読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

依怙贔屓→刃傷沙汰→切腹 これって鉄板法則!?

楽しい古記録 建内記(完)

  文安元年(一四四四)六月十日条 (『建内記』7─139)

 

 十日、戊子、雨降、 例日也、

  (中略)

    (勝元)                        (之長ヵ)

 傳聞、細川九郎(割書)「惣領也、十三歳、」去月廿六日覽圍碁、香西子与前田

 子(割書)「十五歳、」也、香西子碁手九郎助言、仍前田子怨言[  ]追立之

           (前田ヵ)

 畢、其後九郎⬜︎⬜︎之、[  ]子立歸、抜刀乱入平臥之席、切[  ]、九郎學

                           (而ヵ)

 兵法、乍臥背其刀及両度、次起揚奪取彼刀、押付其身項、⬜︎⬜︎人來告子細、卽時雖

                      (前田ヵ)

 可切害、有所思可預彼親類之由、九郎加下知了、⬜︎⬜︎父在四国、仍預置親類、爲

  (族ヵ)

 一⬜︎⬜︎沙汰令切腹了、前田一党⬜︎⬜︎云々、當座無恙、後代揚名[  ]感悦々々、

 

 「書き下し文」

 十日、戊子、雨降る、例日也、

  (中略)

 伝え聞く、細川九郎(割書)「惣領なり、十三歳、」去月廿六日囲碁を覧ず、香西の

 子と前田の子「十五歳、」となり、香西の子の碁の手に九郎助言す、仍って前田の子

 怨言[  ]之を追い立て畢んぬ、其の後九郎之を⬜︎⬜︎、前田の子立ちかえり、刀を

 抜き平臥の席に乱入し、[ ]を切[ ]、九郎兵法を学ぶ、臥せながら其の刀を背

 くること両度に及ぶ、次いで起き揚がり彼の刀を奪ひ取り、其の身項を押し付く、而

 して⬜︎人来たり子細を告ぐ、即時切害すべしと雖も、思ふ所有りて彼の親類に預くべ

 きの由、九郎下知を加え了んぬ、前田の父四国に在り、仍って親類に預け置き、一族

 の沙汰として切腹せしめ了んぬ、前田一党⬜︎⬜︎云々、当座恙無し、後代名を揚げ

 [  ]感悦々々、

 

 「解釈」

 十日、戊子、雨が降った。厄日である。

  (中略)

 伝え聞いた。細川九郎勝元(惣領である。十三歳。)は去る五月二十六日に囲碁をご覧になった。香西の子(之長)と前田の子(十五歳)との対戦であった。香西の子の指し手に九郎勝元は助言をした。そこで前田の子は恨み言を吐いて、勝元は前田の子を追い立てた。その後九郎は前田の子を追い出した。前田の子は勝元邸に戻り、刀を抜いて二人が腹這いになって遊んでいるところに乱入し、切りつけようとした。だが、九郎は兵法を学んでいたので、うつ伏せになりながらその刀をかわすこと二度に及んだ。次いで起き上がり、前田の刀を奪い取り、前田のうなじに刀を押し当てた。そして、人々がやってきて事情を告げた。すぐに切り殺すべきではあったが、思うところがあって、前田の親類に預けるのがよいと命令を下した。前田の父は四国にいた。そこで親類に預け置いて、前田一族の処置として切腹させた。前田一族は承知したそうだ。さしあたり平穏である。勝元は後世に名声を馳せることになるだろう。心に感じて嬉しいことである。

 

 「注釈」

「例日」─赤口日。厄日。

「平臥の席」─腹這いになって遊んでいるところ。

 

*子どもどうしの囲碁の勝負で刃傷沙汰とは、室町時代は恐ろしい時代です。正々堂々

 とした勝負でズルをしたことに腹を立てたのか、勝元が香西之長を気に入っているこ

 とに対する嫉妬か。ひょっとすると勝元と之長は、男色関係にあったのかもしれませ

 ん。いずれにせよ、自尊心を傷つけられたことで、人を殺そうとする、しかも自分の

 仕える上司を殺そうとするわけですから、どんな育ち方をしてきたのか、とても気に

 なります。おそらく、個人的な家庭環境のせいばかりとは言えないのでしょう。理性

 の確立していない子どもだからという理由も、何だか違うような気がします。倫理観

 のようなものが、現代とはまったく異なるような気がします。当時の人々は、どんな

 倫理観で動いていたのでしょうか? そして、その倫理観はどのように形成されてき

 たのでしょうか? とても気になります。

 

*それにしても、勝元の身のこなしは素晴らしいものがあります。また、その後の処置

 も高く評価されています。前田をその場で斬り殺してもよかったのに、一族に預けて

 切腹させるという処置を取りました。切腹(自害)には、前田の面目を保つという効

 果もあったのでしょう。これで、幼き勝元は名声を得ることになります。

 

*清水克行『喧嘩両成敗の誕生』(講談社選書メチエ)を参照しました。