区)などの諸村に接する。厳島社領あるいは吉川氏支
配の所領として度々史料に見える(『広島県の地名』)。
「羽仁左近大夫藤依」─厳島神領衆(厳島神主の家臣団)で、草津城(西区草津)の城
3・3、http://www.mogurin.or.jp/wakoku-resource/PDF/T_09891-001.pdf#search=%27草津城%27)参照。
「一通」─17号文書のことか。文書中に「旧冬」という記載があることから、この文
書は天文十二年(1543)に比定しておきます。
「監寺」─禅宗で、一寺を統率する役僧のこと。都寺に次ぐ重役。
*書き下し、解釈ともにわからないところが多いです。