周梨槃特のブログ

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須佐神社文書 参考史料2の1

   五〇 小童祇園社祭式歳中行事定書 その1  天保七年(一八三六) 小童村

 

 「解説」

 祇園社(現在の小童須佐神社)の神事祭礼等の年間行事の詳細を記録したものである。当時は神仏習合の時代で、神宮寺別当は甲山町今高野山安楽院の僧が兼帯し、祢宜伊達紀伊守以下祇園社並びに摂社・末社の社人の名前が列記されている。

 

 

    祇園社祭式歳中行事定書

 一正月元日 別当神宮寺、禰宜伊達紀伊

       右両人三日朝マテ詰御番

  御神前江供物之事

   御蓬莱 (割書)「志らけよね・かち栗・たいゝゝ・きはさ

            こん婦・みかん・もろむけ・鬼豆」

   右蓬莱者祢宜より新敷三宝相調指上申例也

  御 神 酒 御 飯 御 鏡  たいゝゝ・こんふ・みかん・かき

  三舛三合  三舛三合  三重赤白  きはさ・かち栗

   右永代赤はね神田ヲ以祢宜より奉備、其御神酒御飯下リ者惣社人中於拝殿致頂戴

   候事

  御精進供御神酒御鏡餅(割書)「三重赤白」前仁同

   三朝日々備替御洗米

    右別当神宮寺ヨリ奉弁備

  三十三灯 大晦日ヨリ 三日朝マテ 常夜灯明之事

    右油之儀者神宮寺与祢宜隔年仁出申例也

     但六月祭礼散銭之内ニテ拾匁其当番江相渡候常例也

      是ハ正月三朝之間六月十三日ヨリ十六日マデ

      両度三十三灯之料也

  太鼓口明ケ  国宗田中形部

    於拝殿申上 幣取広田陸奥正役

 一七日

  的御神事   伊達紀伊守勤

          裾ヲ取事舛取之役也

     御神酒壱舛献 代物社人惣割

     右的神事場所之儀者神宮寺前之畑仁天日ノ出ニ勤之、的掛松弐本舛取之者建

     之、惣社人者神事之間舞殿ニ相詰的之箭音ニ合セテ国宗太鼓ヲ打候事

  舞初神

   太鼓役田中形部 舞神子役陶山加賀正

 一十四日 月次祭当之事

  御神酒 当番弐人ヨリ奉備

  御飯  正月ト極月計備、社人不残頂戴

      但入用方宮方惣割

  散米  当番両人ヨリ出シ正極月若宮方不残配分其余十ヶ

  三合  月者八ツ割弐ツ神前両人壱ツ鼠喰一ツ陸奥一ツ加

      賀一ツ形部一ツ舛取一ツ薦敷合八ツ也

  祭当申上御鬮受陸奥 太鼓形部 舞役加賀

    右御神酒頂戴方者三銚子ニ入一ツ神前エ上頂戴相済矢張三銚子揃、中東西三座

    一時ニ始メ中ヨリ左エ廻ス東モ左ヱ西者右ヱ廻ス古例也

                 ホトギ  トウフ

              膳図 ニマメ  吸 物

                 コウモノ ヤサイ

  祭当月番人頭

   三役 別当神宮寺   二役 祢宜実光      壱役 幣取広田陸奥

   壱役 国原田中形部  壱役 舞神子陶山加賀   壱役 厳島祢宜留十郎

   壱役 竜王祢宜吟蔵  壱役 神子役増蔵     壱役 妙見祢宜貞平

   壱役 比エ祢宜保蔵  壱役 武塔神主近藤出雲  壱役 荒神祢宜千吉

   壱役 神子役伴次郎  壱役 八将神祢宜万吉   壱役 山王祢宜与兵衛

   壱役 天神祢宜    壱役 御当役周兵衛    壱役 御加役自然

   壱役 御加役文三郎  壱役 御加役熊五郎    壱役 薦敷

                      (割書)「此分当時千吉預相勤祭当者不致事」

   壱役 十王堂祢宜此分当時中絶祭当無之

  合弐拾五役 但内弐役中絶

 

            東

           保 蔵

           与兵衛

           千 吉 吟 蔵

           新五郎 貞 平

       熊五郎  中  周兵衛

  拝殿席北 文三郎   中 出 雲 南

       自 然  中  陸 奥

           万 吉 形 部

           伴次郎 留十郎

           増 蔵

           加 賀

            西

 

   右祭当惣社家中於神前鬮取ヲ以其月々当番ヲ定弐人組シテ相勤旧例也

 

   つづく

 

*書き下し文は省略します。「祭当月番人頭」以下、「壱役・二役・三役」下の原文表

 記は、すべて割書になっています。また、「拝殿席」の図も、原文表記を変更してい

 ます。

 

