周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

自死の中世史 27 ─中世の説話6─

仁和寺西尾の上人、我執に依つて身を焼く事」『発心集』第第八─三

       (三木紀人『現代語訳 方丈記 発心集 歎異抄學燈社、2006)

 

 近き世の事にや、仁和寺の奥に同じさまなる聖、二人ありけり。ひとりを西尾の聖と云ひ、今ひとりをば東尾の聖と名付けたり。  此の二人の聖、事にふれて徳をいとなみ、ひとりは如法経書けば、ひとりは如法念仏す。ひとりは五十日逆修すれば、ひとりは千日講を行ひなど、互ひにおとらじとしければ、人もひきひきに方々別れつつ結縁しけり。

 年ごろかくのごとくいとなむ間、西尾の聖、身灯すべしと云ふこと聞こえて、結縁すべき人、貴賤道俗市をなして、たふとみこぞる。東尾の聖、これを聞きて、狂惑の事にこそあらめとて信ぜざるほどに、つひに期日になりて、弟子どもいみじく囲繞して、念仏して火屋に火をさす。  ここら集まりし人、涙を流しつつ尊みあへる程に、火中にて、念仏二百返ばかり申して、つひにいみじく尊げなる声にて、「今ぞ、東尾の聖にかちはてぬる」と云ひてなむ、をはりにける。

 此の事を聞かぬ人は、尊としとて、袖をうるほして去りぬ。おのづから洩れ聞ける者は、思はずに、「こは何事ぞ。いと本意ならず。妄念なりや。定めて天狗などにこそはなるべかりぬれ。益なき結縁をしてげるかな」なんど云ひけり。まことに、あらたに身命を捨てて、さる心を発しけん、珍しき身なるべし。

 或る人語りて云はく、「唐に帝おはしけり。夜いたう更けて、燈壁にそむけつつ、寝所に入りてしづまりぬる程に、火のかげにかげろう物あり。あやしくて、寝入りたる様にて、よく見たまへば、盗人なるべし。ここかしこにありきて、御宝物・御衣など取りて、大きなる袋に入れて、いとむくつけなくおぼされて、いとど息音もし給はず。かかる間、此の盗人、御かたはらに薬合はせんとて、灰焼き置かれたりけるを見つけて、さうなくつかみ喰ふ。『いとあやし』と見たまふほどに、とばかりありて打ち案じて、此の袋なる物ども取り出でて、皆もとのごとく置きて、やをら出でなんとす。其の時、帝いと心得がたくおぼして、『汝は何者ぞ。いかにも、人の物を取り、また、いかなる心にて返し置くぞ』とのたまふ。申して云はく、『我は某と申し候ひし大臣が子なり。をさなくて父にまかりおくれて後、堪へて世にあるべきたつきも侍らず。さりとも、今更に人のやつことならん事も、親の為心憂く思ひたまへて、念じて過し侍りしかど、今は命も生くべきはかりごともはべらねば、盗人をこそ仕らめと覚えて侍るにとりて、なみなみの人の物は、主の嘆き深く、取り得てはべるにつけて、ものぎよくも覚えはべらねば、かたじけなくもかく参りて、まづ物の欲しくはべりつるままに、灰を置かれてはべりけるを、さるべき物にこそと思ひて、これをたべつる程に、物の欲しさなほりて後、灰にてはべりける事をはじめて悟りはべれば、せめては、かやうの物をも食しはべりぬべかりけり。よしなき心を発しはべりけるものかなと悔しく思ひて』なんど申す。帝つぶさに此の事を聞きたまひて、御涙を流され、感じたまふ。『汝は盗人なれども、賢者なり。心の底いさぎよし。我、王位にあれども、愚者と云ふべし。空しく忠臣の跡を失へり。早くまかり帰り候へ。明日召し出だし、父の跡を起さしめん』と仰せられければ、盗人泣く泣く出でにけり。其の後、本意のごとく仕へ奉りて、すなはち父の跡をなむ伝へたりける」。

 しかれば、上人の身命を捨てしも、他に勝れ、名聞を先とす。貧者が財宝を盗めるも、清くうるはしき心あり。すべて、人の心の中、たやすく余所にはかりがたき物なり。されば、「魚にあらざれば、水の楽しみを知らず」と云ふも、此の心なるべし。

 

 「解釈」

 近代のことと思う。仁和寺の奥に、同じようなさまをした聖が二人いた。一人は西尾の聖と言い、もう一人は東尾の聖と呼んでいた。この二人は、何かにつけて徳行を営み、一人が作法にそって経文を書写すれば、一人は期間を設けて念仏を唱えた。一人が死後の冥福を祈って五十日の仏事をすれば、一人は千日間にわたる法華経の講義を行うなどして、互いに相手に劣るまいとつとめたので、人も思い思いに二方に別れて、結縁をした。

 数年来、二人がこのように修行している間に、西尾の聖が焼身をするということが評判になって、彼と結縁する人が、貴賤僧俗の別なく市をなすほど集まって尊んだ。東尾の聖はこれを聞いて、「ばかげた噂にすぎまい」と言って信じなかったが、ついにその当日となって、弟子どもがものものしくまわりに居並び、念仏を唱えて、西尾の聖の籠る小屋に火をつけた。そこに大勢集まっていた人々は、涙を流して尊みあううちに、聖は火の中で念仏を二百回ばかり唱えて、最後にたいそう尊げな声をたてて、「今や、東尾の聖に完全に勝ったのだ」と言って死んだのであった。

