周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

須佐神社文書 参考史料2の3

   五〇 小童祇園社祭式歳中行事定書 その3

 

 一十四日

  御精進供  神宮寺ヨリ献

   早朝ヨリ諸方参詣之人々ヨリ御神楽献上ノ分三太夫引受之事

    但料物三ツ割ニシテ三人頂戴其内三分薦敷江遣事

           御鬮受 陸奥

  御幸御機嫌窺   太 鼓 形部

           舞   加賀

    宇賀村石見於拝殿ニ御祓献上

  御幸御行列左之通 先払警固人数

        神宮寺エ二人

        実 光エ二人

        陸 奥エ一人

        刑 部エ一人

        加 賀エ一人

        出 雲エ一人

        石 見エ一人

  於当社為祠官者長柄相用事天保六年乙未八月相定

  武塔社ヨリ御迎トシテ本社エ近藤出雲参(割書)「馬役長柄」

    但東方広椽ニテ拝礼之事、其時参詣之人々不作法無之様神前ヨリ手附エ申付取

    計候事

   此ヶ条故有て嘉永五壬子正月和談之上改而別ニ規定書有之仁附致割印置候事

  御神事吹囃シ甲奴郡矢野村ヨリ昼九ツ時打来

  御先鉾 比叡権現祢宜保蔵馬役

   但鉾附トシテ往古ハ木綿八尺苧三ツ十二枚ノ下リ致頂戴候由之処、当時木綿寄進

   無之ニ付近来ハ銭六分神前ゟ其代ニ相渡ス、木綿寄進有之者、相渡事

  御先掃   (割書)「厳島祢宜留十郎山王祢宜与兵衛」 馬役

   但両人共弓箭ヲ負並ヒ行

   御輿御旅所ニ着給時右両人左右ニ随入ル

  八幡宮金御幣 春日井八幡宮祢宜 馬役

   但禰宜役当時断絶ニ付長百姓周兵衛相勤申事

  同 御輿  春日井谷中氏子御供申

    御供  陶山加賀相勤 当時親子相勤居申ニ付差閊無之

               候得共若壱人ニ相成候得者此御

               供ハ雇社人致候事

  天王社金御幣  竜王祢宜 吟蔵 馬役

  同 御 輿   自他之氏子供奉

  御 太 刀   神子役伴次郎 馬役

  金 之 鉾   高山天神宮 祢宜新五郎 馬役

    御供 御当役周兵衛 馬役

    御供 妙見禰宜貞平 馬役

    御供 大祢宜伊達紀伊

      長柄長刀挟箱沓持牽馬

    御供 神主馬役神宮寺勤之

          但 馬計り

    御供 宇賀村信野石見正 馬役

            長柄挟箱

    御供 幣取広田陸奥正 馬役

            長柄挟箱

    御供 行列馬指役兼帯

       国宗田中形部 馬役

               挟箱

    御供 舞神子陶山加賀正

            長柄挟箱

  八王子金御幣 塩貝八王子 禰宜長七 馬役

  同  御 輿 塩見谷中氏子供奉

  御神事御旅所江甲奴郡矢野村渡拍子打入

    大御輿  自他之氏子供奉

      出御之時鉢之音楽於本社神宮寺行之

    金之鉾  婆利賽禰宜神宮寺ゟ出

     御供  別当神宮寺

           長柄 挟箱 牽馬 乗物

    的馬壱疋  庄屋ヨリ出ス

    的 受   高山谷中

      但的折敷三枚天神祢宜新五郎江下遣ス

   的馬清メ先年者陸奥相勤候由之処当時中絶

  御輿仮殿江鎮座以後御子舞

    大鼓  国宗形部

    神子    加賀

        御 受 陸奥

  御当神楽  大 鼓 形部

        舞   加賀

    此御当先年者宇賀村、戸張村、安田村、寺町村、青近村、本郷村、西野村等右

    村々ヨリ替々相勤居候処当時者宇賀青近当村此三ヶ村替々相勤当村エ当リ申時

    御神酒其外諸入用二ツ割ニシテ一ト分神前両人ヨリ一ト分三太夫ヨリ

 

