周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

自死の中世史 8 ─日本の古代6─

 弘仁七年(八一六)八月二十三日条

        (森田悌日本後紀(下)』巻二十五、講談社学術文庫、2007)

 

 ◯丙辰、公卿奏言、上総国夷灊郡、官物所焼、准穎五十七万九百束、正倉六十

  宇、刑部省罪言、検焼損使散位正六位上大中臣朝臣井作等申、税長久米部

  当人、臨失火時、逃亡自殺、推量意況、豈無犯、忽自引乎、可

  謂当人侵盗官物、謀而放火上レ者、省案律、当人所犯、罪当絞刑

  而其身自殺、仍更不論、但新任守小野朝臣真野・介茨田宿禰文足等、就

  日浅、此火之起、不不粛、仍案延暦五年八月七日格、不神災・

  人火、令当時国司・郡司及税長等、一物已上、依数塡備、然則実雖

  神災、猶令当時公廨塡納、蓋以公廨之設、本為欠負故也、須在任

  国司・郡司及税長等、共塡備之者、省断如此、臣等尋検法意、外從五位

  下守大判事物部中原宿禰敏久曰、法家者、如此事類、禁得其身、則自備償、

  若資財乏尽、役身相折、然而不五歳、年限既満、贓物未塡、即従

  原免、斯則公家有損無益、是以延暦五年格、令神災・人火、以

  当時公廨上レ之、良由負之設在後人也、前人去職、不更追咎者、

  官議商量、事不穏便、所以者何、格云、正倉被燒、未必由一レ神、何者、

  譜第之徒、害傍人而相焼、監主之司、避虚納以放火、因茲観之、格之

  大体、責帰虚納也、又選用郡司、前人之所行、後司乍到、雜務未分、

  雖印鎰、交替未畢、在於此間、会逢失火、前司寄言去一レ職、

  専避其咎、新任則交替当時、独以労塡、夫虚納者旧時之怠也、公廨者後司之

  料也、有怠則黙然免罪責、無怠則毎年奪料物、以怠之料、備

  有怠之損、事之為緒、不物情、今臣等商量、事有大小、政有

  閑忙、是以分付・受領、既立程期、今前司全成雖職、是収納之当時

  也、後任真野雖印鎰、而見災之当時也、験格意、則疑渉虚納

  何者、行火自殺、責以塡備、則不不粛、何者、到任日浅、凡交替

  之事、限内未畢、則宜其由、縦令無故過百廿日、然後火起、則後任

  官司、更無遁、而就任以降、十有余日、歴任不幾、至于独填、誰甘

  心前怠後責、伏聞天裁者、奏可、

 

*「蓋以公廨之設」の返り点を、「蓋以公廨之設」に改めました。

 

 

 「書き下し文」

       (現代語訳を参考に作ってみましたが、まったくわかりませんでした)

 

 ◯丙辰、公卿奏言す、上総国夷灊郡に、官物焼く所、穎に准じ五十七万九百束、正倉六十宇なり、刑部省罪を断じて言はく、検焼損使散位正六位上大中臣朝臣井作等申すに、税長久米部当人、失火の時に臨み、逃亡し自殺す、意況を推量するに、豈に犯す所無くして、忽ち自引せんや、当人官物を侵し盗み、謀りて放火すと謂ふべしてへり、省律を案ずるに、当人の犯す所、罪絞刑に当たる、而れども其の身自殺す、仍て更に論ぜず、但し新任の守小野朝臣真野・介茨田宿禰文足ら、政に就きて日浅し、此の火の起こり、不粛に縁らず、仍て延暦五年八月七日の格を案ずるに、神災・人火を問はず、当時の国司・郡司及税長らをして、一物已上、数に依り塡備せしむ、然れば則ち神災と雖も、猶ほ実に当時の公廨をもつて塡納せしむ、蓋し公廨の設けを以て、本の欠負と為す故なり、須らく在任の国司・郡司及税長ら、共に之を塡備すてへり、省断此くのごとし、臣ら法意を尋ね検ずるに、外從五位下守大判事物部中原宿禰敏久曰く、法家は、此くのごとき事類、其の身を禁得せば、則ち自ら備償し、若し資財乏尽せば、身を役し相折せしむ、然れども五歳を過ぐるを得ずして、年限既に満つるとき、贓物未だ塡ぜざるも、即ち原免に従ふ、斯れ則ち公家に損有りて益無し、是を以て延暦五年格に、神災・人火を論ぜず、当時の公廨を以て之を塡ぜしむ、良に負の設け後人に在るに由るなり、前人職を去らば、更に追つて咎めずてへり、官議して商量するに、事穏便ならず、所以は何ぞや、格に云く、正倉焼かるるは、未だ必ずしも神に由らず、何となれば、譜第の徒、傍人を害して相焼き、監主の司、虚納を避け以て放火す、茲れに因り之を観るに、格の大体、責めは虚納に帰するなり、又郡司を選用するは、前人の行ふ所、後司は到りながら、雑務未だ分かたず、印鎰を領すと雖も、交代未だ畢らず、此の間に在り、たまたま失火に逢ふ、前司言職を去るに寄せて、専ら其の咎を避く、新任則ち交替の当時、独り以て塡に労す、夫れ虚納は旧時の怠りなり、公廨は後司の料なり、怠り有れども則ち黙然として罪責を免ぜられ、怠り無けれども則ち毎年料物を奪はる、怠り無きの料を以て、怠り有るの損に備ふは、事の緒として、物情に近からず、今臣ら商量するに、事に大小有り、政に閑忙有り、是を以て分け付け・受領す、既に程期を立て、今前司全成職を去ると雖も、是れ収納の当時なり、後任の真野印鎰を領すと雖も、見災の当時なり、格の意を験ずるに、則ち疑ひ虚納に渉わる、何となれば、行火し自殺す、責むるに塡備を以てすとも、則ち不粛に縁らず、何となれば、任に到り日浅し、凡そ交替の事、限内未だ畢らずんば、則ち宜しく其の由を言ふべし、縦へ故無く百二十日を過ぎ、然る後火起くれば、則ち後任の官司、更に遁るる所無し、而れども任に就きて以降、十有余日、歴任幾ばくならず、独塡に至らば、誰か前怠後責を甘心せんや、伏して天裁を聞く、てへれば奏可す、

