周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

田中文書2

    二 豊臣氏奉行人連署書状(切紙)

 

 従 関白様之御使丹羽五平次殿歸朝候、人數拾九人小荷駄壹疋さきゝゝ送之

 儀、被御念使夫ニ可御申付候、五平次殿乗馬并小荷駄等之儀、

 さきゝゝの城迄、御馳走肝要候、恐々謹言、

                 増田右衛門尉

      二月二日          長盛(花押)

                 大谷刑部少輔

                    吉継(花押)

                 石田治部少輔

                    三成(花押)

           (丞)

      伊藤民部大⬜︎殿

 

 「書き下し文」

 関白様の御使丹羽五平次殿帰朝し候ふにより、人数拾九人・小荷駄壱疋さきざき送る

 の儀、御念を入れられ使夫に御申付有るべく候ふ、五平次殿乗馬并に小荷駄等の儀、

 さきざきの城まで御馳走肝要に候ふ、恐々謹言、

 

 「解釈」

 関白豊臣秀次様の御使者丹羽五平次殿が帰朝しますことにより、人数十九人・小荷駄一疋を前もって送り届ける件について、よくご注意になって、人夫にお申し付けにならなければなりません。五平次殿の乗る馬や小荷駄などのことは、立ち寄る予定の先々の城までお世話なさることが大切です。以上、謹んで申し上げます。

 

 「注釈」

「関白様」─豊臣秀次

「丹羽五平次」─未詳。

「伊藤民部大丞」─伊東祐兵。日向飫肥を領する大名(中野等『石田三成伝』吉川弘文

         館、二〇一六)。

 

*この史料は、中野等『石田三成伝』(吉川弘文館、2016、P189〜190)で分析されています。以下は、その引用です。

 豊臣秀次の使者丹羽五平次は、朝鮮に出兵していた諸将を労うために挑戦に派遣されていたが、二月上旬に日本に帰還することになり、石田三成増田長盛大谷吉継の三奉行が諸々を指示し、帰途の便宜を図っている。

 (解釈)関白秀次様の御使者丹羽五平次殿の御帰りに際し、人数一九人・小荷駄一疋を帰途入念に送り届けられるように命令があると思います。五平次殿、乗馬ならびに小荷駄などを先々の城までお世話いただくことが肝要です。

 充所の伊藤祐兵(民部大輔)は日向飫肥を領する大名で、三奉行の立場で直接に指示を出せるものではない。おそらく宇喜多秀家あたりが「申し付ける」のであろう。したがって、この連署状は副状の位置づけになり、帰還に従う人数や小荷駄の数などの詳細を伝える意味合いがあったと判断される。