                      南

                      ウカ

                       大和

                  加賀  青近

                  形部   実入

 当時御当座図       祢宜  陸奥  幣  ウカ

  先年之当座別ニ有  東 紀伊守    幣 幣  石見 西

  当時御幣計立置也            幣  青近

                          対馬

 

                      北

 

   つづく

 

*書き下し文は省略します。

 

 「解釈」

 一つ、十四日。

  御精進供を神宮寺から献上する。

   早朝よりあちこちから参詣した人々が、御神楽奉納の際に献上した精進供は、三

   太夫(広田陸奥・田中刑部・陶山加賀)が引き取ること。

    ただし、精進供は三分割にして、三人が頂戴する。そのうち三分(三%)は薦

    敷千吉へ遣わすこと。

  神幸の様子伺い。御神籤受け取りは広田陸奥。太鼓は田中刑部。舞は陶山加賀。

    宇賀村の信野石見が拝殿で御幣を献上する。

  神幸の御行列は左の通りである。先払い・警固の人数。

       神宮寺へ二人遣わす。本社禰宜実光へ二人遣わす。広田陸奥へ一人遣わ

       す。田中刑部へ一人遣わす。陶山加賀へ一人遣わす。武塔社神主近藤出

       雲へ一人遣わす。信野石見へ一人遣わす。

  当社の神職である者は長柄刀を用いることを、天保六年乙未(一八三五)八月に互

  いに決定した。

  武塔社からのお迎えとして、本社へ武塔社神主近藤出雲が参る。馬役と長柄刀を伴

  う。

    ただし東の広い縁側で拝礼すること。その時参詣の人々に無作法がないよう

    に、神前から下級の神職へ申し付け、取り計らいますこと。

   この条文は理由があって、嘉永五壬子(一八五二)正月に話し合ったうえで、改

   めて別に規定書を作成したので、割印を据えましたこと。

  御神事の吹囃子は、甲奴郡矢野村から昼九つ時に演奏しながらやってくる。

  御先鉾。比叡権現の禰宜保蔵が馬役である。

   ただし、鉾に付けるものとして、木綿八尺・苧麻三つ十二枚の下行分を頂戴する

   のですが、現在は木綿の寄進がないことにより、最近は銭六分を神前で木綿の代

   わりに渡す。木綿の寄進があれば、それを渡すこと。

  御先払い   厳島禰宜大前留十郎と山王禰宜与兵衛が馬役である。

   ただし、二人とも弓矢を背負い並んで行く。

   御輿が御旅所にお着きになったとき、二人は左右に別れて入る。

  八幡宮の金の御幣。春日井八幡宮禰宜が馬役である。

    ただし、禰宜役は現在断絶しているので、村役人の百姓周兵衛が勤め申し上げ

    ること。

  同八幡宮の御輿。春日井谷中の氏子がお供する。

    お供は陶山加賀が勤める。現在は親子でお供を勤めているので差し障りはない

    が、もし一人になるならば、このお供には本社の神職を雇うことになります。

  天王社の金の御幣。竜王禰宜吟蔵が馬役である。

  同天王社の御輿は、天王社やその他の氏子が供奉する。

  御太刀。神子役伴次郎が馬役である。

  金の鉾。高山天神宮の禰宜新五郎が馬役である。

    御供。御頭役周兵衛が馬役である。

    御供。妙見社禰宜貞平が馬役である。

    御供。本社大禰宜伊達紀伊守。長柄槍・長刀・挟箱・沓持・引馬を連れてい

       る。

    御供。神主の馬役は、神宮寺が勤める。ただし、馬だけ用意する。

    御供。宇賀村の信野石見正が馬役である。長柄槍と挟箱を持った御供を連れて

       いる。

    御供。幣取広田陸奥正が馬役である。長柄槍と挟箱を持った御供を連れてい

       る。

    御供。行列の馬指役を兼帯している国宗の田中刑部が馬役である。挟箱を御供

       に持たせている。

    御供。舞神子の陶山加賀正。長柄槍と挟箱を御供に持たせている。

  八王子の金の御幣。塩貝八王子社の禰宜長七が馬役である。

  同八王子の御輿は、塩貝谷中の氏子たちが御供する。

  御神事の御旅所へ、甲奴郡矢野村の村人が拍子を打ちながら入村する。

