周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

自死の中世史 〜はじめに〜

 「数年前だったか、新聞紙上で、大宅映子さんのこんな行文にふれた。『死ぬとわかっていて、なぜ人間は生きてゆけるのか』、そういう根源的な問いに答えを出していくのが文学部というところだという、ある大学での講演のくだりである。」

  鷲田清一「死なないでいる理由」

   (『死なないでいる理由』角川ソフィア文庫、2011、初出2008)

 

 数十年前に文学部というところ卒業した私に、このくだりはとても新鮮かつ強烈なインパクトを与えました。文学部にはそんな役割があったのか…。たしかに、文学部以外にこんな問題を扱える学部は存在しません。

 学生時代には考えもしなかったことですし、当時この言葉を聞いていたところで、心に響きはしなかったでしょう。人生も折り返し地点を過ぎてしまった今だからこそ、心に染み渡る言葉だと考えるようになったのかもしれません。

 

 私は大学で歴史の勉強をしました。勉強すること自体は、とても楽しいことでしたが、ただ、いつも考えていました。いったい何のために私は歴史を勉強をしているのか、歴史の研究はいったい何の役に立つのか、と。簡単に言えば、研究の社会的意義や目的は何か、ということです。

 結局、その答えを見つけることができないまま卒業してしまいました。私には、内から湧き上がるような問題関心がなかったのです。先行研究を読みながら研究史上の論点を探すこと、史料を解釈し、それを操作して、課題を解決すること。それだけでした。私は、こうした作業を社会的意義や目的と結びつけることができないばかりか、最後まで「私」個人の課題にすることもできませんでした。研究史上の論点は、歴史学という学問上の問題であり、社会にも「私」にも、どこか関係のないもののように思っていたわけです。

 

 よくもわるくも、年齢を重ねるとさまざまな経験をします。そして、自分の最期も見つめるようになります。他者の死をいくつも経験したからでしょうか、それとも絶望をいくつも経験したからでしょうか、次第に自己の死にも関心が芽生えはじめました。これが、内から湧き上がる問題関心なのでしょう。文学部に通っていた経験を生かすときが来ました。

 「死」は誰にでも訪れるものです。どの社会にもあるものですし、いつの時代にもありました。そして、これからもあり続けます。「死」がなくなることはありません。ただ、「死」という現象は、言葉で説明されるものです。言葉から離れて「死」を認識することはできません。言葉は歴史的・社会的に形成されるものですから、「死」の観念も時代や社会に特有なものがあるのではないでしょうか。

 死を追究することの社会的な意義や目的など、研究者でもない私にはもはやどうでもよいことです。ただ、自分のなかには初めて生まれた問題関心にしたがって、中世人たちが死について何を考えていたのかを調べていこうと思います。

 

 さて、「死」とはいっても、さまざまな論点があります。私はそのなかでも、「自死・自殺」に関する史料を紹介していこうと思います。こうした問題に関心を抱いたきっかけは、モーリス・パンゲ『自死の日本史』(竹内信夫役、講談社学術文庫、2011、初出1986筑摩書房)を読んだことです。この本を手に取った当時、いろいろと思い悩む日々を送っていましたが、おかげで「自死」を客観的に見つめるよいきっかけになりました。

 この著書では、さまざまな事例が分析され、自死の要因や背景、影響などが明らかにされており、目から鱗が落ちる思いがしました。ただ、分析された史料のほとんどは文学作品でした。文学作品のすべてがフィクションであり、現実を反映したものでないとは言い切れませんが、古文書や古記録に記された史実としての自死を分析したら、何か違うものが見えてくるのではないかと思うようになりました。ひょっとしたら、何も見えないかもしれません。それも、どうでもよいことです。とにかく、史料を集めてみよう、解釈してみよう、しっかりと自分の頭で考えてみよう、と思っています。

 

 

 「真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである。」

  アルベール・カミュ「不条理と自殺」

   (清水徹訳『シーシュポスの神話』所収、新潮文庫、2013、初出1969)

 

 人間には必ず死が訪れる。それも、いつ死ぬのか誰にもわからない。にもかかわらず、なぜ今、自ら命を絶つのか。一見すると単純な問題に思われ、それでいて明確に説明ができない。こういう問題をライフワークとして、「体力」ならぬ「脳力」が続く限り考えてみようと思います。

 大それたことは言えようはずもありません。おそらく、単なる史料紹介の連続になるのだろうと思いますが、スルメを味わうかのように、1つの史料に沈潜しながら、読み取れること、考えられることを書き記していこうと思います。

 

 ところで、いったい何を明らかにしたら、自死を理解したことになるのでしょうか。自死に関する問題関心といえば、まず自死の要因ということになると思います。現代では、内閣府が中心となって調査・研究が行われており、その要因を「家庭問題」・「健康問題」・「経済・生活問題」・「勤務問題」・「男女問題」・「学校問題」・「その他」・「不詳」に分類しています(注1)。では、過去の歴史においても、似たような要因によって自死を遂げたのでしょうか。社会状況が異なるなかで、過去の人間がどのような要因によって自死を遂げたのか。まずは、その事例を集めていこうと思います。

 ただし、注意しておかなければならないのは、明らかになった自死要因も、蓋然性が高いだけではないかという点です。究極的には、自死要因は自死を遂げた人にしかわからないのかもしれません。自死要因を判断するには、自死既遂者の遺書や、その人に関わっていた周囲の人々の証言に依らなければなりませんが、それらにどこまで証拠能力をもたせてよいのか、なかなか難しいところです。

 その一方で、自死既遂者に、自己の自死要因が本当にわかっていたのかどうか、ということもはっきりしません。はっきりとした意識をもち、自死要因を認識しながら自死に及んだのでしょうか。結局のところ、その要因は確実なものではなく、推論でしかないということになりますが、それでもその推論を積み重ね、批判をすることでしか、自死を明らかにすることはできないと思います。

 大きな成果を期待せず、まずは書き進めてみようと思います。

 

 

 【注釈】

1、『自殺の経済社会的要因に関する調査研究報告書』(平成17年度内閣府経済社会総合研究所委託調査、京都大学、2006・3、http://www.esri.go.jp/jp/prj/hou/hou018/hou018.htmlhttp://www.esri.go.jp/jp/prj/hou/hou018/hou18.pdf)。

 

 【追記

① なるべく年次で史料は紹介していく予定ですが、新しい史料が見つかれば、その都度

 掲載していきます。

② 史料は古文書・古記録を中心に掲載していきますが、興味深いものがあれば文学作品

 でも紹介していきます。

自死・自殺については、さまざまな分野でかなりの研究が蓄積されています。史料を

 解釈するときに参考にしたものは、適宜紹介していきます。

④ 書きためていくうちに、解釈や考え方が変わる可能性もあります。そのときは随時記

 事内容を変更していきます。

⑤ 史料の検索には、以下のデータベースを利用しました。

 東京大学史料編纂所データベース http://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/

 東寺百合文書WEB http://hyakugo.kyoto.jp

 国際日本文化研究センターデータベース http://db.nichibun.ac.jp/ja/

 国文学研究資料館古典選集本文データベース http://base1.nijl.ac.jp/~selectionfulltext/