山口雜説之由、就二風聞一被二馳参一之次第、尤神妙之至也、何様至二京都一可レ被三
注二進之一、仍 御感之旨、所レ仰執達如レ件、
(1509) (杉武清)
永正六年十一月二日 左兵衛尉(花押)
(杉弘依)
木工助(花押)
(杉重輔)
伯耆守(花押)
(陶弘詮)
兵庫頭(花押)
(仲次ヵ)
能美四郎殿
「書き下し文」
山口雑説の由、風聞に就き馳せ参らるるの次第、尤も神妙の至りなり、何様京都に至り之を注進せらるべし、仍て 御感の旨仰する所執達件のごとし、
「解釈」
山口での反乱の噂によって馳せ参じなさった事情は、いかにもこの上なく感心なことである。きっと京都に至りこの件を注進したはずだ。そこで、大内義興様が感心なさっているというお言葉を通達します。
「注釈」
「山口雑説」─未詳。大内義興に対する山口での反乱の噂か。
「能見四郎」─七代仲次(秀依)。