二二 桂元教書状(禮紙付)
(杉)
清末名之事、今度悉御寄進候哉、對二隆眞一御扶助目録にも被二書載一候、如何候
(違)
哉、彼清末名悉御寄進之御奉書等候者、致二披見一無二相遣一可二申付一候、下作之
事者、栗栖新左衛門尉給地打渡ニ被レ成二御心得一之由候条、如二前々一可レ被二仰
付一候、於二寺納一者堅固可二申付一候、御分別所レ仰候、猶巨細之段可レ致二言
上一候、此由奉レ得二御意一候、恐惶謹言、
五月十六日 元教(花押)
(禮紙切封ウハ書)
「 桂少輔七郎
洞雲寺 参 衣鉢足下 元教」
「書き下し文」
清末名の事、今度悉く御寄進し候ふか、隆眞に對して御扶助し目録にも書き載せられ
候ふ、如何に候ふや、彼の清末名悉く御寄進の御奉書等候はば、披見致し相違無く申
し付くべく候ふ、下作の事は、栗栖新左衛門尉の給地を打ち渡すに御心得成さるるの
由候ふ条、前々のごとく仰せ付けられ候ふ、寺納に於いては堅固に申し付くべく候
ふ、御分別仰するところに候ふ、猶ほ巨細の段言上致すべく候ふ、此の由御意を得奉
り候ふ、恐惶謹言、
「解釈」
清末名のこと。大内義隆様は、この度すべて寄進なさったのでしょうか。杉隆眞をお助けになり、厳島社領の目録にも清末名は書き載せられていました。どのようなことでしょうか。この清末名はすべて寄進なさることを認めたご奉書などがありますならば、私ども(桂元教)で拝見致し、確かに申し付けるつもりです。下作職のことについては、栗栖新左衛門尉の給田を引き渡すことをご承知になりますよう、以前からのとおりに、義隆様はご命令になるはずです。寺納においては、きちんと申し付けなければなりません。道理を弁えられるようお願いします。さらに詳しいことについては、こちらから申し上げるつもりです。この件について、あなた様のお考えを承るつもりでおります。以上、謹んで申し上げます。
「注釈」
「清末名」─廿日市市佐方字清末にあった名か。
「栗栖新左衛門尉」─未詳。大内氏の家臣か。
「杉隆眞」─厳島神主、佐伯景教(杉隆真)。大内氏によって、神主に据えられた。
「御奉書」─16号文書のことか。
「桂元教」─未詳。大内氏の家臣か。
「衣鉢足下」─未詳。洞雲寺の訴訟担当者か。
*文書の年代や人物の関係性がまったくわからないので、書き下しも解釈もできません
でした。14・15・16号文書から、清末名はもと厳島神主友田興藤から寄進され
た田地だとわかります。ただし、清末名のすべてが寄進されたわけではないようで
す。神主が大内氏の家臣であった杉隆眞へと代わり、所有関係に混乱が生じたのかも
しれません。よくわかりませんが、この時清末名の権益のほとんどは、大内義隆から
洞雲寺に寄進されたのでしょうが、一部は給田として、栗栖新左衛門尉に与えられた
ものと考えられます。その確認のために発給されたのが、この文書ではないかと推測
しておきます。