周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

須佐神社文書 参考史料2の2

   五〇 小童祇園社祭式歳中行事定書 その2

 

 一五月四日

   菖蒲蓬備候事 舛取之役也

 一同 廿九日 忌指榊青近村円満寺山ト高山天神山ニテ隔年ニ御当四人之内ゟ申合伐

  ニ参、此料米壱舛九月御当米ノ内ヨリ出候事

  紙手切役 陸奥

   弐本 本社鳥居エ立 舛取万吉

        注連共

   弐本 武塔社同   棚守貞平

   弐本 西野村境   御先払保蔵

   弐本 宇賀村境(割書)「八幡祢宜仙吉山王祢宜与兵衛」隔年番

   弐本 戸張村境(割書)「神宮寺周兵衛」 右同断

   弐本 青近村境(割書)「武塔神主出雲御子役伴次」 右同断

   〆六ヶ所

  御神酒献上  惣宮方参詣頂戴

    壱舛 但代銀宮方惣割大ノ月ナレバ晦日執行之事

 一六月朔日氏子忌指調 陸奥

  御神酒献上

     五合 但代銀二ツ割、一ト分神前両人弁備、一ト分三太夫

  氷餅献上 但神前両人弁備

 一七日 道造之事

   但本社ヨリ御旅所迄修造惣宮方不残出会、酒三舛求、代銀惣割合、尤神宮寺ヨリ

   者先年ヨリ人出不申、酒代割合ハ相弁来仁附酒初穂贈申事

 一十日 御輿清シ役 (割書)「御輿番伴次 千吉 新五 万吉」

   右清シ水甲奴郡矢野村祇園井エ酌ニ参旧例 役伴次郎

  御祭礼中勤方警固呼出申渡シ酒ヲ呑セ候事

  大御輿綱打 神宮寺ニテ調

    但村内氏子ヨリ縄一チホンツ丶寄進ス酒五舛神宮寺ゟ出

 一月次祭当此月者十日ニ執行之事

 一十三日ヨリ十六日マテ 御法会

   当日早朝ヨリ十六日御帰殿迄神宮寺并神前禰宜神殿ニ相勤候事

  御神酒  神前両人ヨリ献

  御精進供 神宮寺ヨリ献

  三十三灯明

    御輿角御幣

    厳島御幣   此四品切替役陸奥

    御当座御幣   但紙七帖神宮寺ゟ出

    鉾乃下り

  御神酒献上

              壱ト分神前両人

    五合 但代銀三ツ割 壱ト分三太夫

              壱ト分神楽番四人

   武塔社御幣    切替役陸奥

     但此度計之事

   御輿出シ餝方       輿番四人

     但手足リ不申時者神宮寺ヨリ手伝出候事

 一武塔山エ警固番屋村方ヨリ掛十六日マテ詰番

    但十三日夜ヨリ十五日夜マテ三夜分灯油弐合遣村方弁事

 

   つづく

 

*書き下し文は省略します。

 

