周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

拾いますか? 拾いませんか? (Do you pick it up or not?)

  文安四年(一四四七)三月六日条 (『建内記』8─14)

 

 六日、丁酉、雨降、「夜霽戌刻星二捕合、一者落下、一者入天不見云々、勘文可尋

  (中略)

 (斎藤有子)

 冷泉局参詣石山寺、於大門内拾銭十三文利生顕然、所願成就之先兆、祝着之由、

 翌日演説、

 

 「書き下し文」

 冷泉局石山寺に参詣す、大門内に於いて銭十三文を拾ひ利生顕然、所願成就の先兆、

 祝着の由、翌日演説す、

 

 「解釈」

 冷泉局が石山寺に参詣した。大門の内側で銭十三文を拾い、ご利益は明らかであった。願いが叶うことの予兆である。喜ばしいことである、と翌日冷泉局は私に話した。

 

 Reizeinotubone (the concubine of the author Tokifusa) worshiped at Ishiyamadera temple. She picked up the coin thirteen mons inside the main gate. This is an obvious blessing of Buddha. It is a sign that her wish will come true. The next day she told me she was happy.

 

 「注釈」

「冷泉局」─斎藤有子。時房の妾。

石山寺」─滋賀県大津市にある真言宗の寺。西国三十三所巡礼の札所。はじめ東大寺

      に属し、正倉院文書に造営関係の文書が多数残る。平安時代より紫式部

      参籠など公家・武家の参詣が盛んであった(『角川日本史辞典』)。

 

室町時代、お寺でお金を拾うというのは、吉兆だったようです。どこまで一般化できるかはさておいて、こういう考え方があったこと、そして書き残されていたことに驚きます。翻って、現代ではどうなのでしょうか。また、神社の場合はどうなのでしょうか。拾って帰ると、バチが当たりそうな気もするんですけど…。

 

 In the Muromachi period, picking up money at a temple was a good sign. At the time, I do not know if such a way of thinking was common, but I am surprised that medieval people thought that way. Well, how do modern people think about this? Also, what about shrines? When I pick it up, I feel I will receive the punishment of God or Buddha ...

 (I used Google Translate.)

 

 

*追加

 瀬田勝哉「神判と検断」(『日本の社会史』第5巻、岩波書店、1987)によると、中世では社寺参詣の行き帰りの路次で「拾い物」をすることが「嘉瑞」・「寿福之御利生」とされ、非常に喜ばれたそうです。