 

 「解釈」(前掲森田悌日本後紀(下)』より引用)

◯丙辰(二十三日) 公卿が次のように奏上した。

 上総国夷灊郡の焼失した官有物は穎に換算して五十七万九百束になり、正倉六十棟を焼きました。この件について刑部省の判断は、「検焼損使散位正六位上大中臣朝臣井作らの報告は『税長久米部当人は失火時に逃亡して自殺しました。その心理を推測しますに、無罪だとすれば、どうしてすぐに自殺しましょうか。当人が官物を盗み、隠すために放火したに違いありません』ということでした。これに基づき刑部省で律(雑律)を検討しましたところ、当人の罪は絞刑に当たりますが、自殺してしまいましたので、追及することはできません。新任の守小野朝臣真野と介茨田宿禰文足らは着任して日が浅く、このたびの出火に責任はありませんが、延暦五年八月七日の格(『続日本紀延暦五年八月甲子条)によれば、神火(神異による出火)・人火(人の放火)を問わず、当時の国司・郡司・税長らに火損の塡償をさせよとありますから、たとえ神火であっても国司の公廨をもって塡納させることになります。元来、公廨は欠負を補塡するためのものだからです。これにより現任の国司・郡司・税長らが共同して火損を塡備すべきです」ということでした。

 ここで私たちが法意を調べてみますに、外従五位下守大判事物部中原宿禰敏久は「法律家は、このような事案に関しては、犯人の身柄を拘束できれば、犯人に弁償させることになり、資財が尽きたときは使役して返済させることになります。ただし、五年が限度で、その年限に達したときは塡償が終了しなくても放免することになります。しかし、これでは朝廷にとり不利となりますので、延暦五年格では神火・人火を問わず現任の者に公廨をもって塡償させることにしたのです。まことに欠負を補塡する責任は後任の者にあり、前任が職を去れば責任は追及されません」という見解を述べましたが、私たちが検討しますに、この見解は穏当ではありません。格では、正倉の焼失は必ずしも神火ではなく、郡司をめざす譜第の徒(郡司を出す家柄の者)が現任の解任を図って放火したり、正倉を管理する役人(国司・郡司・税長)が虚納を隠蔽するために着火していると指摘しています。そして、大方の認識としては、虚納を契機と見ています。

 また、郡司を任用したのは前司であり、後任は着任しても任務に就かず、印鎰(国印と鍵)を受領しても交替の事務は完了しておらず、この間に今回の失火が出来したのでした。前任者は離任にこと寄せて責任を逃れ、新任者は現在ということで塡償に苦労する事態となっています。虚納は前任のときのことなのに、後司の公廨で塡償するということであり、怠りのある前司は罪責を許され、怠りのない新任は俸料を奪われる始末になります。怠りのない者の俸料により、怠りのある者の損失を塡償するということは、事の次第としてあるべきあり方とは異なっています。

