一四 武田信在安堵状寫
安藝国可部庄九品寺事
右當寺院主職者、先年御知行之間、如レ元返二付于福王寺一、別當良海阿闍梨申
之處也、仍全二知行一 天地長久之御祈禱可レ被レ致二精誠一之状如レ件、
(1393)
明徳四年三月廿四日 伊豆守信在判
「書き下し文」
安芸国可部庄九品寺の事
右当寺院主職は、先年御知行の間、元のごとく福王寺に返付することを、別当良海阿闍梨申すの処なり、仍て知行を全うし天地長久の御祈祷精誠を致さるべきの状件のごとし、
「解釈」
安芸国可部庄九品寺のこと。
右福王寺の院主職は、昨年良海に安堵され、その職務を執行なさってきたので、九品寺の院主職も元のように福王寺に返付することを、良海阿闍梨が申請してきたところである。そこで、職務を全うし、真心を込めて天地長久のご祈祷を致しなさるべきである。内容は以上のとおりである。
「注釈」
「九品寺」─九品寺村。安佐北区可部町城。もと下南原村と称したが、慶長六年(一六
〇一)の検地の時に、村内の地蔵堂の寺号にちなんで村民が九品寺村と答
えたことから、この村名を得たと伝える(郡中国郡志)。「芸藩通志」は
当村を南原筋に入れ、中世には南原郷に含まれていたことも考えられる
が、明徳四年(一三九三)三月二九日付武田信在安堵状写(福王寺文書)
は「可部庄九品寺事」と記し、可部庄内としている。九品寺は江戸時代末
には地蔵堂を残すのみであったが、かつては真言宗の大寺であった(芸藩
通志)。前述の武田信在安堵状写は、九品寺院主職を綾谷村の福王寺に返
付させ安堵したものである(『広島県の地名』)。
「良海阿闍梨」─福王寺院主。