解題
この神社は天承元年(一一三一)甲斐国から勧請したものと伝える。江戸時代には飯室村八幡宮と呼ばれている。戦国時代には飯室にある土井城主三須氏と深い関係にあり、引地直種は「郡中国郡志」によると三須氏の家老である。社家河野氏は天文二十年(一五五一)、甚五左衛門が熊谷有直より神主を仰せつけられてからその職を相伝しているという。
御神田
(安北郡)
一田三百目 宇津
一田貳百目 市之奥
一田貳百目 引地之前
一田貳百目 たかとり
したちより
一田百目 こふけ
合壹貫目之辻
(1589) 引地宗左衛門尉
天正十七年七月五日 直種(花押)
河野弥太郎殿
*書き下し文・解釈は省略しました。
「注釈」
「飯室八幡宮」─土井泉神社のこと。安佐北区安佐町飯室土居。鈴張川の東の山際、旧
庄原街道の東側に鎮座し、品陀別尊を主神に祀る。旧村社。天承元年
(一一三一)甲斐国から勧請したと伝え、中世には太田川沿いの宇津
にあって飯室八幡宮と称したが、土居城主退転後に社殿を現在地へ移
した。社蔵の天正一七年(一五八九)七月五日付の神田注文は、土居
城主三須氏の家老引地直種が、神主河野弥太郎に宛てたもので、「宇
津・市之奥・引地之前・たかとり・こふけ」などの地名がみえる。同
一九年一二月一四日の杉原次郎左衛門尉井尻又右衛門尉連署預ケ状
(社蔵)には、当社の神事として八月放生会・よころまつり・九月九
日流鏑馬が記されている。
「辻」─合計(『日本国語大辞典』)。