 「解釈」

 一つ、五月四日。

   菖蒲と蓬を供えますことは、枡取万吉の役目である。

 一つ、同二十九日。忌指の榊は、青近村の円満寺山と高山の天神山で、一年おきに頭

  役四人が相談し、榊を切って進上する。この給与米一升は、九月に頭役へ支払われ

  る給与米から支払います。

  紙垂を作る役目は広田陸奥である。

   二本 本社の鳥居に立てる。枡取万吉の役。

   二本 注連縄とともに武塔社の鳥居に立てる。棚守貞平の役。

   二本 西野村境。御先払い保蔵の役。

   二本 宇賀村境。八幡祢宜千吉と山王祢宜与兵衛が隔年で勤める。

   二本 戸張村境。神宮寺と頭役の周兵衛が隔年で勤める。

   二本 青近村境。武塔社神主近藤出雲と神子役伴次郎が隔年で勤める。

   合計六ヶ所。

  御神酒を献上する。すべての神職が参詣し頂戴する。

    一升 ただし、代銭の銀は神職が全員で割る。大の月であれば晦日に支払うこ

       と。

 一つ、六月朔日に氏子が忌指の榊を調進する。広田陸奥の役目である。

  御神酒を献上する。

     五合 ただし、代銭の銀は二つに割る。一つ分は神宮寺別当と大禰宜伊達紀

        伊守の二人が支払い供え、もう一つ分は三太夫が同じく支払い供え

        る。

  氷餅を献上する。ただし、神宮寺別当と大禰宜伊達紀伊守の二人が用意し供える。

 一つ、七日道造のこと。

  ただし本社から御旅所までの道の修繕は、すべての神職が残らず出仕する。酒三升

  を求める。代銭の銀は全員で割る。ただし神宮寺からは先年より人を出し申さな

  い。酒代の配分は、互いに支払ってきた分に応じて、酒・初穂を贈り申すこと。

 一つ、十日御輿清め役。御輿番伴次郎・八幡禰宜千吉・天神禰宜新五郎・八将神禰宜

            万吉。

   右の清め用の水は甲奴郡矢野村の祇園井へ汲みに参るのが旧例である。御輿番の

   伴次郎の役目である。

  御祭礼中に参勤したものや警固のものを呼び出し申し伝えて、酒を飲ませますこ

  と。

    ただし、村内の氏子から縄を一本ずつ寄進する。酒五升を神宮寺から出す。

 一つ、月次祭の頭役は、この六月は十日に執行すること。

 一つ、十三日から十六日までは御法会。

   当日十三日の早朝から十六日の神輿御帰殿まで、神宮寺別当と本社禰宜伊達紀伊

   守の二人は神殿に参勤しますこと。

  御神酒は神宮寺別当と大禰宜伊達紀伊守の二人が献上する。

  御精進供は神宮寺が献上する。

  三十三の灯明を用意する。

    御輿の角に御幣を付ける。

    厳島社に御幣を付ける。この四つの御幣の切替役は広田陸奥である。

    頭役の座に御幣を付ける。ただし紙七帖分は神宮寺が出す。

    鉾が下る。

  御神酒を献上する。

    五合 ただし代銭の銀は三つで割る。一つ分は神宮寺別当と大禰宜伊達紀伊

       の二人、一つ分は三太夫、一つ分は神楽番の四人が支払う。

   武塔社に御幣を付ける。切替役は広田陸奥である。

     ただし今度だけのこと。

   御輿を出すときの飾り。御輿番四人の役目である。

     ただし手が足り申さないときは、神宮寺から手伝いを出しますこと。

 一つ、武塔山の警固番屋は村人が設営し、十六日まで当番として詰める。

    ただし、十三日の夜から十五日の夜まで三夜分の灯油二合を遣わす。村人たち

    が調進すること。

 

  つづく

 

 「注釈」

「忌指榊」

 ─現在の七月一日忌串刺祭(いつみくしざし)に使用する榊。「忌を串で刺す」意の祭。口伝や「祇園社由来拾遺伝」に、「素盞嗚尊当村に入村の節、矢野村祇園水にて潔斎されたのが始まり」と述べている。「本日より例祭の終わるまで一切の忌・穢が無いように」との祈願の後、榊に御幣を付けた串を宮部部落に配布する。昔はこの串に使う榊は青近岩立山世羅郡甲山町)で採取するならわしで、祈願を込めた榊を左記の場所にうやうやしく建てる定になっていた。○本社鳥居前 ○武塔社鳥居前 ○西野村村境 ○宇賀村村境 ○戸張村村境 ○青近村村境 ただし、矢野村(上下町矢野)村境高足峠にはスサノオノミコト入来の道だから立てなかったと伝える。村境に忌の木を立て外部からの穢れを遮り、内部の不浄も慎んだ(『甲奴町誌』)。

 

「紙手切役」─榊に付ける紙垂を作る役目か。

 

「神前両人」─神宮寺別当と大禰宜伊達紀伊守の二人。

 

祇園井」

 ─祇園水という湧き水。(「須佐神社文書 参考史料1の2・5」の写真・地図参照)。