周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

自死の中世史 15 ─日本の古代11─

 「神功皇后摂政元年二月」『日本書紀』巻9

          (『新編日本古典文学全集』2─440頁、小学館、1994)

 

 適是時也、晝暗如夜、已經多日、時人曰、常夜行之也。皇后問紀直祖豐耳曰「是怪何由矣。」時有一老父曰「傳聞、如是怪謂阿豆那比之罪也。」問「何謂也。」對曰「二社祝者、共合葬歟。」因以、令推問巷里、有一人曰「小竹祝與天野祝共爲善友、小竹祝逢病而死之、天野祝血泣曰『吾也生爲交友、何死之無同穴乎。』則伏屍側而自死、仍合葬焉。蓋是之乎。」

乃開墓視之、実也。故更改棺櫬、各異処以埋之。則日暉爃、日夜有別。

 

 「書き下し文」

 是の時に適りて、昼の暗きこと夜の如くして、已に多の日を経たり。時人の曰く、「常夜行くなり」といふ。皇后、紀直が祖豊耳に問ひて曰はく、「是の怪(しるまし)は何の由ぞ」とのたまふ。時に、一老父(ひとりのおきな)有りて曰さく、「伝へ聞かく、是の如き怪は、阿豆那比の罪と謂ふといへり」とまをす。問ひたまはく、「何の謂ひぞ」ととひたまふ。対へて曰さく、「二社の祝者を、共に合葬(あはせはぶ)れるか」とまをす。因りて巷里に推問はしめたまふに、一人有りて曰さく、「小竹の祝と天野の祝と、共に善友たりしに、小竹の祝、病に逢ひて死りぬ。天野の祝血泣(いさ)ちて曰く、『吾はも、生けりしときに交友たりき。何ぞ死りて穴を同じくすべきこと無けむや』といひて、則ち屍の側に伏して、自ら死りぬ。仍りて合葬りつ。蓋し是か」とまをす。乃ち墓を開きて視れば実なり。故(かれ)、更棺櫬を改めて、各処を異にして埋む。則ち日の暉爃きて、日夜別(わきため)有り。

 

 「解釈」

 (神功皇后が小竹宮に遷られた)この時に、昼が夜のような暗さとなり、すでに多くの日数を経た。時の人は、「いつも夜ばかりが続くそうだ」と言ったという。皇后は、紀直の祖豊耳に問うて、「この不吉な前兆は、何に拠るのか」と仰せられた。その時、一人の老翁がいて言うには、「伝え聞くところでは、このような奇怪な前兆は、阿豆那比の罪というそうです」と申し上げた。「どういう意味なのか」と問われた。答えて、「二つの社の祝部を一所に合葬されたのではないですか」と申し上げた。それで村里に尋ねさせられたところ、一人の人がいて、「小竹の祝部と天野の祝部とは、共に仲の良い友人であったが、小竹の祝部が病にかかって死んでしまった。天野の祝部は激しく泣いて、『私は、彼が生きている時によい友であった。どうして死んでからも墓穴を同じくしないことがあろうか』と言って、そのまま遺骸の傍らに伏して自ら命を絶った。それで合葬しました。けだし、この事でしょう」と申し上げた。それで、墓を開いてみると事実であった。そこで棺を改めて、それぞれ別の所に埋めた。そうすると、日の光が照り輝いて、昼と夜とのけじめがついた。

 

 「注釈」

*引き続き、『日本書紀』からの紹介です。これも殉死の事例になるのですが、身分の高い人や主君ではなく、亡くなった友人に従って自死を遂げたという珍しいパターンです。友人の死を悼み、絶望した、つまり「生きる意味」を喪失したと考えられそうですが、前回の史料と少し様子が異なります。死の直前の天野の祝部は、「私は、彼が生きている時によい友であった。どうして死んでからも墓穴を同じくしないことがあろうか」と発言しています。これは自死の理由ではあるのですが、同時に目的でもあるのです。つまり、「死んで同じ墓に入りたい」がために、自死という手段を選択したことがわかります。結果として、一旦は同じ墓に葬られたのですから、天野の祝部の自死は、半分成功したということになります。

 さて、これまで紹介してきた史料の多くは、自死の原因を記したものばかりで、自死の目的を記したものは「日本の古代1」で紹介した「壱伎直の祖真根子」だけでした。「真根子」の場合、武内宿禰に無実の弁明をさせるため、身代わりとなって自害し、結果として成功を収めたことになります。これらの事例のように、自死の目的が明確に記された史料は珍しいかもしれません。ひょっとすると、自死の分析では、「原因・理由」と「目的」を明確に区分することで、何か新しいものが見えてくるかもしれません。