周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

西村治雄氏所蔵文書1

解題

 山県郡穴村(加計町)の地は古くは佐伯郡に属していた。この地の小田氏は源頼政の二男山県先生国政の後といい、国政は美濃国山県郡を経て、治承四年(一一八〇)安芸国豊田郡へ来住し、後に穴村へ移ったという。

 西村氏は小田氏の女が嫁したことから親戚関係を生じたものである。

 

 

   一 瀧原名打渡坪付寫

    打渡    瀧原名

 一田壹町壹段 (割書)「上六反半中四段半」   名主分

 一田八段 (割書)「上七段大中小」      四郎兵衛尉

 一田貳段                彦左衛門

 一田参段大               孫九郎

 一田参段                与三郎

 一田壹段小               神 田

  合貳町九段 分銭四拾九貫八百文并大豆三斗

                  ミそ代

        茶四斤 柒沢三ツ此外   貳段半

 一田貳段 上壹段 屋敷在之

      中壹段 山河在之 野井袮原之内

     (1577)

     天正五年三月十二日     山 城 守判

                 (森脇春親

                   大 蔵 丞判

                 (二宮)

                   筑 後 守判

                 (森脇春忠)

                   宗兵衛尉判

         小田浄空入道殿

         小田次郎左衛門殿

 

*書き下し文・解釈は省略します。

 

 「注釈」

「上・中」─「田品」。田地の等級、単位面積当たりの生産高に応じた区分で、「延喜

      式」に「上田五百束、中田四百束、下田三百束、下下田百五十束」とある

      (『古文書古記録語辞典』)。