解題
都志見(山県郡豊平町)の香川氏は、佐東郡八木(広島市佐東町)城主の香川氏と同族で、鎌倉権五郎景政を祖とする。経高が相模国香川庄をえてから香川を称するようになった。その後、承久の変における戦功によって、経景が八木村、義景が戸谷村を得、同地の松尾山城に拠っていたという。江戸時代に帰農してから長笹村に、ついで都志見村に移ったものである。
一 大内義隆感状(切紙)
就二備州動之儀一、⬜︎上六郎左衛門尉之處、則令二出張馳走一之由候、神妙候、重而
隨二一左右一可二相動一候也、恐々謹言、
六月十六日 義隆(花押)
香川五郎殿
「書き下し文」
備州の動きの儀に就き、⬜︎上六郎左衛門尉の處、則ち出張・馳走せしむるの由に候
ふ、神妙に候ふ、重ねて一左右に隨ひ相動くべく候ふなり、恐々謹言、
「解釈」
備州での働きの件について、⬜︎上六郎左衛門尉はすぐに出向き奔走しました。感心なことです。今後もこちらからの知らせに従い、働くべきであります。以上、謹んで申し上げます。
「注釈」
「⬜︎上六郎左衛門尉」─未詳。