解題
俗神を列挙しており、当時の民間信仰の状態を示すものとして収録した。当家は江戸時代には森下を称し永原村(現佐伯郡佐伯町)の社倉十人組頭などをつとめていたと伝えている。
一 宮法師丸修祓請文
(前闕)
「 」
謹請 サケ⬜︎ノ [ ]
謹請 コノハカヱシノ ミサキ
謹請 シハヌシノ ミサキ
謹請 イ[ ]ノ ミサ⬜︎
は
謹請 ホマ[ ] ミサキ
謹請 ハヤハシ[ ] ミサキ
ち
謹請 チカヌ[ ] ミサキ
謹請 トヲサノ ミサキ
謹請 キ[ ]ノ ミサキ
謹請 [ ] ミサキ
謹請 [ ]神⬜︎ノ ミサキ
謹請 ケン⬜︎ノ ミサキ
謹請 ヨリヱノ ミサキ
ゑ
謹請 ヱヒスノ ミサキ
ミツ
謹請 水神之 ミサキ
くわう
謹請 大荒神之 ミサキ
同
謹請 小荒神ノ ミサキ
謹請 天神ノ ミサキ
ち
謹請 地神ノ ミサキ
とくう
謹請 土公神ノ ミサキ
しゆそ
謹請 呪詛神ノ ミサキ
タウロ
謹請 道路神ノ ミサキ
謹請 ホリラノ ミサキ
謹請 サハラノ ミサキ
謹請 リャウシンノ ミサキ
謹請 アルキノ ミサキ
謹請 ア[ ]シキ ミサキ
謹請 [ ]ロヲノ ミサキ
謹請 ⬜︎ヤヲノ ミサキ
謹請 ナカヲノ ミサキ
謹請 ミシカヲノ ミサキ
そう
カクノコトク日ニシタカツテアルミサキタチノカスハ、惣テ八万四千六百五十四神
とう しやうかく しようしゆ せし おのおのほんりほんくわう
等、今ノハライニヨツテ正覺ヲ 成就 令給ヘテ、各々本里本郷ヱカヱリ給フ
ヘシ、急々如律令、
(1495)
明應四年乙卯三月廿七日
宮法師丸
*書き下し文は省略。
「解釈」
(前闕)
謹んで勧請する サケ⬜︎ノ[ ]
謹んで勧請する コノハカヱシノミサキ
(中略)
このように、日につれて勧請したミサキたちの数は、都合八万四千六百五十四柱である。今このお祓いにより、迷いを去って完全な悟りを開きなさり、それぞれもといた場所へお戻りください。速やかに立ち去れ。
「注釈」
「修祓」
─しゅうふつ・しゅうばつ。神道で、みそぎはらいを行うこと。おはらいをすること(『日本国語大辞典』)。
「請文」
─①上司からの文書を受け取ったときに差し出す返書(請書ともいう)。②一般に、上位者に対してあることを確言・約束する文言(請とか、承など)を持った上申書。荘園書式または代官職の補任状が出されると、それに対して怠りなく義務を履行する旨の請文を出すのが例である(『古文書古記録語辞典』)。ただし、この文書の「カクノコトク」以降を解釈すると、何かを確約するというよりも、「ミサキ」に対し、この場からいなくなるようにお願いしている内容になっています。したがって、この文書は「請文」というよりも、「祭文」に近いのではないでしょうか。「謹請」も「謹んで請ふ」(お願いする)、あるいは「謹んで請ず」(勧請する)と読むのだと思います。今回は、後者の読み方と意味にしておきます。
「ミサキ」
─民族的信仰生活の中で、ある時には神のように敬われ、ある地域では悪霊として恐れられ、ある場合には神の使者として畏れられる存在。異常な死に方を遂げた者をミサキと呼ぶ場合もあり、また時にはある特定の地点をミサキと呼ぶ。より抽象的に言えば、ミサキとは、空間的な境界・時間的境界・生と死の境界・人と神との境界を指す言葉だそうです(間﨑和明「ミサキをめぐる考察」(『社学研論集』8、2006・9、
この史料を見ると、たとえば「呪詛神ノ」ミサキ・「道路神ノ」ミサキという「神ノ」ミサキ型と、「ホリラノ」ミサキ・「サハラノ」ミサキというカタカナのみで表記されている型に分けられます。前者の「ミサキ」だけなら神の使者や眷属と考えられそうですが、後者のカタカナが何を表しているのかよくわかりません。したがって、すべて使者や眷属であるとは断言できませんが、カタカナ表記の部分が人名や地名を表しているなら、その人(死者)自身の霊か、その場所にいる霊のようなものかもしれません。
いずれにせよ、お祓いされているのですから、どの「ミサキ」もあまり好ましくないもの、魔物や悪霊のようなものなのでしょう。ただし、成仏してもとの居場所に帰るように祈願しているのですから、ただ単に祓ってしまおうとしているのではないようです。
「呪詛神」
─呪いの力、呪詛そのものを「呪詛神」という神として祭ったもの(斎藤英喜「いざなぎ流の神々─呪詛神と式王子をめぐって」『陰陽道の神々』思文閣出版、2007)。この研究で分析されている史料とこの文書は内容が似通っているので、解釈の参考にしました。
「本里本郷」
─神の眷属や悪霊、呪詛を送り返す場所と考えられます(前掲斎藤論文)。ミサキを送り返すべきもとの場所とは、「ミサキ」の修飾語になっている「呪詛神」「道路神」や「ホリラ」「サハラ」などのことでしょう。
「急急如律令」
─中国の漢代の公文書に、本文を書いた後に、「この趣旨を心得て、急々に、律令のごとくに行え」という意で書き添えた語。後に転じて、道家や陰陽家のまじないのことばとなり、また、悪魔はすみやかに立ち去れの意で祈祷僧がまじないことばの末に用いた。その後、武芸伝授書の文末にも書かれて、「教えに違うなかれ」意を表した(『日本国語大辞典』)。
「宮法師丸」─未詳。民間の宗教者(法師陰陽師)のような存在か。
*何を目的とした祭文なのか、いまいちはっきりしません。何らかの祭祀に先立って、場を清浄にするため、その場にいたミサキを勧請し(集め)それを祓って、もとの場所に戻そうとしたのかもしれません。