周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

自死の中世史 13 ─古代史のまとめ─

 ここまで古代の自死史料を9点紹介してきました。この他にもまだまだ史料はありますが、それは「自死の中世史10 古代史の研究紹介」で紹介した、鈴木英鷹氏の論文(注)の事例リストをご覧いただくとして、ひとまず考えたことをまとめてみようと思います。

 

 『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』の自死史料を検討した鈴木氏の論文を見ただけでも、古代の日本人がさまざまな理由・方法で自死を遂げていることがわかります。とくに注目されるのが、「古代人は、世のため、人のために自殺する」という指摘です。私の紹介した事例でいえば、「日本の古代1」に当たりますが、鈴木氏はこれを古代日本の風習であったと結論づけられています。ただ、なぜ自分の命を捨ててまで他人の命を救うのか、という問題は残されたままです。自分の命を軽く見ているような気もしますし、逆にかけがえのない重い命だからこそ捨てる価値があると考えているような気もします。命は自分のものでありながら、他人や社会・国家のものでもある、と考えていたのでしょうか。もしそうであるなら、当時の社会は、集団的な結びつきが相当に緊密であった、と考えられます。そうでなければ、他人のために命を捧げるといった行為に踏み切ることはないでしょう。集団化しなければ個々人が生きていけない、個の命よりも集団の存続を願う。そんな社会だったのかもしれません。個人が先に立ち、個人の集合体が社会だとみなす現代では、なかなか考えられない自死要因かもしれません。

 その一方で、「世のため、人のため」ではない、いわば自己のための自殺も、それ以上に多くの事例があります。私の紹介した事例の多くも、自己のための自殺ということになります。ただその要因はさまざまなのですが、多くの場合、「自身の死(戦死や処刑)が予期されたときに自死を遂げる」と言えそうです。ではなぜ、自身の死が予期されると、自死を遂げるのか。この問題は永遠に解けないのかもしれません。なぜなら、私たちは自身の死が予期されたときに、自死を遂げた人間ではないからです。現代の事例でいえば、不治の病による身体的・精神的苦痛を理由とした自殺に近いかもしれません。苦痛から逃避するためには、自ら命を絶つしかない。言葉にしてしまえば簡単ですし、わかった気になってしまいますが、本当にそれだけなのでしょうか。何か大切なものを見逃していないか不安です。

 

 話が逸れたので、もとに戻します。「自身の死が予期されたときに自死を遂げる」ことについて、「日本の古代史3」では長屋王の事例を紹介しました。ただし、これは説話(『日本霊異記』)であるため史実ではありませんでした。しかし、著者の景戒が長屋王に語らせた心理描写は注目に値します。「なせる罪もなく捕らえられる。捕らえられたら必ず殺されるだろう。他人の手で殺されるよりは自殺したほうがましだ」。無実の罪で捕らえられそうになっている人間が、捕らえられて処刑されることを嫌い、自死を選択するという考え方は、当時、間違いなく存在していました。ですが、これも謎です。この心理は、いったいどこから生まれてきた考え方なのでしょうか。そもそも、他人に殺されることを望む人はいないでしょう。他人に殺されることが予期されたなら、まずは逃亡や抵抗を考えるはずです。さらに追い詰められ、どうしようもなくなった場合、諦めるのではなく、なぜ自死を選択するのでしょうか。

 反対に、「自殺するよりは、他人の手で殺されるほうがましだ」という考え方は、当時存在しなかったのでしょうか。かりに存在していたとしても、当たり前すぎて書き残すに値しなかったのでしょうか。この考え方は、戦争の場面を想定すれば、「最後まで戦って死ぬ」ということになると思います。