 この言葉を聞かなかった人は、尊いことだと言って、涙に袖をぬらして立ち去った。たまたま漏れ聞いた者は、意外さに、「これは何事だ。実に不本意だ。迷いの心ゆえか。あの聖は、きっと天狗などになったことだろう。とんだ無用な結縁をしてしまったものだ」などと言った。ほんとうに、みごとに身命を捨てたのに、そんな心をおこしたというのは、珍しい人というべきであろう。

 ある人がこう語った。「唐にある帝がおられた。夜がかなり更けて、燈火を壁のほうに向けて、寝所にはいって横になると、燈火の陰にちらちらする物がある。不審に思い、寝たふりをして、よく御覧になると、盗人とおぼしく、誰やらがあちこち歩きまわって、御宝物や御衣などを手にして、大きな袋を入れる。帝は気味が悪く思われて、ますます息をひそめて、じっとしておられた。その間に、この盗人は、帝のかたわらに薬を調合しようとして灰を焼いておかれたのを見つけて、あたふたとつかみ食った。『いったい何をするのだろう』と思ってご覧になっていると、盗人はしばらく考えこんで、この袋の中に入れた物を取り出して、皆もとのように置いて、静かに出て行こうとした。その時に、帝は実に不思議に思われて、『お前は何者か。なんのために、人の物を取り、また、何を思ってそれを返しておくのか』とおっしゃった。すると、盗人は、『私は、なにがしと申した大臣の子です。幼い時に父に先だたれてからは、みなしごとなった身で何とか生きていけるだけの手段がありません。かといって、今さら人の召使いとなることも、親のことを思うと情けなく存じまして、我慢をして過ごしてきましたが、いまは、命をつなぐべき手だてもありませんので、盗人をいたそうと思いましたが、それにつけても、普通の人の物の場合は、持ち主の嘆きが深刻で、盗み出しましても後味がよくありませんので、おそれおおくも、このように宮中へ参って、まず何か食物がほしく思いまして、その心のままに、おかれてあった灰を、しかるべき食物に違いないと思って、これを食べたところ、食欲がおさまってから、これが灰であったことを初めて知りました。そういうわけで、いざとなると、このような物も食べられるのであったか、何か盗もうなどとくだらない心をおこしたものだと、後悔の念がわきまして』などと申し上げる。帝はつぶさにこのことをお聞きになり、涙を流して感動なさった。そして、『お前は盗人ではあるが、賢者だ。本心は潔い。私は、王位にはあるが、愚者と言わねばならない。むざむざと、忠臣の後継者を失ったからだ。すぐに帰りなさい。明日、お前を召し出して、父の跡を継がせよう』とおっしゃったので盗人は感涙にむせびつつ退出した。その後、望みのごとく帝にお仕えして、まもなく父の跡を継いだのであった」と。

 以上のように、西尾の上人が身命を捨てたのも、他人に勝ち、名誉を重んじたからだ。貧者が財宝を盗んでも、彼には清くうるわしい心がある。すべて、人の心の中は、たやすく外から判断できない。だから、「魚自身でなければ、水に住む楽しみはわからない」というのも、同じ趣旨だ。

 

 「注釈」

*今回も『発心集』からの引用で、焼身往生の事例を紹介します。登場人物の西尾の聖と東尾の聖は、互いに修行を積んでいました。二人は競い合った結果、西尾の聖はとうとう焼身を遂げることを決意します。当日、西尾の聖は燃えさかる小屋のなかで念仏を唱え、最後に「今や、東尾の聖に完全に勝ったのだ」と言って息絶えました。

 前回と同じく、この場には結縁者がたくさん集まっていました。そのなかで、西尾の聖の最期の言葉を聞いた人は、極楽往生の成功をすっかり疑っています。極楽往生を目的とした焼身自殺であったはずが、ライバルの聖に勝つために焼身自殺を遂げたわけですから、明らかに妄念がわき起こっています。これまでの事例で紹介してきたように、妄念は往生の妨げにしかなりません。見物人は、妄念にまみれた西尾の聖と結縁したわけですから、さぞかしがっかりしたことでしょう。

 西尾の聖は本来、浄土に赴くという目的を実現するために、東尾の聖と競いながら修行を続けてきたのだと思われます。ところが、その目的は東尾の聖に勝ち、名誉を得るというものにすり替わり、焼身自殺を遂行してしまったのです。この事例を史実とみなすかはさておき、名誉欲や優越感のために、人間は自ら命を絶つことがある、と中世の人々は考えていたようです。

 では、なぜこのような目的のすり替わりが起きてしまったのでしょうか。問題は、結縁者の存在です。二人の評判を聞きつけた人々は、それぞれの聖のファンであるかのように、分かれて結縁したのです。供養や修行のグレードが上がれば上がるほど、高徳の聖という評判は高まり、結縁者も増える。おそらくこうした状況が、西尾の聖を勘違いさせた原因なのでしょう。死後に讃えられる名誉は、極楽往生の結果として得られるはずですが、西尾の聖はその名誉を得るために異相往生を遂げたのです。