周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

神の姿を見るタブー

  応永二十六年(一四一九)六月二十五日条 (『看聞日記』1─284頁)

 

 廿五日、晴、

  (中略)

  抑大唐蜂起事有沙汰云々、出雲大社震動流血云々、又西宮荒夷宮震動、又軍兵数十

  騎広田社ヨリ出テ東方行、其中女騎之武者一人如大将云々、神人奉見之、其後

  為狂気云々、自社家令注進、伯二位馳下尋実否云々、異国襲来瑞想勿論歟、又廿四

  日夜八幡鳥居風不吹顚倒了、若宮御前鳥居也、さゝやきの橋打砕云々、室町殿御

  参籠時分也、殊有御驚云々、諸門跡諸寺御祈祷事被仰云々、

 

 廿九日、晴、聞、北野御霊西方飛云々、御殿御戸開云々、諸社怪異驚入者

  也、唐人襲来先陣舟一両艘已有合戦云々、大内若党両人為大将海上行向退治、

  其以前神軍有奇瑞之由注進云々、

 (頭書)

 「唐人合戦事、実説不審云々、近日巷説誤多、」

 

 「書き下し文」

 二十五日、晴る、

  (中略)

  抑も大唐蜂起の事沙汰有りと云々、出雲大社震動し流血すと云々、又西宮荒夷宮も

  震動す、又軍兵数十騎広田社より出でて東方へ行く、其の中に女騎の武者一人大将

  のごとしと云々、神人之を見奉る、其の後狂気に為ると云々、社家より注進せし

  め、伯二位馳せ下り実否を尋ぬと云々、異国襲来の瑞想勿論か、又二十四日夜八幡

  の鳥居風吹かざるに顚倒し了んぬ、若宮御前の鳥居なり、ささやきの橋を打ち砕く

  と云々、室町殿御参籠の時分なり、殊に御驚き有りと云々、諸門跡諸寺御祈祷の事

  仰せらると云々、

 

 二十九日、晴る、聞く、北野御霊西方を指して飛ぶと云々、御殿の御戸開くと云々、

  諸社の怪異驚き入る者なり、唐人来襲先陣の舟一両艘と已に合戦有りと云々、大内

  若党両人大将として海上に行き向かひ退治す、其れ以前に神軍の奇瑞有るの由注進

  すと云々、

 (頭書)

 「唐人合戦の事、実説不審と云々、近日の巷説誤り多し、」

 

 「解釈」

 二十五日。晴。(中略)さて中国人が攻めてくると噂になっているそうだ。出雲大社では本殿が震動して血が流れ出したという。また西宮の荒戎宮も震動したそうだ。軍兵数十騎が広田神社から出陣して東の方に向かったという。その軍兵のなかに女性の騎馬武者が一人いて、その者が大将のようだった。その様子を広田神社の神人が目撃しており、その神人は発狂したという。

 広田神社から朝廷に報告があったので、白川資忠神祇伯二位が広田神社に向かい、事の実否を調べたそうだ。これらが異国の軍勢が攻めてくる兆しであることはもちろんのことだろう。

 また二十四日の夜には、石清水八幡宮の鳥居が風に吹かれて倒れてしまった。それは同宮若宮の御前の鳥居だそうだ。そのために細橋(ささやきばし)が粉々に砕けてしまったそうだ。それはちょうど、室町殿足利義持石清水八幡宮にお籠りになっている時だった。それで、たいへん驚かれたそうである。そのために室町殿は諸門跡や諸寺院に祈祷するようお命じになったという。

 二十九日、晴。北野天神の御霊が西方を指して飛んでいったそうだ。御殿の扉は開いたままだったという。諸々の神社で起きている怪異には驚き入るばかりだ。

 来襲する中国人先陣の軍船一〜二艘とすでに合戦となっているらしい。大内の若い従者二人が大将となって海上で応戦し、中国の軍船を退治したそうだ。それ以前にも、神様の軍勢がおめでたい前兆を示しているとの報告があったという。

【頭書】中国人との合戦は本当の話なのかどうか、分からないらしい。最近の噂話には誤りが多い。

 

*解釈は、薗部俊樹「史料紹介『看聞日記』現代語訳(一一)」『山形県立米沢女子短

 期大学紀要』53、2017・12、https://yone.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=324&item_no=1&page_id=13&block_id=21)を引用しました。

 

 「注釈」

「広田神社」─兵庫県西宮市大社町二十二社の第17位。下八社の内。対外防衛の

       神。祭神は、天照大神の荒魂(憧賢木厳之御魂天疎向津媛命)。中世以

       降、八幡大神神功皇后などの諸説がある。本地仏阿弥陀如来(伊呂

       波字類抄)(『中世諸国一宮制の基礎的研究』)。

応永の外寇」─朝鮮では己亥東征という。倭寇に悩まされた朝鮮は、1419(応永

        26)6月兵船227隻、1万7000人の大軍をもって倭寇の根拠

        地対馬をおそった。10余日で撤退したが、日本では蒙古襲来の再現

        との風説が流れ、世情騒然とした。室町幕府は事件の真相を究明する

        ため朝鮮に使節を派遣、翌’20朝鮮から回礼使として宋希璟が来日し

        た(『角川新版日本史辞典』)。

 

*これは、「応永の外寇」という事件の関連史料になるのですが、朝鮮人(史料上では中国人)の来襲に当たり、日本の神々が神社から出撃したという噂が流れています。まるで、元寇時の状況を再現しているかのようです(井上厚史「朝鮮と日本の自他認識─13〜14世紀の「蒙古」観と自己認識の変容─」『北東アジア研究』別冊第3号、2017・9、http://hamada.u-shimane.ac.jp/research/organization/near/41kenkyu/kenkyu_sp3.html)。今回は、広田神社から神功皇后が、北野天満宮からは菅原道真が、それぞれ助っ人として参陣したようです。

 ところで、今回の記事で興味深いのは、神功皇后の姿を見た神人が発狂してしまったという情報です。御神体秘仏など、見てはならないものを見ると、目が潰れる。こうした現代でも囁かれる言い伝えとよく似ています。神々しい存在を見ると発狂する、あるいは目が潰れるという言説は、いつから言われはじめたのでしょうか。また、発狂と目が潰れるでは、どちらの言説が先に言われはじめたのでしょうか。こうした発想は文字資料が残される以前からあったのかもしれませんし、意外と新しいのかもしれません。こういう疑問が明らかになるとおもしろいのですが、いずれにせよ、あまりに畏れ多い存在を見ると、人体に影響が出るようです。

 

 なお、この史料については、桜井英治『室町人の精神』(講談社、2001、109頁)、清水克行『大飢饉、室町社会を襲う!』(吉川弘文館、2008、24頁)で、詳しく紹介されています。