 往生際の悪さを嫌い、潔さを是とする日本人にとっては、「他人の手で殺されるよりは、自殺したほうがましだ」という考え方は好ましく感じるかもしれません。ですが、この考え方はいつ発生したのでしょうか。また、この考え方が発生している以上、反対の「自殺するよりは、他人の手で殺されるほうがましだ」という考え方が生じていてもおかしくはないはずです。奈良時代に社会通念として普及していたことを証明することはできませんが、実在の可能性は十分にあったと思っています。

 

 さて、「自身の死(戦死や処刑)が予期されたときに自死を遂げる」という事例は、「日本の古代4・6」でも紹介しました。長屋王の説話を記載した『日本霊異記』の成立を822年頃とするなら、両方の事例はほぼ同時代の事例ということになります。

 まず「日本の古代4」(808年)は、捕縛しようとした盗人の自殺を恐れて逃亡させた、という事例でした。では、なぜ「捕縛行為」と「自殺の可能性」が結びつくのでしょうか。戸川点氏の研究(『平安時代の死刑』吉川弘文館、2015)によると、平安時代では、盗犯は死刑に処されることがあったそうなのです。この盗人は、強盗だったのか窃盗だったのかはっきりしませんが、「盗人は『捕縛されて死刑になるくらいなら、自殺したほうがましだ』と考えているはずだ」、と役人たちは推測したのではないでしょうか。おそらく、同様の事件がこれまでにもあったのでしょう。つまり、こうした事件の積み重ねによって、「捕縛、あるいは死刑から逃れるために、犯人は自ら命を断つ可能性がある」という経験則が形成されてきた、と言えそうです。

 このことは、「日本の古代6」(816年)の事例でも言えます。国衙の正倉に放火した容疑者である税長(現地の役人)が自殺したのですが、この一件を調査した役人(検焼損使)は、刑部省に「無罪だとすれば、どうしてすぐに自殺しましょうか」と報告しています。つまり、「罪を犯した人間は自殺する可能性がある」という認識をもっていたことが、ここでもわかります。この容疑者も、罪が確定すれば、絞首刑に処されることになっていました。ということは、長屋王の事例もそうでしたが、死刑の予期が自死の要因の一つになり得たと考えられそうです。ただ、どのようにして「他人の手で殺されるよりは、自殺したほうがましだ」という思考が生まれてきたのか、という点は謎のままです。「死刑」も「自死」も結果として同じ「死」なのですが、それでも「自死」を選ぶ理由がよくわからないのです。

 一つだけ考えられそうなのは、「死刑」の場合、「死」に至るプロセスが、「自死」よりも苦難を伴うということです。拘禁・尋問・処刑、場合によっては梟首。その死へのプロセスを知っていれば、最小限の苦痛や恐怖で死に至ることのできる「自死」のほうが、追い込まれた犯罪者にとっては魅力的だったのかもしれません。

 

 中世の前段階として、古代の自死を簡単に紹介するつもりでしたが、思いのほかたくさんの事例があり、かなり手間取りました。そして、私が紹介した事例のほとんどは、いわば罪人・容疑者の自殺事例であったことに、いま気づきました。ここから導き出される結論は、「捕縛・処刑の苦痛から逃れるための自死」ということになるのですが、鈴木氏の指摘した「世のため、人のための自殺」とはずいぶんと対照的であるように思います。前者は消極的・後ろ向きな選択で、後者は積極的・前向きな選択と言えなくもないですが、このような評価は早計かもしれません。後者の自死についても、それぞれの具体的なケースをきちんと分析してみたいのですが、何をどう考えてよいのかわからないので、一旦留保しておきます。

 ここで古代の事例紹介を終え、以後、中世の紹介に移ろうと思います。古代に戻る予定はないのですが、興味深い史料が見つかれば、随時記事にしようとは思っています。

 

 

(注)

 鈴木英鷹「古代の日本人の自殺について─『日本書紀』の自殺記事による検討」 (『精神医学』53─2、2011・2)、同「奈良から平安初期における日本人の自殺─『続日本紀』『日本後紀』による検討─」(『日本医事新報』4517、2010・11)。