解題
この寺は宝徳三年(一四五一)の開基で、初め西泉坊と称していたが、慶長のころ再建され、次号を円立寺と改めたという。山県郡の真宗寺院では最も古い由緒を持っており、江戸時代には郡内真宗寺院の中枢的立場にあった。ここにおさめる文書は、戦国時代における当時とこの地を支配した武将との交流を示すものである。
一 小坂越中守書状
御方屋敷之儀被レ申候、似合之所、普請被二申付一候ハ丶、引渡候、遣可レ申候、
恐々謹言、
(小坂越中守)
九月廿八日 少越(花押)
(捻封ウハ書)
「 善妙 より
まいる 少 」
「書き下し文」
御方屋敷の儀申され候ふ、似合ひの所、普請申し付けられ候はば、引き渡し候ひ、遣
はし申すべく候ふ、恐々謹言、
「解釈」
あなた様は屋敷の件について申し上げなさいました。適切な場所の普請を申し付けられますなら、引き渡しまして遣わし申し上げるつもりです。以上、謹んで申し上げます。