周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

西村治雄氏所蔵文書2(完)

   二 安藝国佐西郡寺田村打渡坪付寫

 

    神領寺田村之内   (割書)「打渡坪付」

 おき田

  田四反    米貳石五斗       惣兵衛

 きしの下

  田貳反    米壹石四斗       同 人

 よこたけ    (米)

  田壹反小   ⬜︎九斗         同 人

 にし      (米)

  田貳反    ⬜︎壹石六斗       同 人

 同所

  田貳反小   米壹石七斗       同 人

 ミソはさミ

  田半     米四斗         弥 六

 いやのくほ

  田壹反六十歩 米三斗五升       同 人

 同所

  田壹反    米三斗二升       同 人

 同所

  田四反    米壹石三斗       同 人

 ほりこし

  田半     米壹斗六升       同 人

 河かしら

  田壱反大   米五斗         神 六

 迫くち

  田壹反小   米五斗三升       同 人

     田數貳町壹反三百歩

    合

     米拾壹石六斗六升

 下北原

  畠貳反小   代三百卅貳文      神 六

 ほりこし

  畠六十歩   代廿四文        同 人

 にし

  屋軄     壹所          惣兵衛

 下にし

  屋軄     小           神 六

  屋敷     一

     以上

    并而米拾貳石壹升六合 矢銭共ニ

     (1591)

     天正十九年十二月十四日   越 中 守判

                   神左衛門判

            小田次郎左衛門殿

 

*書き下し文・解釈は省略します。

 

 「注釈」

「寺田村」─広島市佐伯区五日市町寺田・八幡ヶ丘・八幡ヶ丘二─三丁目。極楽寺山東

      麓にあり、河内川を隔てて利松村と相対する。西方は低い山地で、三方に

      開けた平地に集落が展開。村名について「芸藩通志」は廃山入寺の項で

      「古は大寺にて、此村を領せし故、寺田といへるにや」と記す。中世の山

      陽道は、沼田郡伴(現広島市安佐南区)から石内を経て当地を通過してい

      たと考えられ、当地には塚松があったという(石内村の「国郡志下調書出

      帳」)。嘉禎四年(一二三八)四月十七日付の伊都岐島社廻廊員数注進状

      案(新出厳島文書)に「保井田 川内 寺田一間」と見える。天文二十三

      年(一五五四)八月五日付毛利元就同隆元連署判物(「閥閲録」所収熊谷

      帯刀家文書)に「石道本城分九十貫文之事 三宅寺田ニ替候て進置候」と

      あり、天文頃は毛利氏家臣熊谷信直の給知であった。天正十九年(一五九

      一)十二月十四日付の佐西郡寺田村打渡坪付写(西村治雄氏蔵)に「神領

      寺田村」とあり、田数二町四反余、一二・〇一六石が小田次郎左衛門の給

      知となっている(『広島県の地名』)。