周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

自死の中世史 22 ─中世の説話1─

「或る禅師、補陀落山に詣づる事 付賀東上人の事」『発心集』第3─5

        (三木紀人『現代語訳 方丈記発心集 歎異抄學燈社、2006)

 

 近く、讃岐の三位といふ人いまそかりけり。彼のめのとの男にて、年ごろ往生を願ふ入道ありけり。心に思ひけるやう、「此の身の有様、よろづの事、心に叶はず。もし、あしき病ひなんど受けて、終り思ふやうならずは、本意とげん事極めてかたし。病なくて死なんばかりこそ、臨終正念ならめ」と思ひて、身燈せんと思ふ。

 「さても、たえぬべきか」とて、鍬と云ふ物を二つ、赤くなるまで焼きて、左右の脇にさしはさみて、しばしばかりあるに、焼け焦がるる様、目も当てられず。とばかりありて、「ことにもあらざりけり」と云ひて、其のかまへどもしける程に、また思ふやう、身燈はやすくしつべし。されど、此の生を改めて極楽へまうでん詮もなく、また、凡夫なれば、もし終りに至りて、いかが、なほ疑ふ心もあらん。補陀落山こそ、此の世間の内にて、此の身ながらも詣でぬべき所なれ。しからば、かれへ詣でんと思ふなり。また即ちつくろひやめて、土佐の国に知る所ありければ、行きて、新しき小船一つまうけて、朝夕これに乗りて、梶取るわざを習ふ。

 その後、梶取りをかたらひ、「北風のたゆみなく吹きつよりぬらん時は、告げよ」と契りて、其の風を待ちえて、彼の小船に帆かけて、ただ一人乗りて、南をさして去りにけり。妻子ありけれど、かほどに思ひ立ちたる事なれば、留めるにかひなし。空しく行きかくれぬる方を見やりてなん、泣き悲しみけり。

 これを、時の人、こころざしの至り浅からず、必ず参りぬらんとぞおしはかりける。

 一条院の御時とか、賀東聖と云ひける人、此の定にして、弟子ひとりあひ具して参るよし、語り伝へたる跡を思ひけるにや。

 

 「解釈」

 近年、讃岐の三位という人がおられた。その人の乳母の夫で、長年、往生を願い続けている入道がいた。心中、彼は「この身のありさまは、万事につけて意に満たない。もし重い病などにかかって、死に際が思うままにならなければ、往生の願いを果たすのは、きわめてむずかしい。病にかからぬ身で死ぬ以外には、臨終の心の安定は保てないだろう」と思って、「往生のための焼身」をしようと考えた。

 そして、「それにしても、耐えられようか」と思って、鍬という物を二本、赤くなるまで焼き、左右の脇の下にさしはさんで、しばらくそのままでいると、肉の焼け焦げるさまは、見るに耐えなかった。しばらくして、「意外にたいしたことではなかった」と言って、自殺の用意をしているうちに、また、考え直した。焼身は容易にできそうだ。しかし、この生を改めて極楽に行っても意味がないし、また、凡夫のことだから、あるいは臨終になって、どうだろう、やはり疑う気持ちも起こるかもしれない。補陀落山という山は、現世の中にあり、この身のまま詣でることが可能な場所だ。だから、そこに詣でよう。こんなふうに思って、すぐに、火傷の治療をやめ、土佐の国に知行所があったので、そこに行き、新しい小舟を一艘手に入れて、朝夕これに乗って、梶の取り方を練習した。

 その後、梶取りに頼んで、「北風がたえまなく吹きつのる時になったら、教えてほしい」と言って約束し、その風が吹く時になってから、例の小舟に帆をかけて、ただ一人これに乗り、南をさして行ってしまった。妻子もいたが、これほど強く思い至ったことだから、とめることはできなかった。むなしく、入道の舟が消えて行った方角を眺めて、泣き悲しむだけであった。

 これについて、世人は、並たいていのの決意ではないから、必ずや補陀落山についただろうと想像した。

 一乗院の御代だったか、賀東上人という人が、同じしかたで、弟子一人を連れて補陀落山に行ったというが、入道はその例にならったのだろうか。

 

 「注釈」

「発心集」─仏教説話集。鴨長明編著。鎌倉前期成立。発心・出家・往生にまつわる仏

      教説話約100話を集める。長明の宗教・思想を知るうえで好資料(『角

      川新版日本史辞典』)。

 

*今回から中世の事例を紹介していきます。まずは仏教説話集に残された自死事例を、連続で掲載していこうと思います。

 さて今回の記事は、往生を目指した焼身自殺未遂と、補陀落渡海という、二つのテーマに分けられます。往生の仕方にはさまざまなものがありますが、西尾光一・貴志正造編『鑑賞日本古典文学』(第23巻中世説話集、角川書店、1977、207頁)によると、入水・焼身(身燈)・断食・埋身等の方法によって往生を遂げるのを、異相往生と呼ぶそうです。

 今回の事例によると、往生を目指した入道は、まず焼身自殺を図ります。この入道は、焼身自殺自体は容易にできると思っているのですが、「この生を改めて極楽に行っても意味がないし、また、凡夫のことだから、あるいは臨終になって、どうだろう、やはり疑う気持ちも起こるかもしれない」と考え、結局思いとどまります。そして、生きたまま補陀落山を目指すのです。これは「観音の浄土とされる補陀落山への熱烈な信仰によって、海岸から海に向かって船出し、生きながら往生しようとする」補陀落渡海という行為で、「入水往生の一形態」なのだそうです(「補陀落渡海」『民俗小事典 死と葬送』吉川弘文館、2005)。おそらくこの入道は、焼身自殺による往生(おそらく阿弥陀のいる西方極楽浄土への往生)を思いとどまり、生きたまま観音の補陀落浄土を目指すことにしたのでしょう。

 このように、往生するといっても、実現するための手段が異なるようです。自死という手段によって往生する方法と、生きたまま往生を目指す方法に分けられそうです。「補陀落渡海」は入水往生の一形態とされていますが、厳密にいうと、死を賭した行為ではあっても、自死を実現手段とした行為ではないことがわかります。死ななくても補陀落浄土には行けるわけですから、「補陀落渡海」は宗教的自死の範疇に含めない方がよいのかもしれません。

 話が少し逸れたので、ここで本来のテーマに戻し、今回の事例をまとめておきます。直接の原因はわかりませんが、往生を目指した入道は、極楽往生という目的を実現するために、焼身自殺という手段を選びました。しかし、死んで極楽に行っても意味がないし、臨終の間際に正念を失うことを恐れて、自殺を思いとどまりました。そこで、現世にあるという補陀落浄土を、生きたまま目指すという行為に切り替えたのです。

 死ななければたどり着けない極楽と、生きたままたどり着ける補陀落山とは異なるようですが、主人公の入道は、どちらを価値の高いものと考えているのでしょうか。最初に焼身自殺を選んだということは、極楽を価値の高いものと評価しているように思われますが、その一方で、最終的に補陀落渡海に切り替えたことからすると、後者のほうを価値が高いものと考えているようにも読み取れます。極楽(西方極楽浄土)と補陀落浄土の区別は中世人にとって明確だったのか、いずれの価値が高かったのか、出家者と在家信者では認識に違いがあったのか、時代の経過によって認識は変化するのか。いまのところ、こうした疑問に答えることはできないので、さらに文献を読み漁っていこうと思います。