一三 光珍請文
三たの(正覚) (道)
しやうかく寺の御事ハ、代々申をかるゝしたい候によて、入たうのしやうかく寺をと
(坊主) (仰)
りたて申候、代々はうすのをほせおかれて候ハん寺しきの事、いけいきにおよひ候
(周防守) (文書)
はゝ、御そうりやうすハうのかミかたに、かの所のもんしよあるへく候間、代々御た
つね候へく候、
(罰)
一仏神の御はちかふりするにわたくしなく候、このよし御申候へく候、
珎
二月十五日 光久(花押)
「書き下し文」(必要に応じて漢字仮名交じりにしました)
三田の正覚寺の御事は、代々申し置かるる次第候ふによて、入道の正覚寺を取り立て
申し候ふ、代々坊主の仰せ置かれて候はん寺式の事、いけいきに及び候はば、御惣領
周防守方に、彼の所の文書有るべく候ふ間、代々御尋ね候ふべく候ふ、
一つ、仏神の御罰蒙りするに私なく候ふ、此の由御申し候ふべく候ふ、
二月十五日 光珎(花押)
「解釈」
三田の正覚寺のことは、代々申し残されてきた由緒があることによりまして、入道が正覚寺を引き立て申し上げました。代々の住職がご遺言になりました寺の規式のことは、「いけいき」に及びますならば、惣領周防守方にこの寺の文書があるはずですので、代々お尋ねになるとよいです。
一つ、私心なく仏神の御罰を蒙ります。このことを申し上げなさるべきです。
「注釈」
「いけいき」─未詳。正覚寺の規則を記した文書が破損する、といった意味か。
「入道」─未詳。
「御惣領周防守」─未詳。厳島社神主か。正覚寺の文書は、この周防守宅で保管されて
いたようです。