周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

洞雲寺文書35

   三五 毛利元就同輝元連署安堵状

 

 安芸国佐西郡佐方村洞雲寺領、元圓満薬師寺領、同永興寺領之事、任代々證文

             (友田)

 旨諸役等令免除畢、并興藤寄進地坪付在之、執務領掌不相違之状

 如件、

    (1571)

    元亀貳年卯月九日            輝元(花押)

                        元就(花押)

   洞雲寺 (全室)

      當住宗用和尚

 

 「書き下し文」

 安芸国佐西郡佐方村洞雲寺領、元圓満薬師寺領、同永興寺領の事、代々の證文の旨に

 任せ諸役等免除せしめ畢んぬ、并に興藤寄進地「坪付之在り」、執務領掌相違有るべ

 からざるの状件のごとし、

 

 「解釈」

 安芸国佐西郡佐方村の洞雲寺領、もと圓満寺・薬師寺領、同永興寺領のこと。代々の証文の内容のとおりに諸役等を免除させた。また、友田興藤の寄進地(所在地・面積などは別紙に記してある)も、相違なく取り仕切り領有するべきである。安堵状の内容は以上のとおりである。

 

 「注釈」

「圓満寺」─廿日市町佐方(サガタ)・五日市町佐方(サカタ)地域にあった中世の廃

      寺。現在も小字名として残る(『広島県の地名』)。

薬師寺」─円満寺と同様に、佐方にあった中世の廃寺か。

「永興寺」─未詳。厳島社領内の寺院でしょうか。

「興藤」─友田興藤。もと厳島神主。

「当住宗用和尚」─洞雲寺住持、九世全室宗用。