 いま私たちが考えますに、何かにつけ事には大小があり、政務には閑忙があり、適切な処置をすることが必要です。国司の事務引き継ぎでは期限(百二十日)を定めていますが、今回の事件では、前司多治比全成が離任したのは収納時であり、後任小野真野が印鎰を受領した段階で火災となったのでした。先の格意を踏まえれば、虚納が契機となっている疑いがあります。理由は放火して自殺したと見られるからです。後任に塡償させるにしても、不粛の責任は問えません。着任して日が浅いからです。交替引き継ぎでは、日限のうちに完了しないときは、その理由を言上することになっています。仮に特別の理由がないのに程限百二十日を経過したのちの出火ならば、後任は責任を逃れることができませんが、今回は十余日後のことでわずかな日数でしかなく、後任の責任で塡償するとなれば、いったい誰が甘んじることができましょうか。伏して、勅裁を仰ぐしだいです。天皇は奏上を裁可した。

 

 「注釈」

 今回も、『日本後紀』からの紹介です。長い紹介になりましたが、ここでは、放火犯とされた久米部当人(くめべのまさひと)の自殺を検討してみます。

 上総国夷灊(いしみ)郡で火災が起こり、官有物の稲穂が焼失するという事件が起こりました。検焼損使大中臣朝臣井作(いつくり)らの報告によると、租の収納・保管に当たっていた久米部当人は、失火時に逃亡し、自殺したそうです。

 興味深いのはこの後の表記です。第三者である検焼損使は、自死を遂げた久米部当人の心理を推測し、「無罪であれば、すぐに自殺などしない。久米部が官物を盗み、その隠蔽のために放火したのだ」と考えていたことがわかります。つまり、「放火・自殺」という結果から、「官物横領・隠蔽」という原因を推測したことになります。そして、この報告をもとに刑部省は、久米部の罪は絞首刑に当たるが、自殺したのでこれ以上追及することはできないとし、新任の国司・郡司・税長らに、焼失した官物の補塡を命じる判断を下しているのです。

 では、検焼損使の心理分析は、本当に妥当だったのでしょうか。この記事には、延暦五年(七八六)八月七日の格がたびたび引き合いに出されているのですが、それによると、正倉の焼失は、郡司を出す家柄の者が現任(新任)郡司の解職を目論んだり、正倉を管理する役人が虚納の隠蔽を謀ったりしたための結果と見なしているのです。この格が、刑部省の役人や法律家中原敏久、今回の奏上者である公卿たちにも、判断の根拠として引用されていることを踏まえると、格の存在を検焼損使が知らなかったとは考えられません。おそらく、検焼損使の頭には、正倉を管理んする役人こそが放火犯であるという先入観があり、加えて久米部が自殺したのだから、犯人に間違いないと確信したのではないでしょうか。純粋に久米部の心理を推測したとは言えない、と考えられます。

 検焼損使の心理分析には、もう一つ大きな問題があります。「放火」という行為・手段と「横領・隠蔽」という目的を結びつけた理屈は納得できるのですが、なぜ「自殺」という行為・手段と「横領・隠蔽」という目的を結びつけたのでしょうか。横領を隠蔽するために放火したというロジックは理解できますが、自殺してしまっては、隠蔽の意味がありません。生きてこそ隠す意味があるはずです。今回の事件は税長久米部の単独犯ではなく、国司・郡司も共犯であり、罪を久米部になすりつけて殺害したと推測することもできそうですが、ここで問題としたいのは、あくまで生きている人間の「自死」と「犯罪」の結びつけ方です。私は、次の点が重要だと考えています。

 犯罪には、それに応じた量刑が科されます。今回の場合、仮に久米部が自殺せずに生きており、なおかつ罪が確定したならば、絞首刑に処されたはずです。反対に、無罪が確定すれば、絞首刑になることはなく、焼失した官物を補償する以上の責任は及びません。しかも、国司・郡司・税長の共同補償になるので、一人で負担するのでもありません。したがって、自殺する必要はなくなるわけです。つまり、自殺したということは、罪を認めたということになる。これが、検焼損使の論理だったのではないでしょうか。「日本の古代3・4」でも同様のことを述べましたが、「死刑を予期した犯人は、自死を選択する可能性がある」という観念が、当該社会に広まっていたと考えられます。

 

 余談になりますが、今回の記事の論点は、焼失した官物の補塡を、前任者の責任とするか、新任(後任)者の責任にするか、というところでした。3・4段落の解釈からも明らかなように、後任者は就任して間もないため、責任を負わせるのは不適切だ、と公卿たちは考えたのです。そして、その主張を補強し、前任の国司・郡司に補償をさせるためには、根拠の一つとして、前任の税長久米部を犯人にしなければならなかったと考えられます。

 

*直木孝次郎「税長について」(『大阪市立大学大学院文学研究科紀要 人文研究』、

 9─11、1958・10、http://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/il/meta_pub/detail

 を参照しました。