周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

自死の中世史 17 ─日本の古代13─

  「大治五年四月十四日付宇佐宮公文所問注日記」『小山田文書』

                 (『平安遺文』2158号文書、5─1868)

 

 (端裏)

 「大工末貞勘状、友成任御判可領作之、」

 公文所

  問注御装束所検校末貞訴申同検校友成申詞記

 問友成云、請被殊任道理、裁下給古作田子細状、在向野郷内字巫田内貳段并字大木垣

            (マヽ)

 壱所者、右件田畠、以去庚和年之比、牛男丸与末貞令相訴申之処、被召問図師永尋之

 間、依陳申末貞道理、可領掌末貞之由、御判給了、何彼相論之時、有可友成領知者、

 彼時出来、可訴申之処友成母依為放出子也、今父弘永死去之後処分之由愁申、令作之

 旨、所難堪也、於田畠所領道者、致無公験者、以手次領作之理、所令所領也、何友成

 年来父放出子為男子、不知田畠令領掌之條、無其謂者、依実子細弁申如何、

 友成申云、末貞訴申巫田二反畠小城垣一反事、年来相訴之間、御定云、末貞・友成

 共可蒙神判之由者、神判祭文進之処、末貞方出来証利、一舅安富死、一窃盗

 合悉損取、一乗馬斃、一兄時光子死、一甥貞時子死者、以去年三月十六

 日注進之処、御判云、件田畠任神判証験友成可領掌之由者、而背御判旨、所

 訴申無謂申、(花押)

 問末貞云、友成陳状如此者、子細如何、

 末貞申云、友成注申証験事無謂、甥貞時子死友成件人従父兄也、又窃盗合事、

 末貞合之後、友成合候、又時光娘死事、件女不立神判以前与利腹病之天三年

 死也者、夫成国可被召問之、安冨死事証不候、其故末貞子共其数候とも

 指無咎、又馬斃事、友成西方より乗候、宇佐川鞍下棄候不証候哉、兼又寄

 御判於事、件巫田二反内号傍畠散破取之條、無謂申、(花押)

 友成申云、末貞陳申條、謂不候、友成窃盗合事、末貞如陳状、末貞合後也、

 又友成乗馬宇佐川鞍下棄由、申無実也、件馬高遠所従給之後事をハ不知候

 事也、但末貞乍置先日証、以後日証注申條、謂不候、其定候ハヽ、末貞水干

 装束ニ天御湯殿参上、清祓仕、又無止御鎖之舌折、政所可勘申之由候と毛

 未勘申候、末貞孫死ニハ不候哉、又畠妨事件巫田内仁天妨候也、郡司田所

 相共、被実検候ハむニ、顕然候歟申、(花押)

 末貞申云、去年十月之比、友成受病之由、承候友成申云、無実也、神判

 蒙依申友成窃盗ニハ合候也、又末貞盗人合申候ハむと天友成取候也

 申、(花押)

 又末貞申云、友成、以先年之比御炊殿一御殿御階参、刀

 自害せんと仕、依貫首宗季宿禰預了者、故御舘御任ニハ雖訴申、沙汰不候之処、

 当御任、此沙汰申候也、父武国雖無指放火殺害、依致濫行、永以被解却了

 申、(花押)

 友成申云、末貞友成不能をハ、先日相訴申勘状申書了、而尚今度同事

 申條、謂不候、但選須留神判御裁定、依証利裁給事重訴申之條、謂不候

 申、(花押)

 以前、彼此申詞、問注如件、

     (1130)

     大治五年四月十四日

             官人代日下部宿禰(花押)

             弁官代漆島宿禰 (花押)

 

 

*書き下し文・解釈ともに、わからないことが多すぎるので、本文のみ掲載しました。いつになるかわかりませんが、周辺知識を調べ直して、なるべく正確なものが書けるようになれば、書き直したいと思います。

 掲載した理由ですが、この史料が地方に残された最古の自死(未遂)史料(古文書)だと考えられるからです。新たな古文書を探すことができれば、すぐに訂正します。各研究機関のデータベースで検索しましたが、いまのところ、この史料が一番古いと思います。