   大御輿は、自他の氏子たちがお供する。

    出御のとき、銅拍子による音楽を本社と神宮寺で演奏する。

   金の鉾は、頗梨采社の禰宜と神宮寺から出す。

    お供は神宮寺別当。長柄槍・挟箱・引馬・乗物を連れている。

    的馬一疋は庄屋から出す。

    的受けは高山谷中から出す。ただし、的を置く折敷三枚は高山天神禰宜新五郎

    へ下し遣わす。

   的馬の清め役は、何年か前は広田陸奥正が勤めていましたが、現在は中絶してい

   る。

  御輿を仮殿に鎮座させたのちに神子が舞を奉納する。

    大鼓は国宗田中刑部。神子は陶山加賀。

  御頭役による神楽奉納。御籤受は広田陸奥、大鼓は田中刑部、舞は陶山加賀。

    この頭役は、先年は宇賀村、戸張村、安田村、寺町村、青近村、本郷村、西野

    村等、右の村々が持ち回りで勤めておりましたが、現在は宇賀村・青近村・当

    村(宮部)の三村が持ち回りで勤めている。当村に当たり申したときは、御神

    酒その他の必要経費を二つに割って、一つ分を神宮寺別当と大禰宜伊達紀伊

    の二人が、もう一つ分を三太夫が支払う。

   (以下、御当座図は省略)

 

   つづく

 

 「注釈」

「三太夫」─広田陸奥・田中刑部・陶山加賀の三名を指す。おそらく、本社の神主(大

      禰宜)伊達紀伊守・禰宜実光の次にランクづけられる神職か、あるいは神

      楽の舞手や楽器の演奏者だと思われます。

「椽」─未詳。縁側のことか。

「手附」─未詳。下級の神職か。

「吹囃子」─現在の矢野神儀のことか。府中市上下町矢野の住人が奉仕する祭礼。素盞

      嗚尊が矢野村を通過し、祇園水を飲んで小童村へ入村した故事に由来する

      (須佐神社パンフレット「須佐神社文書紹介」の記事を参照)。

「馬役」─馬に乗って先導する役か。

「長柄」─長柄の槍か。

「挟箱」─近世の武家の公用の外出に際して必要な調度装身具を納めて従者に背負わせ

     た箱。挟竹にかわって用いられるようになった長方形の浅い箱で、ふたに棒

     を通してかつぐようにしたもの(『日本国語大辞典』)。

「沓持」─沓取・履取のこと。主人のくつを持ってその供をすること。また、その人。

     くつもち。ぞうりとり(『日本国語大辞典』)。

「牽馬」─引馬。貴人または大名などの外出の行列で、鞍覆(くらおおい)をかけて美

     しく飾り装飾として連れて行く馬(『日本国語大辞典』)。

「幣取」─未詳。「ぬさとり」か「へいとり」と読むのでしょうか。供え物を進上する

     役か。

「馬指」─江戸時代、宿駅で問屋、年寄などの下で人馬の用立て、指図をする役人。問

     屋と年季奉公雇用契約を結び、運輸業務の実際にたずさわって助郷馬士な

     どに権勢をふるった。

「塩見谷」─塩貝谷の誤記か。

「鉢」─銅拍子のことか。シンバルのような楽器。

「的馬」─未詳。六月一四日の祇園祭では、流鏑馬のような行事が行われていたのかも

     しれません。

「御受」─御鬮受のことか。籤の受け取り役。

「神前両人」─神宮寺別当と大禰宜伊達紀伊守の二人。

 

 

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今年2017年は、頗梨采女の鎮座する大御輿が作られてちょうど500年目の、メモリアルイヤーだそうです。

 

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還幸時の写真。武塔神社で出御を待つ大御輿。

 

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大御輿近影。キレイに塗り直されています。

 

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須佐神社の回廊も修繕されていました。

 

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須佐神社に戻ってきた大御輿。

 

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本社に鎮座する大御輿の近影。