 「解釈」

    祇園社の祭式・年中行事の儀式書

 一つ、正月元日の祭は、神宮寺別当祇園社禰宜伊達紀伊守の両人が三日の朝まで当

    番として詰める。

  御神前へのお供え物のこと。

   蓬莱の飾りは、白米・勝栗・橙・海藻・昆布・蜜柑・諸向・鬼豆。

   右の蓬莱の飾りは、禰宜が新しい台を調進して差し上げ申すのが慣例である。

  御神酒は三升三合、御飯は三升三合、御鏡餅は三重の紅白。それに、橙・昆布・蜜

  柑・柿・海藻を飾る。

   右のお供えは、永久に赤はね神田のお米を使って、禰宜がお供えする。この御神

   酒と御飯の下ろし物は、すべての神職が拝殿で頂戴する。

  精進のお供え物と御神酒と御鏡餅三重の紅白は前と同じ。

   三日間毎朝洗った米を交換して供える。

    右のものは、別当神宮寺からお供えする。

  三十三の灯明。大晦日から三日の朝まで常に灯明をつけておく。

    右の油のことは、神宮寺と禰宜が隔年で出し申すのが慣例である。

     但し、六月の祭礼の散銭の内、十匁をその当番へ渡しますのが慣例である。

      これは正月三ヶ日の朝の間と、六月十三日から十六日までの、二度の三十

      三灯明料として渡すのである。

  太鼓の皮切りは、国宗田中刑部。

    拝殿で申し上げる。 幣取は広田陸奥が正規の役である。

 一つ、七日。

  的御神事   伊達紀伊守が勤める。

          裾を取ることは、枡取万吉の役である。

     御神酒は一升を献上する。その費用は神職が皆で割る。

     右の的神事の場所の件は、神宮寺前の畑で日の出とともに勤める。的を掛け

     る松二本は、枡取万吉がこれを立てる。すべての神職は神事のあいだ舞殿に

     詰めて、的の矢の音に合わせて国宗太鼓を打ちます。

  舞初神

   太鼓役は田中刑部で、舞神子役は陶山加賀正である。

 一つ、十四日。 月次祭の頭役のこと。

  御神酒は、当番の二人がお供えする。

  御飯は、正月と十二月だけお供えし、神職が残らず頂戴する。

      但し、費用は宮方全員で割る。

  散米は各月三合ずつ。

      当番の二人が出し、正月と十二月は若宮方に残らず配分する。その他十ヶ

      月分は、八つに割り、二つを神宮寺別当と大禰宜伊達紀伊守の二人、一つ

      を鼠喰、一つを陸奥、一つを加賀、一つを刑部、一つを枡取万吉、一つを

      薦敷千吉に配分する。合計八つである。

  祭の頭役が御籤の内容を申し上げ、広田陸奥が受け取る。太鼓役は田中刑部で、舞

  役は陶山加賀である。

    右の御神酒を頂戴するものは、三つの銚子に入れて、一つは神前へ差し上げて

    それを頂戴し、それが済んだらそのまま三つの銚子を揃える。本宮の中・東・

    西の三座へ供えるが、その時、はじめは中の座から左へ銚子を廻す。東の座も

    左へ、西の座は右へ廻すのが古くからの慣例である。

   (中略)

   右の祭りの頭役は、すべての社家が神前で籤を引き、それによってその月の当番

   を決め、二人組で勤めるのが古くからの慣例である。

 

   つづく 

 

 「注釈」

「蓬莱」

 ─主として関西で、新年の祝儀に、三方(さんぼう)の上に白紙、羊歯(しだ)、昆布などを敷き、その上に熨斗鮑(のしあわび)・勝栗・野老(ところ)・馬尾藻(ほんだわら)・橙(だいだい)・蜜柑などを飾ったもの。蓬莱の飾り。蓬莱山。蓬莱台(『日本国語大辞典』)。

 

「きはさ」─「ぎばさ」・「きばさ」のことか。海藻「ほんだわら」の異名。

 

「もろむけ」

 ─「諸向(もろむき)」のことか。植物「うらじろ(裏白)の異名。「裏白」はシダ類ウラジロ科の常緑草本。葉は新年の飾りに、また葉柄は箸、籠などにする(『日本国語大辞典』)。

 

「鬼豆」─未詳。

 

「新敷三宝」─「新しき三方」。新しい儀式用の台。

 

「赤はね」

 ─未詳。似たような地名として、甲奴町小童と世羅町別迫との境に「赤根」という字はあります。

 

国宗」─未詳。

 

「幣取」

 ─未詳。「ぬさとり」か「へいとり」と読むのでしょうか。供え物を進上する役か。

 

「枡取」─枡を使ってはかること。また、その人(『日本国語大辞典』)。

 

「宮方」─未詳。社人(神職)のことか。

 

「散米」

 ─「うちまき」。打撒とも書く。①米をまく作法で、神に神饌として供える、邪気をはらうためにまく。陰陽師が行った祓いの方法である。②米の女房詞(『古文書古記録語辞典』)。

 

「若宮方」─未詳。牛頭天王の八王子を祀った社を管理している神職か。

 

「神前両人」─神宮寺別当と大禰宜伊達紀伊守の二人。

 

「鼠喰」─未詳。

 

「薦敷」

 ─未詳。神事で薦を用意する役目のものか。名前は千吉(「小童祇園社祭式歳中行事定書 その4」参照)。